世界という言葉は、もともと仏教の言葉だった。

無益な争論4|豪華か貧相か、多いか少ないか
「出典:雑阿含経巻第16-415」お釈迦さんはあえてそのことについて答えない。お経の中にその答えは記されていない。答えが無いことで議論が熱くなって、争ってしまう。そんな弟子達に向けるお釈迦さんの応え(対応)は?

※本記事は上記仏教トークのあとがきとして書きました。

世界

さて、今回の仏教トークでは、仏教用語について触れていましたが、これは次回「業」について触れるのでその前置きです。

私達が普段使っている日本語の中には、仏教の言葉がたくさん紛れ込んでいます。ただその意味は長い歴史の中で、変容していきました。

ですから、仏教で扱っていた元々の意味と、今私達が認識している言葉の意味が異なっているということが案外多いのです。

この間、老師の話で「世界」という言葉も仏教用語だったと聞いて、私は「へぇ~」っと思いました。

確かに「世界」を仏教辞典で調べてみると、仏教用語として載っています。

仏教用語としては「世」は、時間を表します。仏教では「三世さんぜ」と使われますが、これは過去・現在・未来を表します。

そして「界」は空間を表します。仏教では「十方世界」と言ったりもしますが、これは東・西・南・北・東南・西南・東北・西北・上・下を表します。

時間や空間、これが世界ということになるのでしょうか。

こういう言葉の探索・吟味するというのは、新たな発見があっておもしろいものですね。

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