本記事は「雑阿含経巻第26-685」の内容を基に作りました。
伝えたい事は同じでも、伝え方は千差万別
師匠は、私達には「あれはこうしなさい」「これはこうしないように」と言うくせに、そうやって言わない人もいるよね。
そうだね。私達にばかり小言を言って、不公平だよね。他の人には言わないのになんで私達がっかり……。
それって不公平なのかな?
師匠。どうなんですか?
え? 師匠、おられたんですか?
せっかくなので、そのことについてお話しましょうか。
たとえば、赤ん坊にはお世話が必要です。うんちやおしっこをしたら綺麗にしてあげますよね?
お風呂にも入れてあげたり、お乳もあげなくてはいけないですね。
着替えや移動など、随時お世話が要りますね。それどころか、放っておいたら何をするかもわかりません。いつも見守っておかないといけないですよね。
そうです。たとえば、何を口にするかもわかりません。
もし、変な物を口にしようとした時は、注意しますよね。止めようとしますよね?
そうですね。気づいたら、止めますね。
変な物を実際に口に入れなければ良いのですが、赤ん坊のことですから、気づかないうちに、口に入れてしまう事だってありますよね?
もし変な物を実際に口に入れてしまったら、それこそ赤ん坊がどんなに泣いて嫌がろうが、口から取り出します。
赤ん坊がその時、どんなに嫌がろうと、必ず吐き出させなくてはなりません。その子が健やかに育つように。
もし、その子が大きくなってある程度分別が付くようになってきたら、変な物を口にすることはないですよね?
その子が大きくなっていったら、そうした危険な物や汚い物に触れる事さえなくなるでしょう。
そうしたら、変な物を口に入れることがあると思いますか?
いいえ。ないですね。
子どもが小さい時はそれこそ息をつく暇もないほどお世話をします。しかし、子が大きくなるにつれ、色々な事を覚え、身につけていきます。
大きくなった子に赤子と同じ世話をしますか?
いいえ。しません。
むしろ、大きくなるにつれ、子は親の手を離れていきます。親も赤子の時のように随時かまうことはしません。その子が大きくなって、自分の足で歩むことを覚えていくからです。
私が弟子達に対して接するときも同じ事です。
仏法を学び始め、まだ智慧が足りなければ、当たり前の事ですが、法を以てこれを随時教え授けます。
しかし、長い事学び智慧が深くなれば、当たり前の事ですが、手放し、随時教え授けることはしません。
その人は、見境なくやりたい放題になることも、怠ることもないでしょう。その智慧がそのように成り立たせているのですから。
補足情報
- 出典:雑阿含経巻第26-685
(六八五)如是我聞。一時佛住舍衞國祇樹給孤獨園。爾時世尊告諸比丘。譬如嬰兒。父母生已。付其乳母。隨時摩拭。隨時沐浴。隨時乳晡。隨時消息。若乳母不謹愼者。兒或以草以土。諸不淨物。著其口中。乳母當即教令除去。能時除却者善兒不能自却者。乳母當以左手持其頭。右手探其哽。嬰兒當時雖苦。乳母要當苦探其*哽。爲欲令其子長夜安樂故。佛告諸比丘。若嬰兒長大。有所識別。復持草土諸不淨物。著口中不。比丘白佛。不也世尊。嬰兒長大。有所別知。尚不以脚觸諸不淨物。況著口中。佛告比丘。嬰兒小時。乳母隨時料理消息。及其長大。智慧成就。乳母放捨。不勤消息。以其長大不自放逸故。如是比丘。若諸聲聞。始學智慧未足。如來以法。隨時教授。而消息之。若久學智慧深固。如來放捨。不復隨時慇懃教授。以其智慧成就不放逸故。是故聲聞。五種學力。如來成就十種智力。如上廣説。佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行
(大正No.99, 2巻187頁b段7行-26行)
- 国訳一切経阿含部2巻208頁
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