本記事は「雑阿含経巻第15-389」の内容を基に作りました。
四諦:良医のたとえ
お釈迦さんがはじめて仏法を説いた時は、どんな話をされたのですか?
私は四諦の教えが、初転法輪と呼ばれる最初の説法って聞いたことがあるのですが?
それは、その失敗を踏まえて、一生懸命考えて、お話した話ですね。
是非、その四諦のお話をお聞きしたいです。
四諦ですから、四つ、要点があります。
①苦諦、②集諦、③滅諦、④道諦の四つです。
それなら聞いたことあります。
ちなみに諦は、真実って意味ですよね。
だから、①苦諦は苦しみの真実という意味になりますよね。
んー。端的に言えば「苦がある」ってことですね。
「苦しみがある」というのは、避けられない事実ってことですか。
②集諦は、集が「湧き上がる」って意味ですね。例えば、感情や欲望だったりしますよね。
苦しいことがあると、私たちは様々な反応をします。いろいろな気持ちが沸き上がり、行動しようという欲や力が生じます。
それが「煩悩」ってやつですか?
感情や欲望は、場合によっては、私達を煩い、悩ませることがありますから、煩悩っといっても差し支えありませんが、私がここで言っているのは「湧き上がるという事実」というだけです。
①「苦があるという事実」②「湧き上がるという事実」
ということは、③滅諦は、滅するという事実ということですか?
消滅、無くなるってこと?
でも、それじゃあ「苦がある」のが真実だっていうことと矛盾しない?
あ、そうだね。
お釈迦さんは、苦しみの解決を求めて出家されたので、③滅諦は「苦しみの解決」と言ってもいいのでしょうか。
そして④道諦というのは、その解決の道ってことでいいんですよね?
そうですね。それが、仏道という道です。実際、私達が歩んでいる道ですよね。
端的にいうとこんな感じですが、詳しく説明するとかなり長くなってしまいますが、どうしますか?
端的とおっしゃいますが、ここまでの話でも、いろいろと考えなければならないことがたくさんあって……。
ならば、今回はここまで話した四諦の教えをもっと伝わりやすいように「お医者さんのたとえ話」をしましょうか。
是非、お願いします。
まず、お医者さんは「病い」の事をよく知っていますよね?
病気ですか?
病気だけでなく、怪我なども含めて「病い」ってことでいいんですよね?
ああ。病気やケガで辛い・苦しいってなる。①苦諦の所とリンクしているわけですね。
「病いを知る」ことは、お医者さんにとって欠かせません。良医は「病いのことをよく知る」ということです。
そりゃそうですね。
一言で病気いっても色々な病気があります。
「これはこの病気だな」「こういう症状ならこの病気」「でもこの症状もあるならまた違う病気」というように……。
良医は、「①種々の病いについてよく知っています」
「病い(苦しみ)をよく知る」
苦諦ってそういう事ですか。
では、病いとは何でしょうか?
どうして病いとなるのでしょうか?
病気には病原があるってことですよね?
風邪をひくにもウイルスという病原体がいるようなもの。
その病気の原因をよく知っているのが、良い医者ってことですね。
ん? 病気になって苦しいと思うのは、病原体が私たちの中に侵入してきて、私たちの中でいろいろな反応が起きるから苦しいんじゃないの?
ああ、確かに。必ずしも、病原体だけで病気になるわけじゃないね。
花粉症みたいに、人によって、症状が全くない人から重度の症状が出るように……。花粉だけが原因じゃないね……。
この病気は風(空気や飛沫等)によって起こる。内臓の腫れを起こす。せきやたんを引き起こす。冷えを起こす。こういう事によって起こり、こういうタイミングで引き起きる……etc
良医というのは、それをよく知っていますね。
病原のみならず、どういう症状か、どういう原因で起こって、どのタイミングで起きるか……。
その病気のメカニズムをよく知っているということか……。
それなら人体の事もよく知ってないといけないね
私達の身体の事、病原体、病気のメカニズムなど、よい医者は「②どのようにして病いが起こるのかをよく知っています」
何をもって病いというのか……。よく考えないといけないね。
そして「③よく病いを知って治療する」。これも良医にとって欠かせないですね。
診察して、治療してくれますね。
そうだね。薬を塗ってくれたり、薬を処方してくれたり、症状に合わせて、対処法を教えてくれたり、色々してくれますよね。
温めたり、冷やしたり?
そうそう。鼻や耳を洗ったり、汗を拭いたり、看護してくれるのも全て、医療には欠かせない大事なことだよね。
衛生面も大事だね。
一言で治療といっても色々な処置があるね。
よく病いを知ってよい治療をしてくれる。それが良いお医者さんです。
そして、「④その病気が完治したか、また再発したり、他の病気にならないか。それを考る」ことも、良いお医者さんには欠かせません。
そうですね。治療は何も一回きりとは限らないですもんね。
完治するまでの道のりは、その病いによっても様々ですもんね。
そして治療が終わったら、それで終わりではないですもんね。
再発や他の病気にならないように、予防するのもまた大事なことだね。
よく病いを治すということを知って、さらに再発なども予防する。それが良いお医者さんです。
四諦の教えってそういう事なんですね。
お医者さんに例えるとわかりやすいですね。
そうですね。私も、お医者さんのたとえを参考に、四諦について具体的に考えると、見落としていた所があったことにも気がつきました。
ありがとうございました。
補足
- 出典:雑阿含経巻第15-389
(三八九)如是我聞。一時佛住波羅㮈國仙人住處鹿野苑中。爾時世尊。告諸比丘。有四法成就。名曰大醫王者。所應王之具王之分。何等爲四。一者善知病。二者善知病源。三者善知病對治。四者善知治病已當來更不動發。云何名良醫善知病。謂良醫善知如是如是種種病。是名良醫善知病。云何良醫善知病源。謂良醫善知。此病因風起。癖陰起。涎唾起。衆冷起。因現事起。時節起。是名良醫善知病源。云何良醫善知病對治。謂良醫善知種種病。應塗藥應吐應下應灌鼻。應熏。應取汗。如是比種種對治。是名良醫善知對治。云何良醫善知治病已於未來世永不動發。謂良醫善治種種病。令究竟除。於未來世。永不復起。是名良醫善知治病。更不動發。如來應等正覺。爲大醫王。成就四徳。療衆生病。亦復如是。云何爲四。謂如來知。此是苦聖諦如實知。此是苦集聖諦如實知。此是苦滅聖諦如實知。此是苦滅道跡聖諦如實知。諸比丘。彼世間良醫。於生根本對治。不如實知。老病死憂悲惱苦根本對治。不如實知。如來應等正覺。爲大醫王。於生根本。知對治。如實知。於老病死憂悲惱苦根本。對治如實知。是故如來應等正覺。名大醫王。佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行
(大正No.99, 2巻105頁a段24行-b段20行)
- 国訳一切経阿含部2巻15頁
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