仏教経典を意訳再構成してLINEのグループトークのような会話形式にした記事を書き続けています。題して「仏教トーク」です。
元は漢文だけで書かれたお経が、現代の日本語となって、はるか昔のお釈迦さんや弟子達の会話に触れることができます。
私(ちしょう)も、このような古いお経の話から、仏教に興味を持ち始めました。仏教入門としてもおすすめです。
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仏教トーク登場人物
私が仏教トークを作る理由
仏教トークを作っているのには、理由があります。それは私と仏教との出会いが関係しています。私と仏教との出会いは、学生の頃でした。
私は学生の頃にネット・ゲーム依存に陥った経験があります。
誤解のないように最初に言っておきますが、私は今でもゲームが大好きです。やりすぎないように、自分ルールを設けて、steamやパソコンで楽しんでいます。
ただ学生の頃は、ネットゲームに、かなりハマっていました。慣れない一人暮らしに加え、大学生活で少し孤立していた私にとって、ネットゲームは数少ない居場所でした。
最初は、楽しかったんです。しかし、日に日にゲームする時間は増していき、気が付けば、抜け出せなくなっていました。ほぼ家にひきこもる日々を過ごしていました。
今では検索すると「ゲーム障害」という名前までついていますが、当時はまだスマホが無い時代。パソコンでネットゲームをしている人も少数派だったのではないでしょうか。
2019年5月、世界保健機関(WHO)は「ゲーム障害」を新たな疾病として認定しました。その定義は①ゲームをする時間や環境をコントロー ルできない、②ほかの生活上の関心事や日常の活動よりゲームを優先する、③健康を損なうなど問題が起きているのにゲームをやめない、またはエスカレートさせる――との3条件を満たしたうえで、学業、仕事、家庭・社会生活に著しい障害がある状態が1年以上続くというものです。重症ならば1年以内でも該当します。
読んで役立つ健康情報誌こまどより引用
私はお医者さんにかかったわけではないので、診断されたわけではありませんが、症状はドンピシャです。
あの頃の自分の事を思い返すと、とても複雑な感情が湧いてきます。
依存していた頃の私は、起きてから寝るまで、1日中パソコンの前で、ネットゲーム漬けの毎日を送っていました。
生活は乱れ、気がつくと、起きた時にパソコンの電源をつけずにはいられない、落ち着かない……。そうして内面までもが変わっていく。
焦燥感と劣等感、不安と自己嫌悪。生活の崩れ、身体の不調。
なんだか自分自身が壊れていくような、今のこの苦しみから抜け出したいけど、なかなか抜け出すのは容易ではありません。
抜け出そうと歩き出すものの、また元の木阿弥。一歩踏み出しては、二歩下がり、三歩歩き出しては、また後退する。これもまた苦しいことでした。
その脱却の過程で出会ったのが、図書館でたまたま手に取った古いお経の事が書かれた仏教書でした。
どうして数多の蔵書の中から、この書を手に取ったか、その理由も記憶にありません。しかし、書かれている内容がとても気になって、結局最後まで読んでいました。
著者は、増谷文雄さん。そこから他の著作物も読み始め、そこから、お経に書かれているお釈迦さんの話をたくさん知りました。(※読みやすさでは下記の方がおすすめ)
その時の自分に響く話がたくさんありました。
そしてそれは少しずつですが、ゲーム依存の中で感じていた苦しみを解きほぐす助けとなっていました。
「仏教ってこんなにおもしろい(興味深い)ものなんだ」
「お経ってこんなにおもしろい(興味深い)ものなんだ」
今まで仏教やお経に抱いていたイメージがガラっと変わりました。
このおもしろさを誰かと共有したい。お経の中身をもっと知ってほしい。
これは、僧侶となる動機の一つでもあり、「仏教トーク」を作りはじめた理由でもあります。
ちなみにその先駆けとなったのは「仏教エピソード」です。参考書をたよりに原典をあたって意訳を始めました。
意訳していくうちに、自分の頭の中で話が膨んでいきました。自分が経典の会話に交ざるならこんな会話が成り立つかもしれない。経典中に書かれている会話の文脈から感じること、補足、背景など、自分の言葉にして書きたいことが増えました。
試しに書いてみたらどうなるだろうと書いた結果生まれたのが「仏教トーク」です。一応弟子1が直感的な私、弟子2が理屈っぽい私、分身みたいな感じです。
ちなみにセリフだけでしゃべるこのLine風会話形式は、禅問答の形式から着想を得ました。
ただの翻訳ではなくなってしまいましたが、禅僧の私が原始仏教の経典を読むとどんな風に映るのか。皆様と共有できれば幸いです。