本記事は「雑阿含経巻第24-620」の内容を基に作りました。
人は罠がなくても捕らわれてしまうことがある(無縄自縛)
師匠、本日もご法話お願いします。
では、今回はお猿さんの話をしましょうか。
猿ですか?
そうです。ある山にいる猿と猟師の話です。
ある日、猟師は猿を捕まえる為に罠を作りました。
猿の中にはその罠を察知して、罠から遠く離れて、避けて移動する猿もいました。
しかし、中には罠があることに気づかず、罠を避けずに移動する猿もいました。
罠を避けずに移動する猿は、近くにある罠を罠とも知らず、軽く手を触れてしまいました。
すると罠は作動して、その触れた手を捕えました。猿は慌てて反対の手でその罠を外そうとしましたが、逆にその手も罠に捕えられてしまいました。
両手がダメならば、今度は足を使ってその罠を外そうしました。しかし罠は作動し、今度は右足を、そして次には左足を、という具合に、次々と罠に捕えられてしまったのです。
ならば、最後に残った口で罠を外そうとしましたが、結局、その口も捕えられてしまいました。
両手、両足、そして口までも罠に捕えられ、猿は地面に横たわるしかありませんでした。
最初は片手一つ(1)だけだったのに……
何とかしようと反対の手で同じように罠に触ったせいで、両手(2)をふさがれて、次に右足(3)左足(4)か……
そして最後には口(5)までも捕らわれてしまったのですか……
そうです。その五ヶ所を捕らわれて、とうとう身動きが取れなくなったしまいました。
罠に近づきさえしなければよかったのに……
そうですね。
しかもこの罠は猿のテリトリーに仕掛けたものではありません。人が多く住んでいる所の近くに罠は仕掛けられていました。
つまり、人里に近づいて人に被害を与える猿に対して設置した罠ということですか。
人里に寄ってこないようにと人里近く、つまり猿のテリトリー外に罠はしかけられていたのですね。
というか、たとえ罠にかかったとしても、猿も他にもっとやりようがあったんじゃないかな……。
おそらく、そうでしょうね。でもこれは決して猿だけの話ではありません。私達もまた同じようなことをしている時があるのです。
- 眼で見たものに捕らわれる
- 耳で聴いたものに捕らわれる
- 鼻で香るものに捕らわれる
- 舌で味わったものに捕らわれる
- 身体で触れたものに捕らわれる
そして、身動きが取れなくなってしまうのです。人もそうして縛られてしまうのです。
なるほど、そのようなたとえ話だったのですか。罠につかまった猿達にように、私達もそれらに縛られてしまうことがあるのですね。
となると……、罠に近づかない猿達とは、どのような意味なのでしょうか。
罠が仕掛けられた場所はどこだったでしょうか?
人里近く、猿達のテリトリー外ですね。
そうです。自分の所ではなく、他の所にふらふらと行ってしまい罠にかかってしまったと言えますね。
これは自らの行ずる所でなく、他の所に随って行ずることのたとえです。
自己を見ず、他の所ばかり目がいってしまい、捕らわれてしまったということですか?
自己をよく観察しなさい。この身を、この心を。
なるほど。罠にかからない猿というのはそういうたとえだったのですね。
補足情報
- 出典:雑阿含経巻第24-620
(六二〇)如是我聞。一時佛住王舍城迦蘭陀竹園。爾時世尊告諸比丘。大雪山中。寒氷嶮處。尚無猨猴。況復有人。或復有山。猨猴所居。而無有人。或復有山。人獸共居。於猨猴行處。獵師以黐膠塗其草上。有黠猨猴遠避而去。愚癡猨猴不能遠避。以手小觸即膠其手。復以二手。欲解求脱。即膠二手。以足求解。復膠其足。以口嚙草。輒復膠口。五處同膠。聯捲臥地。獵師既至。即以杖貫。擔負而去。比丘當知。愚癡猨猴。捨自境界父母居處。遊他境界。致斯苦惱。如是比丘。愚癡凡夫。依聚落住。晨朝著衣持鉢。入村乞食。不善護身。不守根門。眼見色已。則生染著。耳聲鼻香舌味身觸。皆生染著。愚癡比丘内根外境。被五縛已。隨魔所欲。是故比丘。當如是學。於自所行處父母境界。依止而住。莫隨他處他境界行。云何比丘。自所行處父母境界。謂四念處。身身觀念住。受心法法觀念住。佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行
(大正No.99, 2巻173頁b段20行-c段11行)
- 国訳一切経阿含部2巻178頁
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