本記事は「雑阿含経巻第16-414」の内容を基に作りました。
そのような話はよしなさい
私達の前世ってなんだったんだろうね?
え? 突然何の話?
私はきっと「チョコレート」だな。大好きだし。
あなたは?
魚かなぁ。泳ぐのというか、水の中が好きだし。
魚だったら何してたの? もちろん泳ぎは得意だよね。
どんな生活してたの?
もちろん泳いで暮らしてたさ。食事は水中のプラクトンだろうね。
水こそ我が家で……
あなた達、一体何の話をしているのですか?
「前世は一体なんだったのか?」という話ですよ。
そうですよ。前世の話、いわゆる、宿業、宿命ってやつですね。
私達「業」について語っていたのです。
あなた達、そのような無益な話はよしなさい。
それは仏法を理解する上で、何の役にも立ちません。
え? これって、「業」の話じゃないんですか?
そうですよ。お釈迦さんだって、「業」の話するじゃないですか。
方向性が違うのです。
どうしても話したいというなら、まずは四諦の教えの所から学びなさい。
はい……
申し訳ございませんでした。
お釈迦さんは退席しました。
「はい」とは、返事したものの、じゃぁ「業」って何なわけ?
お釈迦さんのいう<業>と、私達のいう「業」と、一体なにが違うの?
確かに、お釈迦さんも業の話をするけど、あなた達の話の内容と違う気がする。
あなた達が言っている「業」は、周りの人達(約2,500年前の古代インドの人々)が言っている「業」だからね。
周り(古代インド時代)の風習ってこと?
そういうこと。
どういうこと?
んー。周り(古代インド)は、どんな文化や風習があって、どんなことが一般常識として考えられていたのか、ってことなんだけど。
カースト制度とか、周り(当時)の様子も関連するよね。
簡単にいえば、周り(古代インド)の人達は、人は生まれた時点で、自分の身分も何もかも決まっていたわけ。
前世があるって当たり前のように考えられていたし、その前世が、今の生まれに影響しているとも考えられていた。
つまり、生まれる前からの影響、前世からの影響力が「業」だと、周り(古代インド)の人は思っていたわけね。
でもお釈迦さんは「人は生まれによってきまるのではない。行為によって決まるのである(法句経)」と言っている。
世間の風習として考えている「業」は、生まれにまつわる話。宿命とか、宿業とか、そういう話でしょ。
そうだね。じゃぁ、お釈迦さんは同じ業という言葉を使って、違う意味を込めたのか。
お釈迦さんの説く<業>は、行為についての話。習慣の話かな。
「生まれ」ではなく、<行い>だったんだね。
習慣の話ってどういうこと?
例えば、私は文字を書くのだけれど……。書くというのも行為、行いだよね。
ああ、なかなか斬新な字を書くよね。
誰でも最初はちゃんと書けない。もし、字を書いた経験があるなら、初めて字を書いた時のことを思い出してみてよ。
これ?
これ、小さい時に書いた字じゃないか!
アルファベット?
「ゆ」だよ。ひらがなの「ゆ」!
言われてみれば、「ゆ」だね。
そう? すごくきれいに「ゆ」書けているじゃない。
何度も何度も書くうちに、もっとはっきり「ゆ」だと分かるようにかけるようになった。
身体で覚えていったんだね。
そうやって、書くという行いをすることで、書く習慣が身につく。身体で覚えるってこともそうだけど、自分の行為がまた次の行動の際に影響を与える。それが習慣の力でしょ。
適当に字を書くことに慣れれば、雑な字になるし、雑な字にならないように一生懸命書いたら、それはそれで、味のある字になっていく。そういうのも習慣だね。
ああ。まぁちょっとぐらいいいかって、寝坊が習慣化したり
急がなきゃ、急がなきゃが続いて、早食いが習慣化したり
きれいに食べることが習慣化したり、早起きが習慣化したり
一つ一つに行動が、次の行動に影響を与えていく。そういう習慣力こそが<業>だとお釈迦さんは言っている。
「人は生まれによってきまるのではない。行為によって決まるのである(法句経)」か……。
確かに全然違う意味だけど、「業」という周り(当時)の慣習を、<業>という習慣という意味に変えたといえば、結構紛らわしい話だね。
そうだよ。だから勘違いしちゃうんだよ。なんでわざわざ。
それは、何もない所から、突拍子もない話をされるより、自分達の知っている知識・常識から、少しずつスライドしていった方が、受け入れやすかったんじゃないの。
私の視点から考えると紛らわしいけど、別の視点からみると、周り(当時)の人には受け入れやすかったってことか。
同じ言葉を使っているからって、同じ話をしているとは限らない。同じ話をしているからって、中身が同じとは限らない。
同じ中身・内容だからって、同じ話とは限らない。同じ事だからって、受け取り方が同じとは限らない。
なるほど。そういう話にもつながるのか。
補足
- 出典:雑阿含経巻第16-414
(四一四)如是我聞。一時佛住王舍城迦蘭陀竹園。時有衆多比丘。集於食堂。作如是論。汝等宿命。作何等業。爲何工巧。以何自活。爾時世尊。於禪定中。以天耳聞諸比丘論説之聲。即從座起。往詣食堂。敷坐具於衆前坐。問諸比丘。汝説何等。時諸比丘。以上所説。具白世尊。佛告比丘。汝等比丘。莫作是説。宿命所作。所以者何。此非義饒益非法饒益。非梵行饒益。非智非正覺。不向涅槃。汝等比丘。當共論説。此苦聖諦。苦集聖諦。苦滅聖諦。苦滅道跡聖諦。所以者何。此義饒益。法饒益。梵行饒益。正智正覺。正向涅槃。是故比丘。依於四聖諦。未無間等者。當勤方便起増上欲。學無間等。佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行
(大正No.99, 2巻110頁a段19行-b段4行)
国訳一切経阿含部2巻32頁
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