煩悩が尽きるとは?|ヒナと卵・木こりのたとえ

ちしょう
ちしょう

本記事は「雑阿含経巻第10-263」の内容を基に作りました。

ちしょう
ちしょう

 

煩悩が尽きるとは?

弟子1
弟子1

悟った人というのは煩悩が無くなった人。

皆、漠然とそう思っているよね?

弟子2
弟子2

そうねぇ。そして、逆に言えば、煩悩がある人は、まだ悟ってない人ということだね。

弟子1
弟子1

悟った人=煩悩が尽きて無くなった人。

悟っていない人=煩悩がある人。

一般的にこういう話をよく耳にするのですが、師匠はどう考えていますか?

お釈迦さん
お釈迦さん

悟る。煩悩が尽きる。それは何なのでしょう。

何を知り、何を見る人が、煩悩を尽くすというのでしょうか。

例えば、身体や心を見てみましょう

弟子1
弟子1

え?

何を知ったら、悟るのですか?

何を見たら、煩悩が尽きるのですか?

お釈迦さん
お釈迦さん

少し見方を変えましょうか。

 

例えば、ここに私の身体があります。

見えますか?

弟子1
弟子1

もちろん。見えますよ。

弟子2
弟子2

師匠の身体ですね。

お釈迦さん
お釈迦さん

この身体とは何でしょうか?

弟子1
弟子1

身体は身体ですよ。そんなの分かります。

弟子2
弟子2

すみません。質問の意図がよく分かりません。

お釈迦さん
お釈迦さん

では少し質問を変えましょうか。

身体はどうして今ここにあるのですか?

弟子1
弟子1

えっ? 生まれたから?

弟子2
弟子2

食べたり飲んだりして、身体を作っているからでしょうか。

 

お釈迦さん
お釈迦さん

それだけですか?

また少し質問を変えましょう。

身体は何でできているのでしょうか?

弟子2
弟子2

骨や筋肉、内臓や血液。言えばきりがありませんね。

細胞でいえば、37兆個あるいは60兆個の細胞があるとも言われていますよね。

お釈迦さん
お釈迦さん

それだけですか?

弟子2
弟子2

いいえ。さっき食べたり飲んだりと言いましたが、食べ物が無いと生きていけません。つまり身体も維持できないという事ですから、食べ物からできているとも言えると思います。

弟子1
弟子1

それを言うなら、水や空気がないと生きていけないじゃないか。

弟子2
弟子2

そうか。当然、水や空気も必要。

ってあれ?

でもそう考えら、酸素を作り出す樹々とか、大地とかや太陽とか……。

弟子1
弟子1

あれやこれやと、きりがないな。

弟子2
弟子2

ええ。でも必要不可欠なものばかり。

お釈迦さん
お釈迦さん

話は尽きませんが、ここでまた質問を変えますね。

今ここにある身体は、どうなりますか?

弟子1
弟子1

どうって、はっきりいうと、人はいつか死にます。

つまり、身体もいつかは朽ち果てます。

弟子2
弟子2

物が壊れるのと同様に、人の身体も壊れていく、いや滅していくと言えばいいのでしょうか。

お釈迦さん
お釈迦さん

ならば、どのように滅していくのですか?

弟子1
弟子1

ん?

言い換えると、老いていくってことですかね。

弟子2
弟子2

年をとれば、身体機能もだんだん衰えていきますね。

でも若い頃は、どんどん成長してます。

お釈迦さん
お釈迦さん

ならば、どのように変化するのですか?

弟子2
弟子2

細胞分裂っていうことですかね。

弟子1
弟子1

シワができたりとか、重たいものが持てるようになったとか、逆に持てなくなったとか、そういうことも言えると思うけど。

弟子2
弟子2

そっか。そういうのも変化だもんね。

弟子1
弟子1

体調も、日に日に変化してる。

弟子2
弟子2

細胞の一つ一つでいえば、毎日、目まぐるしいほどの数が生まれては死んでいる。新陳代謝っていうやつだね。

お釈迦さん
お釈迦さん

なるほど。

では、身体以外も考えてみましょうか。

弟子1
弟子1

他の物ってことですか?

身体と同じように、話せばきりがないですよ?

お釈迦さん
お釈迦さん

他にもありますよ。

心はどうです?

これまでも質問を心に置き換えてみてください。

弟子2
弟子2

え?

そうか。心もですか。えーっと……。

あれ? 心って見えますか?

弟子1
弟子1

いや。心を観察するっていうことでしょ。

お釈迦さん
お釈迦さん

心とは何ですか?

心はどうして今ここにあるのですか?

今ここにある心は、どうなりますか?

ちしょう
ちしょう

あのぉ。申し訳ないのですが、話がどんどん膨らんでしまうので、一度ここは話を元に戻しませんか?

 

何を知り、何を見る人が、煩悩を尽くすというのでしょうか。

ひなとたまごの話

お釈迦さん
お釈迦さん

そうですね。

このように見る者、このように知る者は、煩悩を尽くすと、私は言います。

弟子1
弟子1

えっ?

このようにって、いま私達、師匠の言った通りに応えてましたよ。

つまり、もう既に私達は悟っているってことでいいんですか!?

弟子2
弟子2

いや。さすがにそんなわけないでしょう。

弟子1
弟子1

でも、さっきの会話は追いつけたし、言っていることは理解できたけど。確かに観察してたし、見ていたし、それで知ることもできたよ。

弟子2
弟子2

そりゃ、私も会話は理解できたけど、それで悟ったとは言えないでしょう。ただ見て、ただ知っているだけではダメな気がする……。

お釈迦さん
お釈迦さん

ふむ。では、例えば、ここに鶏の卵があったとします。

卵からヒナがかえることは知っていますね?

弟子1
弟子1

もちろん。知ってますよ。

弟子2
弟子2

つまり、有精卵ですね。

弟子1
弟子1

有精卵?

卵ってあたためたら、かえるんじゃないの?

弟子2
弟子2

ヒナが孵化するのは有精卵だよ。

で、一般的に食べるのは無精卵。

弟子1
弟子1

有精卵にはヒナがいると。

とにかく、師匠の仰っている卵ってのは、その有精卵ってことですね。何にせよ、ヒナが卵から生まれてくるのは知ってますよ。

お釈迦さん
お釈迦さん

そうですねぇ。ならば、それを知っていれば、孵化しますか?

弟子1
弟子1

さっきも言いましたけど、あたためなきゃいけないことぐらい、私も知っていますよ。

お釈迦さん
お釈迦さん

ヒナが卵のカラを破り孵る。

それは何故か。

あたためるからです。

 

自然と煩悩が尽きる。

それは何故か。

修行して身につけるからです。

弟子2
弟子2

そうか。知っているだけでは、孵化しないですね。

あたためるって行動、実践があってはじめて孵化します。

逆に言えば、あたためなかったら、ヒナが孵ることもない。

弟子1
弟子1

修行=あたためるってわけか。

ま、要するに、あたためたらいいわけでしょう。

何度も言ってますが、あたためることぐらい知っていますよ。簡単な話ですね。

ちしょう
ちしょう

暖めるって簡単にいいますが、ヒヨコから育てるのだけでも結構難しいですよ。実際にやってみると、温度管理がとても大変なんですよ。

弟子2
弟子2

あたためるって簡単に言えますが、それを実際に行うことはそんな簡単なことではないですね。

弟子1
弟子1

そういえば、あたためるってことを知っていても、実際に卵をあたためたことはないな。

弟子2
弟子2

ヒナがカラを破るように、私も自分のカラを破らないと。

だからこそ、修行しないとダメなんですよね。悟る為に、煩悩を尽くそうと固く決意して、修行しなきゃいけない!

そういうことですね!?

お釈迦さん
お釈迦さん

ヒナが決意せずとも、自然と、ヒナは卵のカラを破り孵る。

それは何故か。

あたためるからです。

 

自然と煩悩が尽きる。

それは何故か。

修行して身につけるからです。

弟子2
弟子2

え?

弟子1
弟子1

言われてみれば、ヒナが生まれようとか生まれたくないとか、どう望んでいるかに関わらず、あたためたなら自然と孵りますね。

弟子2
弟子2

確かに……。

弟子1
弟子1

「修行しなきゃダメ!」とか「修行しているんだ!」とか、あまり考えなくていんじゃないの?

弟子2
弟子2

もし、ヒナが「俺カラを破らなきゃ!」「今カラを破ってるんだ!」って感じででてきたら、むしろ不自然に思える……。

お釈迦さん
お釈迦さん

自然と煩悩が尽きるでしょう。

それは何故か。

修行して身につけるからです。

弟子1
弟子1

なら、それはいつですか?

弟子2
弟子2

そうですよ。一体どれぐらい修行したらいいんですか?

きこりのたとえ

お釈迦さん
お釈迦さん

そうですね。では、ある木こりの師匠と弟子の話をしましょうか。

師匠は斧をたくみに操ることができました。

もちろん、弟子にも斧の扱い方を教えます。

握り方、振り方、弟子の身体の動きを見て、丹念に教えました。

弟子も師の指導に従い、斧を振りました。

弟子2
弟子2

私達も、師匠にしっかり教わっていますよ。

弟子1
弟子1

でも斧の振り方って、一通り教えてもらったら、後はひたすら斧を振るしかないでしょう。

お釈迦さん
お釈迦さん

弟子は、師のように、毎日毎日、斧を振りました。

もちろん、手にはマメができ、皮が硬くなっていきますが、そんな些細な変化に弟子は気づきません。

師はその手を見、指を見ていました。

弟子1
弟子1

で、いつ師匠みたいに一人前になれるのですか?

お釈迦さん
お釈迦さん

ある日のことです。

弟子の斧が壊れました。

それでようやく、師匠は弟子を一人前と認めたのです。

弟子1
弟子1

つまり、斧が壊れたら一人前ってことですか!?

じゃぁ、私の場合、いつになったら斧が壊れるのですか!?

お釈迦さん
お釈迦さん

師匠は、弟子の手を見て、指を見ます。今日、斧が壊れるのか、それとも明日、斧が壊れるのかは知りません。

ですが、いつか、正しく斧が壊れるということは知っています。

弟子2
弟子2

いつ、そうなるかは知らないけど、いつかはそうなると知っているんですね……。

弟子1
弟子1

ええ……。じゃぁ、その時が来るのを待っているしかないのか。

弟子2
弟子2

待っていても、来ないよね?

弟子1
弟子1

確かに。待っているってのは違うか。

お釈迦さん
お釈迦さん

自然と煩悩が尽きるでしょう。

それが今日なのか、明日なのか、誰も知り得ない。

しかし、彼の弟子は煩悩が尽きるということを知る。

それは何故か。

修行して身につけるからです。

あとがき

荒村寺さん
荒村寺さん

答えがないところがいいですね。

ちしょう
ちしょう

ないわけではないんですけどね。

荒村寺さん
荒村寺さん

そうですね。

でも「答えはこれです!」とはっきりとした答えを言っているわけではないですよね。

ちしょう
ちしょう
だからこそ「修行」とあるのではないかと思うんです。少なくとも私は、与えられた答えや言葉をそのまま口にするより、一度、自分の言葉や答えにしてからでないと、気が済まないです。
荒村寺さん
荒村寺さん

ただ単に情報を知るだけでは、気が済まないのですね。それでは、本当の意味でるということにはならない。

実際に自分で行ってみて、そこから自然とり、あきらかになると。

ちしょう
ちしょう

はい。

と、今回はこれにて終了です。

荒村寺さん
荒村寺さん

 

お読み頂き、ありがとうございました。

ちしょう
ちしょう

ありがとうございました。


補足情報

  • 出典

雑阿含経巻第10-263

(二六三)如是我聞。一時佛住拘留國雜色牧牛聚落。爾時佛告諸比丘。我以知見故。得諸漏盡。非不知見。云何以知見故。得諸漏盡。非不知見。謂此色此色集此色滅。此受想行識。此識集此識滅。不修方便隨順成就。而用心求令我諸漏盡心得解脱。當知彼比丘終不能得漏盡解脱。所以者何。不修習故。不修習何等。謂不修習念處正勤如意足根力覺道。譬如伏鷄生子衆多。不能隨時蔭餾消息冷暖。而欲令子以觜以爪啄卵自生安隱出㲉。當知彼子無有自力堪能方便以觜以爪安隱出㲉。所以者何。以彼雞母不能隨時蔭*餾冷暖長養子故。如是比丘。不勤修習隨順成就。而欲令得漏盡解脱。無有是處。所以者何。不修習故。不修何等。謂不修念處正勤如意足根力覺道。若比丘修習隨順成就者。雖不欲令漏盡解脱。而彼比丘自然漏盡。心得解脱。所以者何。以修習故。何所修習。謂修念處正勤如意足根力覺道。如彼伏雞善養其子。隨時蔭*餾。冷暖得所。正復不欲令子方便自啄卵出。然其諸子自能方便安隱出㲉。所以者何。以彼伏雞隨時蔭餾冷暖得所故。如是比丘。善修方便。*正復不欲漏盡解脱。而彼比丘自然漏盡。心得解脱。所以者何。以勤修習故。何所修習。謂修念處正勤如意足根力覺道。譬如巧師巧師弟子。手執斧柯。捉之不已。漸漸微盡手指處現。然彼不覺斧柯微盡而盡處現。如是比丘。精勤修習隨順成就。不自知見今日爾所漏盡。明日爾所漏盡。然彼比丘。知有漏盡。所以者何。以修習故。何所修習。謂修習念處正勤如意足根力覺道。譬如大舶在於海邊。經夏六月風飄日暴。藤綴漸斷。如是比丘。精勤修習。隨順成就。一切結縛使煩惱纒。漸得解脱。所以者何。善修習故。何所修習。謂修習念處正勤如意足根力覺道。説是法時六十比丘。不起諸漏。心得解脱。佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行

(大正No.99, 2巻67頁a段22行-c段3行)

SAT大正新脩大藏經テキストデータベースより

国訳一切経阿含部1-30頁

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