前世の「業」の話はやめなさい|仏教でいう<業>とは?

ちしょう
ちしょう

本記事は「雑阿含経巻第16-414」の内容を基に作りました。

そのような話はよしなさい

弟子A
弟子A

私達の前世ってなんだったんだろうね?

弟子1
弟子1

え?  突然何の話?

弟子B
弟子B

私はきっと「チョコレート」だな。大好きだし。

あなたは?

弟子A
弟子A

魚かなぁ。泳ぐのというか、水の中が好きだし。

弟子B
弟子B

魚だったら何してたの? もちろん泳ぎは得意だよね。

どんな生活してたの?

弟子A
弟子A

もちろん泳いで暮らしてたさ。食事は水中のプラクトンだろうね。

水こそ我がで……

お釈迦さん
お釈迦さん

あなた達、一体何の話をしているのですか?

弟子A
弟子A

「前世は一体なんだったのか?」という話ですよ。

弟子B
弟子B

そうですよ。前世の話、いわゆる、宿業、宿命ってやつですね。

私達「業」について語っていたのです。

お釈迦さん
お釈迦さん

あなた達、そのような無益な話はよしなさい。

それは仏法を理解する上で、何の役にも立ちません。

弟子A
弟子A

え? これって、「業」の話じゃないんですか?

弟子B
弟子B

そうですよ。お釈迦さん師匠だって、「業」の話するじゃないですか。

お釈迦さん
お釈迦さん

方向性が違うのです。

どうしても話したいというなら、まずは四諦の教えの所から学びなさい。

弟子A
弟子A

はい……

弟子B
弟子B

申し訳ございませんでした。

お釈迦さんは退席しました。
弟子A
弟子A

「はい」とは、返事したものの、じゃぁ「業」って何なわけ?

弟子B
弟子B

お釈迦さんししょうのいう<業>と、私達のいう「業」と、一体なにが違うの?

弟子1
弟子1

確かに、お釈迦さんししょうも業の話をするけど、あなた達の話の内容と違う気がする。

弟子2
弟子2

あなた達が言っている「業」は、周りの人達(約2,500年前の古代インドの人々)が言っている「業」だからね。

弟子1
弟子1

周り(古代インド時代)の風習ってこと?

弟子2
弟子2

そういうこと。

弟子A
弟子A

どういうこと?

弟子2
弟子2

んー。周り(古代インド)は、どんな文化や風習があって、どんなことが一般常識として考えられていたのか、ってことなんだけど。

弟子1
弟子1

カースト制度とか、周り(当時)の様子も関連するよね。

弟子2
弟子2

簡単にいえば、周り(古代インド)の人達は、人は生まれた時点で、自分の身分も何もかも決まっていたわけ。

弟子1
弟子1

前世があるって当たり前のように考えられていたし、その前世が、今の生まれに影響しているとも考えられていた。

弟子2
弟子2

つまり、生まれる前からの影響、前世からの影響力が「業」だと、周り(古代インド)の人は思っていたわけね。

弟子1
弟子1

でもお釈迦さんは「人は生まれによってきまるのではない。行為によって決まるのである(法句経)」と言っている。

弟子2
弟子2

世間の風習として考えている「業」は、生まれにまつわる話。宿命とか、宿業とか、そういう話でしょ。

弟子A
弟子A

そうだね。じゃぁ、お釈迦さんししょうは同じ業という言葉を使って、違う意味を込めたのか。

弟子2
弟子2

お釈迦さんの説く<業>は、行為についての話。習慣の話かな。

弟子1
弟子1

「生まれ」ではなく、<行い>だったんだね。

弟子B
弟子B

習慣の話ってどういうこと?

弟子2
弟子2

例えば、私は文字を書くのだけれど……。書くというのも行為、行いだよね。

弟子1
弟子1

ああ、なかなか斬新な字を書くよね。

弟子2
弟子2

誰でも最初はちゃんと書けない。もし、字を書いた経験があるなら、初めて字を書いた時のことを思い出してみてよ。

弟子1
弟子1

これ?

弟子2
弟子2

これ、小さい時に書いた字じゃないか!

弟子A
弟子A

アルファベット?

弟子2
弟子2

「ゆ」だよ。ひらがなの「ゆ」!

弟子A
弟子A

言われてみれば、「ゆ」だね。

弟子B
弟子B

そう? すごくきれいに「ゆ」書けているじゃない。

弟子2
弟子2

何度も何度も書くうちに、もっとはっきり「ゆ」だと分かるようにかけるようになった。

弟子1
弟子1

身体で覚えていったんだね。

弟子2
弟子2

そうやって、書くという行いをすることで、書く習慣が身につく。身体で覚えるってこともそうだけど、自分の行為がまた次の行動の際に影響を与える。それが習慣の力でしょ。

弟子1
弟子1

適当に字を書くことに慣れれば、雑な字になるし、雑な字にならないように一生懸命書いたら、それはそれで、味のある字になっていく。そういうのも習慣だね。

弟子A
弟子A

ああ。まぁちょっとぐらいいいかって、寝坊が習慣化したり

弟子B
弟子B

急がなきゃ、急がなきゃが続いて、早食いが習慣化したり

弟子1
弟子1

きれいに食べることが習慣化したり、早起きが習慣化したり

弟子2
弟子2

一つ一つに行動が、次の行動に影響を与えていく。そういう習慣力こそが<業>だとお釈迦さんは言っている。

弟子A
弟子A

「人は生まれによってきまるのではない。行為によって決まるのである(法句経)」か……。

弟子B
弟子B

確かに全然違う意味だけど、「業」という周り(当時)の慣習を、<業>という習慣という意味に変えたといえば、結構紛らわしい話だね。

弟子A
弟子A

そうだよ。だから勘違いしちゃうんだよ。なんでわざわざ。

弟子1
弟子1

それは、何もない所から、突拍子もない話をされるより、自分達の知っている知識・常識から、少しずつスライドしていった方が、受け入れやすかったんじゃないの。

弟子A
弟子A

私の視点から考えると紛らわしいけど、別の視点からみると、周り(当時)の人には受け入れやすかったってことか。

弟子1
弟子1

同じ言葉を使っているからって、同じ話をしているとは限らない。同じ話をしているからって、中身が同じとは限らない。

弟子2
弟子2

同じ中身・内容だからって、同じ話とは限らない。同じ事だからって、受け取り方が同じとは限らない。

弟子B
弟子B

なるほど。そういう話にもつながるのか。


補足

  • 出典:雑阿含経巻第16-414

(四一四)如是我聞。一時佛住王舍城迦蘭陀竹園。時有衆多比丘。集於食堂。作如是論。汝等宿命。作何等業。爲何工巧。以何自活。爾時世尊。於禪定中。以天耳聞諸比丘論説之聲。即從座起。往詣食堂。敷坐具於衆前坐。問諸比丘。汝説何等。時諸比丘。以上所説。具白世尊。佛告比丘。汝等比丘。莫作是説。宿命所作。所以者何。此非義饒益非法饒益。非梵行饒益。非智非正覺。不向涅槃。汝等比丘。當共論説。此苦聖諦。苦集聖諦。苦滅聖諦。苦滅道跡聖諦。所以者何。此義饒益。法饒益。梵行饒益。正智正覺。正向涅槃。是故比丘。依於四聖諦。未無間等者。當勤方便起増上欲。學無間等。佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行
(大正No.99, 2巻110頁a段19行-b段4行)

SAT大正新脩大藏經テキストデータベースより

国訳一切経阿含部2巻32頁

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