仏教トーク|仏教経典チャットトーク型記事

仏教トークは、仏教経典の内容をチャットのようなトーク(会話)形式にして創作した記事です。お釈迦さんや弟子達の仏教について会話集になります。

今まで、仏教エピソードというシリーズで、古いお経を意訳していました。その際、自分の頭の中で、発見だったり、補足だったり、付け足したい事柄がたくさん浮かんでくることに気が付きました。

頭の中で思い浮かぶ事柄を代弁する登場人物を付け加えて、お経を意訳してみたらどうなるんだろう?

そうして出来上がったのが、この「仏教トーク」です。

実在するお経の内容にも沿っており、それぞれ参考にしている出典元があります。「え?お経ってこんな内容の話してたの?」という発見を皆様と共有できれば幸いです。

注目トークTOP5

煩悩が尽きるとは? ヒナと卵・木こりのたとえ
「雑阿含経巻第10-263」の内容が基になっています。「悟る」「煩悩が尽きる」それは何なのでしょう。何を知り、何を見る人が、煩悩を尽くすというのでしょうか。ヒナとたまごのたとえ、きこりのたとえから考えてみましょう。
「正見(正しく見る)」とは?|お経に載っている仏教用語解説
お釈迦さんがいう「正見(しょうけん)」とは、どういうことなのでしょうか? 例えば「有」「無」。とりあえず、この二つの分け方から考えてみましょう。お釈迦さんとカッチャーヤナゴッタさんとの対話から
アヌルッダ(阿那律):不眠不休の誓いと洞察
天眼第一とも称されるアヌルッダ(阿那律)さん。その失敗を教訓にして、仏道の学びへと変えた洞察力こそ、天眼なのかもしれません。(原文をあたってみると、お釈迦さんやアヌルッダさんとのやり取りは、とても人間味を感じ、親しみが湧いてきます。)
計る病|考えすぎている時は、「計る」だけで考えているのかも?
雑阿含経の中にある「計る」についての話。「考える」と一言で言っても、その考え方には色々なものがあります。その中で、お釈迦さんは、計るは病と説いています。考えることについて、あまり考えすぎないように、真剣に考えてみましょう。
無明とは?|サーリプッタの解説
仏教の言葉「無明」は、阿含経の中でどのように説かれているか。知るとは何? 無知とは何? 明らかでない、知らないとも理解されるこの言葉について、お経のサーリプッタさんの言葉と共に考えます。

仏教トーク一覧(投稿順)

煩悩が尽きるとは? ヒナと卵・木こりのたとえ
「雑阿含経巻第10-263」の内容が基になっています。「悟る」「煩悩が尽きる」それは何なのでしょう。何を知り、何を見る人が、煩悩を尽くすというのでしょうか。ヒナとたまごのたとえ、きこりのたとえから考えてみましょう。
アヌルッダ(阿那律):不眠不休の誓いと洞察
天眼第一とも称されるアヌルッダ(阿那律)さん。その失敗を教訓にして、仏道の学びへと変えた洞察力こそ、天眼なのかもしれません。(原文をあたってみると、お釈迦さんやアヌルッダさんとのやり取りは、とても人間味を感じ、親しみが湧いてきます。)
三脚のたとえ|老いや死の原因は? 自分のせい、それとも他のせい?
雑阿含経にあるカメラの固定台としても使う三脚のたとえ話。「そうじゃない」と言葉を聞いた時、全部が否定されていると感じるならば、ひょっとしたら、それは相手の言葉を全然違う意味で受け取っているのかもしれません。
計る病|考えすぎている時は、「計る」だけで考えているのかも?
雑阿含経の中にある「計る」についての話。「考える」と一言で言っても、その考え方には色々なものがあります。その中で、お釈迦さんは、計るは病と説いています。考えることについて、あまり考えすぎないように、真剣に考えてみましょう。
無明とは?|サーリプッタの解説
仏教の言葉「無明」は、阿含経の中でどのように説かれているか。知るとは何? 無知とは何? 明らかでない、知らないとも理解されるこの言葉について、お経のサーリプッタさんの言葉と共に考えます。
琴のたとえ|「才能がないから弟子やめる」とお釈迦さんに相談したソーナさんの話
修行を人一倍頑張っていたソーナさん。しかし、全く悟ることができません。「もう才能がないから私には無理。弟子をやめたい」お釈迦さんはに相談にいきました。そこで語られたのは、琴のたとえ話でした。
続・琴のたとえ|「どうしたら良い音が出るのか?」から考える
「琴はどうしたら良い音が出るのか?」から考えるソーナさんの説法。未だに、煩悩を尽くさず、悟りを得ていない。でもその人が、学びの道にあって、学ぼうという向上心を持ち続けているのならば、もう学ぶということは成就し成し遂げています。
「正見(正しく見る)」とは?|お経に載っている仏教用語解説
お釈迦さんがいう「正見(しょうけん)」とは、どういうことなのでしょうか? 例えば「有」「無」。とりあえず、この二つの分け方から考えてみましょう。お釈迦さんとカッチャーヤナゴッタさんとの対話から
正しい事実の使い方|無常という教えは絶対の真実なのだろうか?
阿含経というお経の中で語られる無常という仏教用語の解説。「無常(あらゆるものは変化している)という教えは絶対の真実だ」と断言してしまうことは、本当に正しいことなのだろうか? アヌルッダさん、ナンダさん、キンビラさん達の「無常」に関する議論。
水の流れのたとえと牛飼いの話|「何事にも捕らわれない」の勘違い
阿含経にあるお釈迦さんと在家者さんのやり取り。世間のしがらみを捨て、今の牛飼いの仕事を放棄して、すぐにでも弟子入りをお願いしようとするナンダさんにお釈迦さんはどのような対応をしたのでしょうか?
煩悩について|草木のたとえ
お経の中にあるよる仏教用語の解説。「煩悩」についてお釈迦さんが草木のたとえを用いて説いています。
薪をくべる たとえ話|お経に載っている仏教用語の解説「取」
仏教用語「取」について、阿含経の中でどのように説かれているか。お釈迦さんがたとえ話を用いて説いています。所有欲、手に入れるということがどういうことなのか。考えてみましょう。
良い医者のたとえ|「四諦」という教えについて
仏教の基礎の教えの内の一つ「四諦」。この四諦のたとえ話である「良医のたとえ」は知る人ぞ知るお話です。
無益な争論|無限か有限か、有るか無いか
お釈迦さんはあえてそのことについて答えない。お経の中にその答えは記されていない。答えが無いことで議論が熱くなって、争ってしまう。そんな弟子達に向けるお釈迦さんの応え(対応)は?
無益な争論2|強大か弱小か、強いか弱いか
お釈迦さんはあえてそのことについて答えない。お経の中にその答えは記されていない。答えが無いことで議論が熱くなって、争ってしまう。そんな弟子達に向けるお釈迦さんの応え(対応)は?
無益な争論3|知識が多いか少ないか、頭が良いか悪いか
お釈迦さんはあえてそのことについて答えない。お経の中にその答えは記されていない。答えが無いことで議論が熱くなって、争ってしまう。そんな弟子達に向けるお釈迦さんの応え(対応)は?
無益な争論4|豪華か貧相か、多いか少ないか
お釈迦さんはあえてそのことについて答えない。お経の中にその答えは記されていない。答えが無いことで議論が熱くなって、争ってしまう。そんな弟子達に向けるお釈迦さんの応え(対応)は?
前世の「業」の話はやめなさい|仏教でいう「業」とは?
「業」という言葉は、よく勘違いされやすい仏教用語の一つです。普段何気なく知っているつもりでいる業は、果たして仏教で使われていた「業」の意味なのでしょうか? 実は前世などを語る風習の業と仏教の「業」の意味は違います。
すべては燃えている|煩悩を火に喩えて
仏教で煩悩を火に喩えて話されることが多いですが、その一例です。貪欲の火によって燃えている。怒りの火によって燃えている。愚かの火によって燃えている。一切は燃えている。
風のたとえ|仏教の基礎「四諦」の教えについて
仏教の基礎の教え「四諦」は、火や風などのたとえから考えるととてもイメージしやすいです。お経の中でも、よくたとえ話がされているので、それら別々のたとえ話あわせて考えると、また理解が膨らみます。

 

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