たとえ話

仏教トーク

キツネが黙って教えてくれたこと

怪我をしたキツネを助けたお釈迦さん。野に帰ったキツネを見送りながら、弟子たちは「恩を知る」ことの意味を問い直します。経典に残る静かな一場面。
仏教トーク

「俺が先に供養する!」と争う二人に、お釈迦さんは何を見たか

名声を上げたいから供養する──そんな動機が透けて見えた瞬間、お釈迦さんは何と言ったのでしょうか。雑阿含経をもとにした対話です。
仏教トーク

特別な方法はありません──職人の日常のように

「すぐにどうにかできる方法はありますか?」煩悩と上手く付き合えないと打ち明けた弟子に、お釈迦さんは金属職人の仕事を語りはじめた。
仏教トーク

心に育つ樹|欲望に覆われないためのニグローダのたとえ

街での托鉢での出来事から学ぶ、修行者の心と欲望のあり方。ニグローダの樹の比喩で、心の成長と節度の大切さを仏教的に解説します。
仏教トーク

なぜ同じ師が、人によって教え方を変えるのか——乳母のたとえ

「私にばかり小言を言う」——弟子の不満にお釈迦さんが語ったのは、乳母と赤ん坊のたとえでした。手をかけること、手放すこと。その先に何があるのか。
仏教トーク

罠にかかった猿のたとえ

片手が罠にかかると、外そうとしたもう片方の手も捕まってしまう。お釈迦さんはこの猿のたとえで、縄もないのに自らを縛る「無縄自縛」の状態を語ります。雑阿含経のたとえ話を会話形式で。
仏教トーク

棒の上で自分を護ることは、相手を護ることでもある――曲芸師のたとえ話

師匠の肩の上で棒のてっぺんに乗る曲芸。自分を護ることに必死だった弟子に、師匠はこう言います。「それで良い」と。雑阿含経のたとえ話から、護るということの意味をたどります。
法の種

漏尽について

漏尽という仏教用語について
仏教トーク

黒い牛は白い牛を繋いでいるか|シッタラ(質多羅)長者のたとえ話

眼が先か、色や形が先か。弟子たちが食堂で議論していると、シッタラ長者が通りかかります。「黒い牛と白い牛が互いに繋がれているとしたら、どちらがどちらを繋いでいるのか」——長者のたとえ話が、問いの構造そのものをひっくり返します。
仏教トーク

女性修行者に誘惑されるアーナンダ(阿難)の話

仏教では欲望をどう扱うのか。アーナンダが迫られた誘惑の場面と、そこから語られた説法を雑阿含経より会話形式でたどります。欲・懺悔・戒めに関心がある方へ。
仏教トーク

葉っぱから学ぶ仏法の伝え方:言葉で伝わることと伝わらないこと

お釈迦さんが手にした一枚の葉を通して、言葉で伝えられる仏法と、まだ伝えきれない仏法の違いを弟子と語り合う。点と点をつなぎ、学びを深める視点を紹介。
仏教トーク

第二の矢のたとえ|仏弟子と凡夫の違いを会話で学ぶ

花を見て「欲しい」と思う。その次に何が起きているのか。雑阿含経が説く「第二の矢」のたとえを通して、凡夫と仏弟子の心の働きの違いを、会話形式でたどります。
仏教トーク

風の感覚でたどる、仏教の四諦の教え

風が吹けば、ある人には心地よく、ある人には不快です。この「受」の風から、苦諦・集諦・滅諦・道諦をたどります。雑阿含経をもとに、自然のたとえで四諦の教えを考えます。
仏教トーク

四諦って何? お医者さんのたとえで学ぶ苦しみと解決の道

お釈迦さまが説いた「四諦」の教えを、日常でもわかりやすいお医者さんのたとえで解説。苦しみの真実とその解決の道を、対話形式でじっくり学べます。
仏教トーク

煩悩と草木のたとえ——迷いや苦しみを見つめる

煩悩は雑草のように、放っておくと根を張り、抜きにくくなっていく——しかし根絶やしにすれば、作物も育たない土地になってしまう。お釈迦さまと弟子たちの対話を通して、煩悩との向き合い方を考える仏教トーク第10話です。雑阿含経をもとに構成しています。
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