
そのため、日によって頂くものはさまざまです。
ある日、弟子たちは「今日はどんな食べ物を頂いたか」という話で盛り上がっていました。豪華な食事だった人もいれば、質素な食事だった人もいます。
やがてその話は、「多い」「少ない」「ずるい」「平等ではない」といったやり取りへと変わっていきました。
すると、その様子を見ていたお釈迦さんが静かに声をかけます。
「その話は、仏法を理解する上で、何の利益があるのですか。」
弟子たちの「食べ物談義」

今日のご飯、何だった?

私は今日お肉は入ってたよ。

マジかよ。いいなぁ。私の場合、托鉢で頂くものは、いつも決まったもんばかりなんだよ。

そうなの?

そうそう。こう言っては何だけど、実に質素な食べ物ばかりで……。○○とか、○○とか、だよ。

私は結構、色々なもの頂くよ。昨日施して頂いたものなんて、実に豪華だったよ。○○でしょ。それに○○も。

……ちょっと。同じ僧侶なのに、あなただけ、ずるくない? 今度私にも頂戴よ。

いやだよ。それにずるいことないでしょうよ。
あなたが頂く施しも私が頂く施しも、施しにはかわりないでしょうよ。

これって絶対、平等じゃないよ。少しぐらいこっちにくれてもいいじゃない!

私が頂いたものなんだから、絶対にあげないよ。あなたが直接もらえばいいじゃないか。
お釈迦さんの諭し

あなた達、一体何の話をしているのですか?

あ、お釈迦さん。ええっと……。「今日、何食べたか」って話ですよ。

そうです。「どのような施しを受けているか」という話です。

あなた達、そのような話はよしなさい。
それは仏法を理解する上で、何の利益ももたらしません。

でも、「施し」のですから、布施行にも関連するでしょう。

そうですよ。利益になる話です。

それは方向性が違います。
ですよね?

はい……

申し訳ございませんでした。
補足
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動画版
原文
- 雑阿含経巻第16-415
(四一五)如是我聞。一時佛住王舍城迦蘭陀竹園。時有衆多比丘。集於食堂。作如是説論。某甲檀越。作麁疎食。我等食已。無味無力。我等不如捨彼麁食而行乞食。所以者何。比丘乞食時得好食。又見好色。時聞好聲。多人所識。亦得衣被臥具醫藥。爾時世尊。於禪定中。以天耳聞諸比丘論説之聲。即詣食堂。如是廣説。乃至正向涅槃。佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行
(大正No.99, 2巻110頁b段5行-14行)
- 国訳一切経阿含部2巻32頁
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※1托鉢
修行者が町を歩いて、人々から食べ物や供物をいただくこと。乞食ともいう。




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