
本記事は「雑阿含経巻第47-1264」の内容をもとに作りました。
キツネの知恩報恩

あれ? 何か聞こえませんでしたか?

あれは狐の声だと思うのですが。他の者も聞こえますか?

私も確かに聞こえました。

少し苦しそうな声に聞こえますね。

師匠。道場の近くで、キツネが怪我をしています。

なるほど。そういうことですか。ケガのせいで鳴いていたのですね。誰か治療できるものはいないですかね?

私が呼んできます。

お願いします。私達も様子を見に行きましょう。

どうも怪我のせいで動けないようですね。

師匠、連れてきました。

私も獣の治療は専門ではないので、どこまでできるか分かりませんが……

お願いします。

とりあえず、傷口を食塩水で洗いましょうか。

ありがとうございます。きっとこのキツネも感謝していますよ。

師匠。キツネにそんな恩とか、感謝とかいう心はあるんですか?

恩も知っているし、恩に報いる事も知っていますよ。

そういうものですか?

案外、人の方が忘れてしまっている事が多いかもしれませんよ。

とりあえず、このまま様子を見ましょう。

早く元気になるといいですね。

その後、キツネは元気に野に帰っていきました。

キツネも元気になって野に帰って行きましたね。

そうですね。良かったです。

感謝の言葉はなかったですけどね(笑)

それは、キツネですからね。
しかし、恩に感じていたのではないですか?

どうでしょうか。

でも少なくともこの何日か、私達に、警戒はしてなかったように思います。

確かに、野生の動物が私達を警戒しないという事自体が、珍しいことだけど。

私は正直、あそこまで人間を警戒しないで接してくれるとは思わなかったです。

そういう意味では、治療される事が当然だと思っている人の方が、横柄な態度をとってくる事がありますね。

治療法や予防をお伝えしても、それを守らずに、また同じ怪我や病気を繰り返す人もいます。

でもキツネは次は怪我しないように、もっと慎重になるんじゃないですかね。

野生の動物ですから、おそらく今回の件から色々と学ぶでしょう。

師匠がいうように、案外、人の方が恩を知り、報いることを忘れている場合があるかもしれませんね。

ですから、私達僧侶は、よく学ばなければなりません。キツネのように、小さな恩を知り、報いることを忘れることがないように。

小さな恩ですか?

私達はただ傷口を洗っただけでしょう?

確かに。

それに私達はこうして仏道を歩んでいます。
この大恩を忘れる事ができるでしょうか?

しかと、肝に銘じておきます。
補足情報
出典
- 雑阿含経巻第47-1264
(一二六四)如是我聞。一時佛住王舍城迦蘭陀竹園。爾時世尊夜後分時聞野狐鳴。是夜過已。於大衆前敷座而坐。告諸比丘。汝等於夜後分。聞野狐鳴不。比丘白佛。如是世尊。佛告比丘。彼野狐者疥瘡所困。是故鳴喚。若能有人。爲彼野狐治疥瘡者。野狐必當知恩報恩。而今有一愚癡之人。無有知恩報恩。是故諸比丘。當如是學。知恩報恩。其有小恩尚報終不忘失。況復大恩。佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行
(大正No.99, 2巻346頁a段26行-b段6行)
- 国訳一切経阿含部3巻34頁
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