「お経がどんなものなのか知りたい」と思って、まず大抵の人が手を伸ばすのが、般若心経関連の書物。しかしそれはお勧めしません。
なぜなら、般若経が書かれたのは紀元前後ぐらい、お釈迦さんが亡くなって約500年ほど後の事。般若経は更に約500年ほど編纂を重ね、最後に般若心経が書かれました。つまり1000年ほどのタイムラグがあります。
その間にも仏教の歴史は積み重なり、様々な思想も生まれています。つまり般若心経を読むには、もっと仏教の歴史の変化も含め、色々な土台を勉学したほうが、誤解を防ぐ意味でも有用です。
私がお経を学びたいと思う人たちにおすすめするのが、増谷文雄さんの本です。
増谷文雄著作集
私にとって、増谷文雄さんの本は「仏教ってこんなにおもしろいものなのか!」と学生時代に思わせてくれた本です。(詳しくは後述)
著者、増谷文雄さんは、仏教学者の方です。本のそでにあるプロフィールには、このような紹介があります。
阿含経研究の第一人者、東京大学宗教学科卒業、東京大学講師、東京学国語大学教授、大正大学教授、都留文科大学学長を歴任、1902年2月16日生~1987年12月6日没、などなど。
増谷文雄著作集が全12巻あります。
その中で、私がよく使うのは、以下の二つです。
増谷文雄著作集4
増谷文雄著作集6
増谷文雄著作集は、古書ですので、本屋さんでは手に入りません。私はネットを駆使して買いましたが、手に入れるのは大変かと思います。
私の場合、増谷文雄さんの著書では、大学時代に講義の参考書として、以下の本を最初に持っていました。
【中古】 阿含経典による仏教の根本聖典 新訂版 / 増谷 文雄 / 大蔵出版 [単行本]【宅配便出荷】 価格:1491円 |
こちらの方が手に入りやすいかもしれません。しかし、学術書となるのでしょうか……、少し値段は高めです。
安くて手軽に読みたいというのであれば、こちらがおすすめ。
読みやすさ
仏教学者が書いた仏教書ということで、仏教用語が頻繁に出てきます。私も当時、言葉の意味が厳密に分からない所があったため、参考書や辞書と一緒に読んでいた記憶があります。
こうして今、僧侶となって他の人に仏教を伝える時に、まず注意するのが仏教用語です。
話す側と聞く側のギャップ。話す側が当然のように、専門用語である仏教用語を使ってしまうと、聞いている方は置いてけぼりになってしまいます。
ただでさえ、仏教用語は誤解されていることが多いのに……。
ですから、ある程度の仏教用語を知らないと、さらなる誤解の恐れや全く訳が分からず途中で挫折するなんてことがあるかもしれません。
私は個人的に、仏教辞典を片手に読むことをお勧めします。
以下、読みやすさ順。
- 『仏教百話』
- 『根本仏教の研究』『仏陀の伝記 仏伝のこころみ』
- 『阿含経典による仏教の根本聖典』
本との出会い(増谷文雄著作集)
冒頭でも述べたように、増谷文雄さんの本は、仏教のおもしろさを伝えてくれた本でした。私にとって、思い入れのある本です。
私にはネット・ゲーム依存(ゲーム障害)の経験があります。
今ではこういう場でもお話できるようになりましたが、辛く苦しい思い出です。
そこから立ち直る過程は紆余曲折あるのですが、私はその過程で、一つ、学生の本文である学業に本気で取り組むようにしました。
といっても、急に何してもいいのかわからないわけですが、とりあえず講義をちゃんと受け、図書館で書物を読み漁ることにしました。
そうやって読み漁っているうちに出会ったのが、この『増谷文雄著作集』だったわけです。
今だからこそ思うのですが、当時の私には必要な本だったんじゃないかと思います。
読んだその時に何か得たとかというわけではないのですが、その時に感じた事、種みたいなものが今の私に繋がっていると思うのです。
縁とは不思議とよく言いますが、自分にとって必要なものって、本気になると、まるで計ったようにそこにあったりします。根拠がある話ではないのですが……、不思議です。
どんな本?(増谷文雄著作集4,6)
できる限り修飾されざる人間釈尊の姿を再現したい
『仏陀の伝記 仏伝のこころみ』(増谷文雄著作集6)の冒頭に「開題」として、増谷文雄さんが書かれています。
上記の文章からも感じられるように、「現存する古い経典を頼りに、そこから人間であるお釈迦さんの実像を可能な限り掘り出していく」本と言ってもいいのかなと思います。
『根本仏教の研究』(増谷文雄著作集4)においても、基本的にはそういう立場から書かれています。
人間釈尊?
釈尊とは、お釈迦さんの事です。人間釈尊、つまり、人間であるお釈迦さんということですね。
「え? お釈迦さん(仏さん)て人間なの?」と思う方もいるかもしれません。
そう思うのも無理はありません。かくいう私自身も、そう思っていたうちの1人ですから。
一般的なイメージというか、当時私が仏教に抱いていたイメージですが、お釈迦さん(仏)はどこか遠くの存在、それは特別な存在でした。
それこそ、神様、仏様と崇めるようなイメージです。
だからお釈迦さん(仏)は「崇拝」すべき対象、信じるべき対象でなければいけないと思っていました。本気かどうかは別として。この辺りは、先入観だけの話ではなく、仏教系の寮で生活していたことも影響があったかもしれません。
まぁ、お釈迦さんは歴史上実在した人物であることは、私自身も在学中に、既に講義できいたことがありました。
ただ、私にとって仏教学は興味の薄いというか、言い方を変えれば、どこか他人事のようにしか、講義を聞いていませんでした。
学びたくて学んでいるわけではなくて、立場上、学ばないといけないから学んでいる、ただの作業、ただのマニュアルという感じでしょうか。
そうなる理由は簡単です。お寺の息子で跡継ぎだから。そこに本人の意志はなく、ただただ、学校に行っていたわけです。
ただし、私はそこから外れました。寮生活も失敗して、挫折して、しまいには、黒歴史といってもいい状態になっていました。
でも、ある意味これはこれで良かったのかもしれないと今では思います。
だって私に、自らの進んできた道に対して疑うことを教えてくれたわけですから。「私は本当にこのままでいいのか!?」というやつです。
どうしてこのような話をしたのかというと、冒頭にて立ち直る過程でこの本に出会ったとも言いましたが、当時の私は仏教を疑ってかかっていました。
そんな私に、この本は「仏教ってこんなにおもしろいものなのか!」と言わしめたわけです。
少なくとも、お釈迦さんに対する印象は、間違いなくこの本のおかげで、変わりました。
お釈迦さんもまた、自分と同じように、人間味あふれることを知りました。
それまでの「崇拝」という感覚は既になくなっていましたが、代わりに「尊敬」の念が生まれていました。
「悩みもすれば、苦しみもする。喜びもすれば、楽しみもする。そんな人間味あふれるお釈迦さんが残した、生きるヒントの数々。それが仏教なんだなぁ」と。
他人事としての仏教ではなくて、自分事として身近に仏教が受け止められた本として、最初に出会った仏教書です。
その他情報
上記は主に『増谷文雄著作集』について話ですが、冒頭で紹介した以下二つの本についても、少し触れておきます。
『阿含経典による仏教の根本聖典』大蔵出版株式会社
こちらは、大学の講義にて、「参考書として買って下さい」と促されて買った本だったと思います。少し記憶が曖昧ですが。
何にせよ、『増谷文雄著作集』に出会う前から手元にあった本ですね。
『増谷文雄著作集』は、著者の見解なども細かに書かれているのに対して、こちらの本は、阿含経典というお経の翻訳のみが書かれています。
ただし、経典上ではバラバラの順番が、お釈迦さんの足跡にそって、ある程度まとめられているので、時間軸を基に捉えやすいのが特徴でしょうか。
個人的にはなりますが、イギリス留学中に「日本語が恋しくなるよ」ということで携帯していた書物の一つです。
『仏教百話』ちくま文庫
文庫ということで、安く、今でも新刊で手に入れることができます。
筑摩書房のHPを確認しても、定価で本体660円+税でした。(2019年1月現在)
もちろん経典がベースですが、翻訳というよりは、簡潔に話をまとめてくれています。どの話も1話2Pと大変よみやすいです。
さらに注釈で、仏教用語の意味も載せてくれています。簡単にではありますが。
何にでも言えますが、簡潔になればなるほど読みやすくなるのですが、その分細かなニュアンスが伝わりません。クローズアップすればするほど見やすくなる分、見える範囲が狭くなってしまうのと同じですね。
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