![ちしょう](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/signbird.png)
本記事は「雑阿含経巻第10-263」の内容を基に作りました。
![ちしょう](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/signbird.png)
煩悩が尽きるとは?
![弟子1](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi1.jpg)
悟った人というのは煩悩が無くなった人。
皆、漠然とそう思っているよね?
![弟子2](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi2.jpg)
そうねぇ。そして、逆に言えば、煩悩がある人は、まだ悟ってない人ということだね。
![弟子1](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi1.jpg)
悟った人=煩悩が尽きて無くなった人。
悟っていない人=煩悩がある人。
一般的にこういう話をよく耳にするのですが、師匠はどう考えていますか?
![お釈迦さん](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/f5cb57f058fd29b4218fb69f3b5b10c5.jpg)
悟る。煩悩が尽きる。それは何なのでしょう。
何を知り、何を見る人が、煩悩を尽くすというのでしょうか。
例えば、身体や心を見てみましょう
![弟子1](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi1.jpg)
え?
何を知ったら、悟るのですか?
何を見たら、煩悩が尽きるのですか?
![お釈迦さん](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/f5cb57f058fd29b4218fb69f3b5b10c5.jpg)
少し見方を変えましょうか。
例えば、ここに私の身体があります。
見えますか?
![弟子1](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi1.jpg)
もちろん。見えますよ。
![弟子2](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi2.jpg)
師匠の身体ですね。
![お釈迦さん](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/f5cb57f058fd29b4218fb69f3b5b10c5.jpg)
この身体とは何でしょうか?
![弟子1](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi1.jpg)
身体は身体ですよ。そんなの分かります。
![弟子2](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi2.jpg)
?
すみません。質問の意図がよく分かりません。
![お釈迦さん](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/f5cb57f058fd29b4218fb69f3b5b10c5.jpg)
では少し質問を変えましょうか。
身体はどうして今ここにあるのですか?
![弟子1](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi1.jpg)
えっ? 生まれたから?
![弟子2](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi2.jpg)
食べたり飲んだりして、身体を作っているからでしょうか。
![お釈迦さん](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/f5cb57f058fd29b4218fb69f3b5b10c5.jpg)
それだけですか?
また少し質問を変えましょう。
身体は何でできているのでしょうか?
![弟子2](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi2.jpg)
骨や筋肉、内臓や血液。言えばきりがありませんね。
細胞でいえば、37兆個あるいは60兆個の細胞があるとも言われていますよね。
![お釈迦さん](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/f5cb57f058fd29b4218fb69f3b5b10c5.jpg)
それだけですか?
![弟子2](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi2.jpg)
いいえ。さっき食べたり飲んだりと言いましたが、食べ物が無いと生きていけません。つまり身体も維持できないという事ですから、食べ物からできているとも言えると思います。
![弟子1](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi1.jpg)
それを言うなら、水や空気がないと生きていけないじゃないか。
![弟子2](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi2.jpg)
そうか。当然、水や空気も必要。
ってあれ?
でもそう考えら、酸素を作り出す樹々とか、大地とかや太陽とか……。
![弟子1](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi1.jpg)
あれやこれやと、きりがないな。
![弟子2](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi2.jpg)
ええ。でも必要不可欠なものばかり。
![お釈迦さん](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/f5cb57f058fd29b4218fb69f3b5b10c5.jpg)
話は尽きませんが、ここでまた質問を変えますね。
今ここにある身体は、どうなりますか?
![弟子1](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi1.jpg)
どうって、はっきりいうと、人はいつか死にます。
つまり、身体もいつかは朽ち果てます。
![弟子2](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi2.jpg)
物が壊れるのと同様に、人の身体も壊れていく、いや滅していくと言えばいいのでしょうか。
![お釈迦さん](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/f5cb57f058fd29b4218fb69f3b5b10c5.jpg)
ならば、どのように滅していくのですか?
![弟子1](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi1.jpg)
ん?
言い換えると、老いていくってことですかね。
![弟子2](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi2.jpg)
年をとれば、身体機能もだんだん衰えていきますね。
でも若い頃は、どんどん成長してます。
![お釈迦さん](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/f5cb57f058fd29b4218fb69f3b5b10c5.jpg)
ならば、どのように変化するのですか?
![弟子2](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi2.jpg)
細胞分裂っていうことですかね。
![弟子1](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi1.jpg)
シワができたりとか、重たいものが持てるようになったとか、逆に持てなくなったとか、そういうことも言えると思うけど。
![弟子2](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi2.jpg)
そっか。そういうのも変化だもんね。
![弟子1](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi1.jpg)
体調も、日に日に変化してる。
![弟子2](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi2.jpg)
細胞の一つ一つでいえば、毎日、目まぐるしいほどの数が生まれては死んでいる。新陳代謝っていうやつだね。
![お釈迦さん](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/f5cb57f058fd29b4218fb69f3b5b10c5.jpg)
なるほど。
では、身体以外も考えてみましょうか。
![弟子1](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi1.jpg)
他の物ってことですか?
身体と同じように、話せばきりがないですよ?
![お釈迦さん](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/f5cb57f058fd29b4218fb69f3b5b10c5.jpg)
他にもありますよ。
心はどうです?
これまでも質問を心に置き換えてみてください。
![弟子2](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi2.jpg)
え?
そうか。心もですか。えーっと……。
あれ? 心って見えますか?
![弟子1](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi1.jpg)
いや。心を観察するっていうことでしょ。
![お釈迦さん](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/f5cb57f058fd29b4218fb69f3b5b10c5.jpg)
心とは何ですか?
心はどうして今ここにあるのですか?
今ここにある心は、どうなりますか?
![ちしょう](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/signbird.png)
あのぉ。申し訳ないのですが、話がどんどん膨らんでしまうので、一度ここは話を元に戻しませんか?
何を知り、何を見る人が、煩悩を尽くすというのでしょうか。
ひなとたまごの話
![お釈迦さん](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/f5cb57f058fd29b4218fb69f3b5b10c5.jpg)
そうですね。
このように見る者、このように知る者は、煩悩を尽くすと、私は言います。
![弟子1](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi1.jpg)
えっ?
このようにって、いま私達、師匠の言った通りに応えてましたよ。
つまり、もう既に私達は悟っているってことでいいんですか!?
![弟子2](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi2.jpg)
いや。さすがにそんなわけないでしょう。
![弟子1](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi1.jpg)
でも、さっきの会話は追いつけたし、言っていることは理解できたけど。確かに観察してたし、見ていたし、それで知ることもできたよ。
![弟子2](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi2.jpg)
そりゃ、私も会話は理解できたけど、それで悟ったとは言えないでしょう。ただ見て、ただ知っているだけではダメな気がする……。
![お釈迦さん](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/f5cb57f058fd29b4218fb69f3b5b10c5.jpg)
ふむ。では、例えば、ここに鶏の卵があったとします。
卵からヒナが孵ることは知っていますね?
![弟子1](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi1.jpg)
もちろん。知ってますよ。
![弟子2](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi2.jpg)
つまり、有精卵ですね。
![弟子1](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi1.jpg)
有精卵?
卵ってあたためたら、孵るんじゃないの?
![弟子2](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi2.jpg)
ヒナが孵化するのは有精卵だよ。
で、一般的に食べるのは無精卵。
![弟子1](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi1.jpg)
有精卵にはヒナがいると。
とにかく、師匠の仰っている卵ってのは、その有精卵ってことですね。何にせよ、ヒナが卵から生まれてくるのは知ってますよ。
![お釈迦さん](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/f5cb57f058fd29b4218fb69f3b5b10c5.jpg)
そうですねぇ。ならば、それを知っていれば、孵化しますか?
![弟子1](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi1.jpg)
さっきも言いましたけど、あたためなきゃいけないことぐらい、私も知っていますよ。
![お釈迦さん](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/f5cb57f058fd29b4218fb69f3b5b10c5.jpg)
ヒナが卵のカラを破り孵る。
それは何故か。
あたためるからです。
自然と煩悩が尽きる。
それは何故か。
修行して身につけるからです。
![弟子2](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi2.jpg)
そうか。知っているだけでは、孵化しないですね。
あたためるって行動、実践があってはじめて孵化します。
逆に言えば、あたためなかったら、ヒナが孵ることもない。
![弟子1](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi1.jpg)
修行=あたためるってわけか。
ま、要するに、あたためたらいいわけでしょう。
何度も言ってますが、あたためることぐらい知っていますよ。簡単な話ですね。
![ちしょう](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/signbird.png)
暖めるって簡単にいいますが、ヒヨコから育てるのだけでも結構難しいですよ。実際にやってみると、温度管理がとても大変なんですよ。
![弟子2](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi2.jpg)
あたためるって簡単に言えますが、それを実際に行うことはそんな簡単なことではないですね。
![弟子1](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi1.jpg)
そういえば、あたためるってことを知っていても、実際に卵をあたためたことはないな。
![弟子2](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi2.jpg)
ヒナがカラを破るように、私も自分のカラを破らないと。
だからこそ、修行しないとダメなんですよね。悟る為に、煩悩を尽くそうと固く決意して、修行しなきゃいけない!
そういうことですね!?
![お釈迦さん](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/f5cb57f058fd29b4218fb69f3b5b10c5.jpg)
ヒナが決意せずとも、自然と、ヒナは卵のカラを破り孵る。
それは何故か。
あたためるからです。
自然と煩悩が尽きる。
それは何故か。
修行して身につけるからです。
![弟子2](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi2.jpg)
え?
![弟子1](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi1.jpg)
言われてみれば、ヒナが生まれようとか生まれたくないとか、どう望んでいるかに関わらず、あたためたなら自然と孵りますね。
![弟子2](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi2.jpg)
確かに……。
![弟子1](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi1.jpg)
「修行しなきゃダメ!」とか「修行しているんだ!」とか、あまり考えなくていんじゃないの?
![弟子2](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi2.jpg)
もし、ヒナが「俺カラを破らなきゃ!」「今カラを破ってるんだ!」って感じででてきたら、むしろ不自然に思える……。
![お釈迦さん](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/f5cb57f058fd29b4218fb69f3b5b10c5.jpg)
自然と煩悩が尽きるでしょう。
それは何故か。
修行して身につけるからです。
![弟子1](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi1.jpg)
なら、それはいつですか?
![弟子2](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi2.jpg)
そうですよ。一体どれぐらい修行したらいいんですか?
きこりのたとえ
![お釈迦さん](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/f5cb57f058fd29b4218fb69f3b5b10c5.jpg)
そうですね。では、ある木こりの師匠と弟子の話をしましょうか。
師匠は斧を巧みに操ることができました。
もちろん、弟子にも斧の扱い方を教えます。
握り方、振り方、弟子の身体の動きを見て、丹念に教えました。
弟子も師の指導に従い、斧を振りました。
![弟子2](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi2.jpg)
私達も、師匠にしっかり教わっていますよ。
![弟子1](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi1.jpg)
でも斧の振り方って、一通り教えてもらったら、後はひたすら斧を振るしかないでしょう。
![お釈迦さん](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/f5cb57f058fd29b4218fb69f3b5b10c5.jpg)
弟子は、師のように、毎日毎日、斧を振りました。
もちろん、手にはマメができ、皮が硬くなっていきますが、そんな些細な変化に弟子は気づきません。
師はその手を見、指を見ていました。
![弟子1](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi1.jpg)
で、いつ師匠みたいに一人前になれるのですか?
![お釈迦さん](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/f5cb57f058fd29b4218fb69f3b5b10c5.jpg)
ある日のことです。
弟子の斧が壊れました。
それでようやく、師匠は弟子を一人前と認めたのです。
![弟子1](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi1.jpg)
つまり、斧が壊れたら一人前ってことですか!?
じゃぁ、私の場合、いつになったら斧が壊れるのですか!?
![お釈迦さん](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/f5cb57f058fd29b4218fb69f3b5b10c5.jpg)
師匠は、弟子の手を見て、指を見ます。今日、斧が壊れるのか、それとも明日、斧が壊れるのかは知りません。
ですが、いつか、正しく斧が壊れるということは知っています。
![弟子2](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi2.jpg)
いつ、そうなるかは知らないけど、いつかはそうなると知っているんですね……。
![弟子1](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi1.jpg)
ええ……。じゃぁ、その時が来るのを待っているしかないのか。
![弟子2](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi2.jpg)
待っていても、来ないよね?
![弟子1](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/deshi1.jpg)
確かに。待っているってのは違うか。
![お釈迦さん](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/f5cb57f058fd29b4218fb69f3b5b10c5.jpg)
自然と煩悩が尽きるでしょう。
それが今日なのか、明日なのか、誰も知り得ない。
しかし、彼の弟子は煩悩が尽きるということを知る。
それは何故か。
修行して身につけるからです。
あとがき
![荒村寺さん](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/fabi.png)
答えがないところがいいですね。
![ちしょう](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/signbird.png)
ないわけではないんですけどね。
![荒村寺さん](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/fabi.png)
そうですね。
でも「答えはこれです!」とはっきりとした答えを言っているわけではないですよね。
![ちしょう](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/signbird.png)
![荒村寺さん](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/fabi.png)
ただ単に情報を知るだけでは、気が済まないのですね。それでは、本当の意味で智るということにはならない。
実際に自分で行ってみて、そこから自然と智り、彰かになると。
![ちしょう](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/signbird.png)
はい。
と、今回はこれにて終了です。
![荒村寺さん](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/fabi.png)
お読み頂き、ありがとうございました。
![ちしょう](https://zenessay.kosonji.com/wp-content/uploads/2022/01/signbird.png)
ありがとうございました。
補足情報
- 出典
雑阿含経巻第10-263
(二六三)如是我聞。一時佛住拘留國雜色牧牛聚落。爾時佛告諸比丘。我以知見故。得諸漏盡。非不知見。云何以知見故。得諸漏盡。非不知見。謂此色此色集此色滅。此受想行識。此識集此識滅。不修方便隨順成就。而用心求令我諸漏盡心得解脱。當知彼比丘終不能得漏盡解脱。所以者何。不修習故。不修習何等。謂不修習念處正勤如意足根力覺道。譬如伏鷄生子衆多。不能隨時蔭餾消息冷暖。而欲令子以觜以爪啄卵自生安隱出㲉。當知彼子無有自力堪能方便以觜以爪安隱出㲉。所以者何。以彼雞母不能隨時蔭*餾冷暖長養子故。如是比丘。不勤修習隨順成就。而欲令得漏盡解脱。無有是處。所以者何。不修習故。不修何等。謂不修念處正勤如意足根力覺道。若比丘修習隨順成就者。雖不欲令漏盡解脱。而彼比丘自然漏盡。心得解脱。所以者何。以修習故。何所修習。謂修念處正勤如意足根力覺道。如彼伏雞善養其子。隨時蔭*餾。冷暖得所。正復不欲令子方便自啄卵出。然其諸子自能方便安隱出㲉。所以者何。以彼伏雞隨時蔭餾冷暖得所故。如是比丘。善修方便。*正復不欲漏盡解脱。而彼比丘自然漏盡。心得解脱。所以者何。以勤修習故。何所修習。謂修念處正勤如意足根力覺道。譬如巧師巧師弟子。手執斧柯。捉之不已。漸漸微盡手指處現。然彼不覺斧柯微盡而盡處現。如是比丘。精勤修習隨順成就。不自知見今日爾所漏盡。明日爾所漏盡。然彼比丘。知有漏盡。所以者何。以修習故。何所修習。謂修習念處正勤如意足根力覺道。譬如大舶在於海邊。經夏六月風飄日暴。藤綴漸斷。如是比丘。精勤修習。隨順成就。一切結縛使煩惱纒。漸得解脱。所以者何。善修習故。何所修習。謂修習念處正勤如意足根力覺道。説是法時六十比丘。不起諸漏。心得解脱。佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行
(大正No.99, 2巻67頁a段22行-c段3行)
国訳一切経阿含部1-30頁
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