無益な争論3|知識が多いか少ないか、頭が良いか悪いか

ちしょう
ちしょう

本記事は「雑阿含経巻第16-412」の内容を基に作りました。

そのような話はよしなさい

弟子1
弟子1

先日、お釈迦さんししょうが「四諦」について話していた時、お医者さんに喩えられていたでしょう。

弟子2
弟子2

そうだね。

弟子1
弟子1

まだまだ、「四諦」について、いろんな表現ができそうだなって思うのだけど。

弟子2
弟子2

ああ。確かに。他の教えを聞いているときも、四諦の部分とリンクしているのかなって思うことがある。

弟子1
弟子1

そうそう。火の話とか、風の話とか……。

弟子A
弟子A

あなた達。「四諦」「四諦」ってその話しか、知らないの?

弟子B
弟子B

そうだよ。お釈迦さんししょうは他にもたくさん話しているじゃない。「縁起」の話とか知ってる?

弟子A
弟子A

知ってる知ってる。私は「中道」の話も知っているよ。

弟子B
弟子B

私もそれは知っている。「無常・無我」の話は?

弟子A
弟子A

もちろん、知ってる。それは最低限おさえておく所でしょ。

弟子B
弟子B

だよね。私は、お釈迦さんの話したこと、一言一句覚えているよ。

弟子A
弟子A

私も、暗記しているよ。〇〇でしょ。それに〇〇でしょ。

弟子B
弟子B

私は戒律も全部丸暗記してるし。●●でしょ。●●でしょ。

弟子A
弟子A

私は〇〇も知っているよ。

弟子B
弟子B

私は●●を知っている。

弟子A
弟子A

ふむ。でも私の方が○○も知っている。

弟子B
弟子B

いや、私の方が●●を知っている。

弟子A
弟子A

私の方がもっと多く知っているよ。

弟子B
弟子B

いいや、私の方が博識ですよ。

弟子A
弟子A

何言ってんの? 君が言ってる話なんて、内容は大した事ないじゃないか。

弟子B
弟子B

いやいや。私の方が、理にかなっていますよ。

弟子A
弟子A

私の方がわかりやすいでしょうよ。

弟子B
弟子B

私の方が内容の質が高いですね。

弟子A
弟子A

でもその教えは、私が説明している話が前提にあるじゃないか。だから、私の言っていることがあってこそ、そっちの話がわかるんでしょう。

弟子B
弟子B

それだけ、私の方が、深いことを言っているってことじゃないんですかね。あなたの話は所詮前座にすぎないってことでしょう。

弟子A
弟子A

はぁ!? 前座だと。むしろ、こっちの話が必要な部分で、そっちは、無駄な講釈を垂れた、残りカスみたいなもんじゃないの?

弟子B
弟子B

はぁ!? 残りかすですと!?

お釈迦さん
お釈迦さん

何を言い争っているのですか?

弟子1
弟子1

お釈迦さんししょう! 実はかくかくじかじかで……。

弟子A
弟子A

そうなんでよ。中途半端な知識で、こいつがバカにしてるんですよ。

弟子B
弟子B

いやいや。私の方が物知りですから。むしろ、あなたの知識が不十分なだけでしょう。

お釈迦さん
お釈迦さん

あなた達、そのような話はよしなさい。

そんな話は、仏法を理解する上で、何の利益ももたらさないですよ。

弟子A
弟子A

でも、お釈迦さんししょうが話されていた教えそのものの話をしているんですよ。

弟子B
弟子B

そうですよ。どれもこれも、お釈迦さんししょうが話していることですよ。

お釈迦さん
お釈迦さん

方向性が違います。

弟子A
弟子A

でも、ですね。

お釈迦さん
お釈迦さん

「でも」ではありません。とりあえず落ち着きなさい。

そもそも、どうしてそういう話になっているのですか。

弟子2
弟子2

すみません。最初は「四諦」の話をしていたのですが。

弟子1
弟子1

はい。かくかくじかじかで……。

お釈迦さん
お釈迦さん

ふむ。では、もし、どうしても議論したいというのであれば、四諦について論じなさい。いいですね?

弟子A
弟子A

はい……。

弟子B
弟子B

申し訳ありませんでした。

弟子1
弟子1

これ以上、争いにならなくてよかったね。

弟子2
弟子2

うん。良かった、良かった!

お釈迦さんは退席しました
弟子A
弟子A

というか、またこのパターンか。

弟子B
弟子B

でも、仏教の話してたじゃないか

弟子1
弟子1

同じ言葉を使っているからって、同じ話をしているとは限らない。同じ話をしているからって、中身が同じとは限らない。

弟子B
弟子B

あ……

弟子A
弟子A

でもさ、もう何度も聞いたよ。3度目だよ。この話。

弟子2
弟子2

同じ中身・内容だからって、同じ話とは限らない。

同じパターンだからって、受け取り方が同じとは限らない。

弟子1
弟子1

現に、話していることは違うじゃないか

弟子A
弟子A

そうだけどさ。でも納得いかないというかさ、

もうこのパターン知ってるよ。

弟子1
弟子1

「そんなことすでにわかってるわ!」ってなる気持ちもわかるけど、いくら分かっていても、人間そうなってしまうこともあるよねって話なんじゃないかな。

弟子2
弟子2

だから、「自分にもそうしてしまうことがあるから気をつけなきゃいけないな」って考えることもできるんじゃないかな。

弟子A
弟子A

あーー……。同じ話なのに、受け取り方に関しても、何にしても、どうしてそんな違いが生まれるの?

弟子1
弟子1

さぁ。何故かは知らないけど、そういうことあるでしょ。

弟子2
弟子2

少なくとも「もうその話知ってるわ」って、見向きもしなければ、見えるものも見えなくなるってのは言えるかもね。

弟子B
弟子B

本当に……、同じ話なのに、全然違う話になっているね……。

弟子A
弟子A

そう考えると、おもしろいな(笑)


補足

  • 出典:雑阿含経巻第16-412

(四一二)如是我聞。一時佛住王舍城迦蘭陀竹園。時有衆多比丘。集於食堂。作如是説。我知法律。汝等不知我所説成就。我等所説與理合。汝等所説不成就。不與理合。應前説者。則在後説。應後説者。則在前説。而共諍論言。我論是汝等不如。能答者當答。爾時世尊。於禪定中。以天耳聞諸比丘諍論之聲。如是廣説。乃至於四聖諦。無間等者。當勤起方便起増上欲。學無間等。佛説是經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行
(大正No.99, 2巻109頁c段22行 – 110頁a段2行)

SAT大正新脩大藏經テキストデータベースより

国訳一切経阿含部2巻31頁

コメント

タイトルとURLをコピーしました