「お経に、漢字ばかり書かれているものと和文のものとがあるけれど、これは何故?」
今回は、この質問に関して、記事にまとめてみました。
お経の分類(文字)
お経の分類の仕方には様々なものがありますが、そのうちの一つに、書き方による分類の仕方があります。
私達日本人が触れるお経は、「陀羅尼・漢文・和文」の三つに大きく分けることができます。
これら三つには、目に見えて分かる違いがあります。実際にお経を例にしてみましょう。
- 陀羅尼
- 漢字だけで書かれている。
- 漢字から意味を読み取ることができない。
- 書き下し文にできない。
大悲心陀羅尼
南無喝囉怛那哆羅夜耶。南無阿唎耶。婆盧羯帝爍鉗囉耶。菩提薩埵婆耶。摩訶薩埵婆耶。摩訶迦盧尼迦耶。唵。薩皤囉罰曳。數怛那怛寫。南無悉吉利埵伊蒙阿唎耶。婆盧吉帝室佛囉楞馱婆。南無那囉。謹墀醯唎。摩訶皤哷。沙咩薩婆……
「南が無い、喝……」と漢字から意味を読み取ることができません。後述しますが、音写されており、漢字自体に意味はありません。
- 漢文
- 漢字だけで書かれている。
- 漢字から意味が読み取れる。
- 書き下し文にできる。
摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減……
陀羅尼と違い、こちらは、「観自在菩薩が深く般若波羅蜜多を行じた時、五蘊は皆、空であると照見し……」というように、書き下し文にできます。
- 和文
- 漢字だけでなく、送り仮名(平仮名)がある。
修証義
生を明らめ死を明らむるは佛家一大事の因縁なり。生死の中に佛あれば生死なし。但生死即ち涅槃と心得て生死として厭ふべきもなく、涅槃として欣ふべきもなし、是時初めて生死を離るる分あり……
こちらは、日本語として読むことができます。所謂、古文ともいえるでしょう。
このように、陀羅尼、漢文、和文と、大きく三つに分類できます。
それでは、何故このような違いがあるのでしょうか。
その疑問に応えるには、お経の歴史にも触れなければなりません。
陀羅尼について
お経の成立は、今から約2500年前の古代インド。お釈迦さんの滅後(亡くなった後)に、弟子達によって作られました。
お釈迦さんの説法の内容や、その場の状況・経緯などを弟子達の中で話し合いながら、整理したわけですが、お経を作るといっても、文字として残したわけではありません。
お経のはじまりは、全て口伝でした。
文字として書かれるようになったのは、お釈迦さん滅後、200年~300年後と言われています。この時に使用された文字が、パーリ語・サンスクリット語と呼ばれる文字でした。
ところで、当然のことながら、言葉は変化します。現代人が古典を読む感覚と同じように、現代文と古文には違いがあります。
お釈迦さんの教えが綴られた言葉は、時代の経過と共に、古い言葉へと変わります。
伝えられた言葉をそのまま残そうとすれば、古い言葉のまま伝承されます。また、意味を伝えようとすれば、現代の言葉へと変容していきます。
一説によると、お釈迦さんが生きていた時に使っていた文字は古代マガダ語だと言われていますから、これらの言葉の変容による違いを、当時の人も感じていたかもしれません。
それは、インドから中国にお経が渡った時にも、同じだと考えられます。
パーリ語やサンスクリット語で書かれたお経は、インドから中国へと渡りますが、もちろん、中国では、漢字が使われています。パーリ語やサンスクリット語のままでは、読めません。
よって、漢文へと書き直していくわけですが、その際、できるだけ、伝えられた言葉をそのまま残そうとして考えられたのが、「陀羅尼」です。
つまり、翻訳をせずに、そのまま、音写したわけです。
音写というのは、例えば、英語をカタカナ表記するようなものです。
例)apple → アップル
これが漢字なら、「亜付留」となるのでしょうか。言い換えれば、当て字ですね。
できる限りお釈迦さんが使っていた言語に近い形で残したい。こういう思いが陀羅尼の始まりともいっていいのではないでしょうか。
漢文
一方、音写ではなく、パーリ語・サンスクリット語のお経から読み取れる意味を、漢文に訳していったお経も数多くあります。所謂、意訳ですね。
例えば、「南無」という言葉がありますが、これは “namo” というサンスクリット語が音写されたものです。
この「南無」を漢訳すると、「帰依」という言葉となります。「依り(所)に帰る」と何となく漢字から意味が読み取れますね。
つまり、南無と帰依は原語が同じという事です。そして、陀羅尼では南無と表記され、漢文では、主に帰依と訳されているわけです。
さて、漢文で書かれたお経の中には、こうして、パーリ語・サンスクリット語から翻訳されたものと、もう一つ、中国で生まれたお経もあります。
中国独自の思想や文化などを背景に生まれたお経は、もちろん、漢文として書かれました。
ですから、漢文のお経といっても、決してひとまとめには考えらません。冒頭で述べたように、これがお経の分類法が一つではない理由の一つです。
以下、お経の歴史について簡単にまとめたものでは、また別の観点からお経の分類について考えることができるでしょう。
さて、古く日本では、漢文が公用語(国など公の場で使われる言葉)として用いられていました。ですから漢訳されたお経は、昔の日本人にとっても、馴染みやすいものでした。
昔の日本人といっても、識字率は現代と比較にならないほど低いわけですから、文字を扱うことのできた人達に限られますが……。
今でもお経は、漢文のまま読むことが多いですが、以上の流れを見てみると、合点がいくのではないでしょうか。
特に、「偈(仏教では、教えとして詩にされているものを「偈」という)」の所は、漢詩として、韻なども良く考えられて翻訳されている為、当時の翻訳家の努力を感じずにはいられません。
そもそも、お経のはじまりが、口伝。つまり、暗唱しなければなりません。偈(詩)の形となるお経が多いのは、できる限り、覚えやすいようにとの心配りを垣間見ることができます。
そんな心をもしっかりとくみ取っているかのようにみえる漢文のお経。漢詩として完成されている漢文のお経だからこそ、今でも漢文として読誦することが多いのかもしれません。
和文
さて、日本では、漢文のままお経が読まれることが多いといっても、和文のお経がないわけではありません。
もちろん、漢文から和文にされたお経もあります。
曹洞宗でいえば、参同契・宝鏡三昧などが、それに該当するでしょうか。
あまり聞きなれない方も多いかも知れませんが、これらのお経は、日常的に朝課(朝のお勤め)でも読まれるお経で、曹洞宗のお坊さんにとっては馴染みのあるお経です。
中国の有名な禅僧によって書かれたもので、元は漢文でしたが、現在、朝課の際には、書き下して、和文にされたものを読んでいます。
(参同契については、法話のテーマでも扱っていますので、興味があれば是非。)
また、大蔵経というお経があります。これは、漢文としてあるお経の全てが集まられているお経と考えていいでしょう。
そして、この大蔵経を書き下したお経も当然あります。「国訳一切経」というものですね。
このように、漢文から和文にされたお経もある一方で、日本で生まれたお経も、当然あります。
例えば、「修証義」というお経もその一つです。実は、このお経が編纂された時代は、本当にごく最近で、明治23年のことです。
中国から日本へ曹洞宗の教えを伝えた道元禅師が書かれた「正法眼蔵」という書物がありますが、この正法眼蔵に書かれている言葉を抜き取って、新たに修証義というお経が編纂されました。
ちなみに、正法眼蔵は、鎌倉時代では珍しく、元から和文(日本語)で書かれたお経です。
先述しましたが、当時は、公用語として漢文が用いられていた時代でした。正式な書き物としては、漢文が用いられた時代です。
ですから、たとえ日本で生まれたお経といえど、漢文で書かれることが多かったそうです。
しかし「正法眼蔵」は、日本人に向けて、日本人の為に、日本語で書かれた、当時でも珍しいお経。とある講義でそのように言っていた教授の言葉が印象的でした。
余談
陀羅尼は、パーリ語・サンスクリット語の音写。
漢文は、パーリ語やサンスクリット語のお経が意訳され、漢字で書かれたもの。または、中国や日本で生まれたお経。
和文は、漢文の経典が和文にされたもの。または、日本で生まれたお経。
以上の三つに分類できます。
ちなみに、パーリ語・サンスクリット語のお経の中にも、お釈迦さんの教えとして口伝として伝えられたお経を書き残したものもあれば、新たに、作られたお経もあります。
大乗仏典と呼ばれるお経も新たに作られたお経の一つで、「般若心経」もこの大乗仏典の一つです。
大きく分けると、お釈迦さんの教えとして口伝として伝えられた経は「阿含経典」としてまとめられており、後に古代インド内で作られたお経は「大乗仏典」として分類できます。
また、古代インドの経典に関していえば、弟子たちがお釈迦さんの教えを口伝したものを「経藏」、戒や律などをまとめたものを「律藏」、これらことについて詳細に論じたものを「論藏」と、このような三つに分類もあります。
これらは「三蔵」と言い、三蔵法師とは、元来、この経・律・論の三蔵に精通している僧のことを指します。
三蔵法師と言えば、西遊記から想像する玄奘三蔵。玄奘さんもインドから中国へたくさんの経典を伝えた大翻訳家で、文字通り三蔵に精通した三蔵法師です。
しかし、三蔵法師は玄奘さん一人だけではなく、その他にもたくさんいます。
いずれにせよ、これら経典の分類の仕方は、歴史の流れの中で積み重ねられてきたものでもあります。興味があれば、他の分類の仕方も知っていくと、お経の歴史を把握する上でもきっと役に立つでしょう。
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