
本記事は「雑阿含経巻第47-1250」の内容をもとに作りました。
名利を求める二人

最近、巷で有名な仏さんが、この近くにいるみたいだぞ。

何? するとそれは、お釈迦さんか?

そう、それ! そんなに有名な人なのか?

おまえ、知らないのか? 最近じゃ結構な有名人だぞ。

そうか! ならそんな有名人に食べ物でも供養したら、俺の世間からの評価も上がるってもんだな。

何? それなら俺の方が先に供養するぞ!

馬鹿野郎。俺の方が先だ!

いや、オレの方が先だ!
二人は互いに言い合いながら、競うようにしてお釈迦さんの所へ向かいました。
名利を求めないお釈迦さん

こら、おまえ! 俺より先に行くな!

うるせぇ。俺が先だ!

なにやら、叢林が騒がしいですね。何かあったのでしょうか?

師匠、大変です!

どうしました?

師匠がこの叢林にいると聞きつけたみたいで、お釜一杯に盛られたご飯を持って、二人が叢林の中に入ってきました。

「俺が先にあの御方に供養する!」「いや、俺が先にあの先生に供養するんだ!」といって喧嘩しています。

その騒ぎを聞きつけて、周りから聴衆も集まってきて、てんやわんやです。

師匠。とっとと彼らの供養を頂いてはどうでしょうか?
そうすれば帰るでしょう。

彼らの行動を観る限り、自分に利する所があるからという理由で、供養をしようと考えていると思われます。そのような動機でなされる供養を受け取るわけにはいきません。

そうはいっても、師匠。私達に供養を持ってきたのですよ。追い返すのですか?

状況を考えてみなさい。

例えば、天から雨が降るじゃないですか。水は下へ下へと流れていきます。師匠の清らかな姿につられて彼らはこの叢林へと流れつき、供養するというのです。
どうかあわれみを以て、彼らの供養を受け取ってください。

彼らは、世間の注目を集めたいという思惑もあるようですが。

言い争っている所から見ると、世間の評判を大分気にしているようです。

そうやって私に対して、名利(名声や利益)を求められても困りますね……。

でも彼らが持ってきた供物の量はハンパじゃないですよ?

私は名利を求めていません。どうして彼らの利益の為に、その供養を受け取る必要があるのでしょうか?

しかし……

ナーギタ。私は今まで修行者が名利を貪り、腹を膨らませて、あおむけに寝ている姿を目にしたことがあります。
おなかパンパンになった腹を抱え、ゼェゼェと言っているその姿は決して幸福だと思えません。むしろ苦しそうでした。

そんな修行者もいたんですね。

若手なんじゃない?

長老と呼ばれる人の中にもいますよ。

それだったら……、供養を頂いた所で問題ないはずでは?

立派に見える長老と言えど、名利を貪れば苦しそうに見えましたよ。

そうなのですか?

はい。ですから、名利を求めてはいけません。むしろ、名利から離れようとする人の方が私は幸福そうに見えました。

そうですか……。

ということで、その名利の為の供養を持ってきたお二人から供養を頂くわけにはいきません。そう伝えてきてください。

かしこまりました。
名利の話も伝えてお帰り頂くよう、言ってきます。
補足情報
出典
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- 雑阿含経巻第47-1250
(一二五〇)如是我聞。一時佛在拘薩羅人間遊行至一奢能伽羅聚落。住一奢能伽羅林中。時有尊者那提迦。舊住一奢能伽羅聚落。一奢能伽羅聚落沙門婆羅門。聞沙門瞿曇拘薩羅國人間遊行至一奢能伽羅聚落住一奢能伽羅林中。聞已各辦一釜食著門邊。作是念。我先供養世尊。我先供養善逝。各各高聲大聲。作如是唱。爾時世尊。聞園林内有多人衆高聲大聲。語尊者那提伽。何因何縁。園林内有衆多人。高聲大聲唱説之聲。尊者*那提伽白佛言。世尊。此一奢能伽羅聚落。諸刹利婆羅門長者。聞世尊住此林中。各作一釜食置園林内。各自唱言。我先供養世尊。我先供養善逝。以是故。於此林中。多人高聲大聲唱説之聲。唯願世尊。當受彼食。佛告那提伽。莫以利我。我不求利。莫以稱我。我不求稱。那提*伽。若於如來如是便得出要遠離寂滅等正覺樂者。則於彼彼所起利樂。若味若求。那提伽。唯我於此像類。得出要遠離寂滅等正覺樂。不求而得。不苦而得。於何彼彼所起利樂。若味若求。*那提伽。汝等於如是像類色。不得出要遠離寂滅等正覺樂故。不得不求之樂不苦之樂。那提迦。天亦不得如是像類出要遠離寂滅等正覺樂不求之樂不苦之樂。唯有我得如是像類出要遠離寂滅等正覺樂不求之樂不苦之樂。於何彼彼所起利樂若味若求。那提*伽白佛言。世尊。我今欲説譬。佛告那提*伽。宜知是時。那提迦。白佛言。世尊。譬如天雨。水流順下。隨其彼彼世尊住處。於彼彼處刹利婆羅門長者信敬奉事。以世尊戒徳清淨正見眞直。是故我今作如是説。唯願世尊。哀受彼請。佛告*那提伽。莫以利我。我不求利。乃至云何於彼彼所起利樂有味有求。那提*迦。我見比丘食好食已。仰腹而臥急喘長息。我見已作是思惟。如此長老。不得出要遠離寂滅等正覺樂不求之樂不苦之樂。復次那提迦。我見此有二比丘食好食已胞腹喘息偃闡而行。我作是念。非彼長老能得出要遠離寂滅等正覺之樂不求之樂不苦之樂。那*提迦。我見衆多比丘。食好食已。從園至園。從房至房。從人至人。從群聚至群聚。我見是已。而作是念。非彼長老如是能得出要遠離寂滅等正覺樂不求之樂不苦之樂。我得如是像類出要遠離寂滅等正覺樂不求之樂不苦之樂。復次那*提迦。我於一時隨道行。見有比丘於前遠去。復有比丘於後來亦遠。我於爾時閑靜無爲。亦無有便利之勞。所以者何。依於食飮。樂著滋味故有便利。此則爲依。觀五受陰生滅而厭離住。此則爲依。於六觸入處觀察集滅。厭離而住。此則爲依。於群聚之樂勤習群聚。厭於遠離。是則爲依。樂修遠離則勤於遠離。厭離群聚。是則爲依。是故那提迦。當如是學。於五受陰觀察生滅。於六觸入處觀察集滅。樂於遠離精勤遠離。當如是學。佛説此經已。尊者那提迦聞佛所説。歡喜隨喜作禮而去」
(大正No.99, 2巻343頁b段7行 – 344頁a段7行)
- 国訳一切経阿含部3巻19頁
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