本記事は「雑阿含経巻第26-708」の内容を基に作りました。
心に育つ樹
この前、街に托鉢に行った時のことなんだけど。
ん、どうしたの?
一緒に行った修行者の行動がどうにも気になってしまって……。
何かあったの?
供物がもらえないってすごく不機嫌になっている修行者がいて。
どうして、その人は不機嫌になっていたの?
その人は最初、私と別の場所で托鉢をしていたんだけど、私が托鉢の供物を頂いたことに気が付くと、すぐさま私の近くまでやってきて、施主に向かって「俺にもくれ!」って催促していたの。
そして、また別の修行者が他の場所で供物を施主からもらっているのに気づくと、そちらに行って、「俺にもくれ!」って催促して周っていたんだよ。
「供物が欲しい!」「供物をよこせ!」って、まるわかりの行動をしてんたんだね。
うん。それで供物が頂けないと、すごく不機嫌になってた。
あらあら……。
しかも、若い女性を見かけたら、鼻の下伸ばして見ているし。
なんだかやりたい放題だね。
そんなだから、結局、皆警戒しちゃって。近寄りがたくなってたの。それで余計、供物もらえないってイライラしてた。
同じ修行者といっても、色んな人がいるんだね。でも修行者がそんなんでいいのかな?
師匠。これについてどう思われますか?
今(約2500年前の古代インド)の世では、身分を捨て、家を出ます。いわゆる出家ですね。そして道を学びます。
私達、仏教の場合は、頭を剃り、僧侶の衣服であるお袈裟をつけ、心から願い出家して学びます。
ただ残念ながら、そのように出家しても愚かな者はいます。例えば、お袈裟をつけ、町に托鉢に行ったとしても、自分の愚かさに気づかない者がいます。
さっきあなたが言ったような行動をしていては、心の思うまま、やりたい放題になってしまいます。むき出しの欲望は大きな炎となって燃え上がり、自身の心を焼き、身を焼くでしょう。
確かに、イライラして不満そうだったけど、同時に不機嫌で、不満で、苦しそうにも見えました。
それでは、長続きしません。どこかで修行者としての自分に嫌気がさして、やめてしまうでしょう。
そして、日頃から修行者として教えたもらっていたことも忘れてしまい、自らを後退させてしまいます。
出家する前、俗世の事に嫌気がさして出家した。
そして道を学んでおきながら、その愚かさに気づかず、多くの過ちを犯して、かえって罪に染まってしまう。
自らを破滅させ、またそれに嫌気がさして、長続きせず、やめてしまう。そして、その罪に埋没してしまう。
まるでニグローダの樹のように。
ニグローダ?
この樹は、他の樹木にまとわりついて、どんどん大きくなっていくんだよ。まとわりつかれた樹はやがて覆いつくされて、成長できなくなってしまうの。
同じように私達の心の中にある「節度」という心の樹も、覆いつくされてしまうでしょう。
たとえ、その種子が最初はどんなに小さなものだったとしても、放っておけば心の中に広がって、心樹を覆いつくします。ニグローダの樹のように。
なるほど。私達の心の中にも、樹々が育っていくんですね。
でも、悪い心も善い心も、樹であることには代わりないですよね。
はい。よく学び、よく行じれば、あなたを後退させるものは、転じてあなたを前身させるものとなるでしょう。
補足情報
出典
- 雑阿含経巻第26-708
(七〇八)如是我聞。一時佛住舍衞國祇樹給孤獨園。爾時世尊告諸比丘。若族姓子。捨諸世務。出家學道。剃除鬚髮著袈裟正信非家。出家學道。如是出家。而於其中。有愚癡士夫。依止聚落城邑。晨朝著衣持鉢。入村乞食。不善護身。不守根門。不攝其念。觀察女人少壯好色。而生染著。不正思惟。心馳取相。趣色欲想。爲欲心熾盛。燒心燒身。返俗還戒。而自退沒。厭離俗務。出家學道。而反染著。増諸罪業。而自破壞。沈翳沒溺。有五種大樹。其種至微。而樹生長巨大。而能映障衆雜小樹。蔭翳萎悴。不得生長。何等五。謂揵遮耶樹迦捭多羅樹・阿濕波他樹・優曇鉢羅樹・尼拘留他樹。如是五種心樹。種子至微而漸漸長大。蔭覆諸節。能令諸節蔭覆墮臥。何等爲五。謂貪欲蓋。漸漸増長。睡眠・掉悔・疑蓋。漸漸増長。以増長故。令善心蔭覆墮臥。若修習七覺支。多修習已。轉成不退。何等爲七。謂念覺支・擇法・精進・猗・喜・定・捨覺支。如是七覺支修習多修習已。轉成不退轉。佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行
(大正No.99, 2巻190頁a段8行-29行)
- 国訳一切経阿含部2巻217頁
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