本記事は「雑阿含経巻第21-561」の内容を基に作りました。
欲によって欲を断ず
アーナンダさん。あなたは何故の所で修行しているのですか?
断ずるためです。
何を断ずるのですか?
渇愛を断ずるためです。
渇愛?
のどが渇くと水を欲するでしょう。人は渇けば渇くほど水を欲します。「同じように愛に渇けばどうなるでしょうか?」ということですね。
愛を欲す。要するに強い欲望って感じかな? 愛に渇いた状態のような強い欲望だから渇愛か。
なるほど。なるほど。では、その渇愛とやらを、どうやって断ずるのですか?
欲によって渇愛を断じます。
はぁ? そんなの際限ないじゃないですか?
何故ですか?
だって欲を断ずるのに、欲を使っているっておかしいでしょう。
まぁ、確かに。欲を断ずるために欲を使って、その欲を断ずるために欲を使う。それは際限がないですね。
そうですか?
そうですよ!
際限がないってことはないでしょう。例えばあなたはこの修行の場に来たいと欲しましったか?
そりゃあ、ここに来たくて来ましたからね。
それも欲望ですよね。
確かに、○○したいって欲望ですね。
修行の場に来たら、欲望は息みましたか?
まぁ、欲望に飲まれることはありませんね。その実践を説いているのですか?
そりゃあ、しっかりと努めていればそうなるでしょう。良い指導を受けて、しっかりと考えて続けるならばそれらの欲は息むのでしょうけど。
しっかり考えよう、努めようとするのも、よく考えたら欲望なのでは?
え……?
しっかり努めよう、指導を受けてよく考えようとする欲は、修行の場に来たら息むでしょうか?
それも欲というのなら、その欲は息んではいません。
ああ、その通りだ。
お釈迦さんの見ている所は、このようなもの。そしてよく私達の苦しみに変化をもたらし、憂いや悲しみを断じてくれる。欲によって渇愛を断ずる。
渇愛を断じたら、あなたのいう欲望いうものに変化をもたらし、息むでしょう?
はい。そうですね。ぐるぐると際限なく巡る私の思考も息みました。
欲によって欲を断ずる。それは際限のないものですか?
いいえ。違いますね。今日は良いお話を聞けました。ありがとうございました。
補足情報
- 出典:雑阿含経巻第21-561
(五六一)如是我聞。一時佛住倶睒彌國瞿師羅園。尊者阿難亦在彼住。時有異婆羅門。詣尊者阿難所。共相問訊慰勞已。於一面坐。問尊者阿難。何故於沙門瞿曇所修梵行。尊者阿難。語婆羅門。爲斷故。復問。尊者。何所斷。答言。斷愛。復問。尊者阿難。何所依而得斷愛。答言。婆羅門。依於欲而斷愛。復問。尊者阿難。豈非無邊際。答言。婆羅門。非無邊際。如是有邊際。非無邊際。復問。尊者阿難。云何有邊際。非無邊際。答言。婆羅門。我今問汝。隨意答我。婆羅門。於意云何。汝先有欲來詣精舍不。婆羅門答言。如是阿難。如是婆羅門。來至精舍已。彼欲息不。答言。如是尊者阿難。彼精進方便籌量。來詣精舍。復問。至精舍已。彼精進方便籌量息不。答言。如是尊者阿難復語婆羅門。如是婆羅門。如來應等正覺。所知所見。説四如意足。以一乘道淨衆生。滅苦惱。斷憂悲。何等爲四。欲定斷行成就如意足。精進定。心定思惟定斷行成就如意足。如是聖弟子修欲定斷行成就如意足。依離依無欲依出要依滅向於捨。乃至斷愛。愛斷已。彼欲亦息。修精進定。心定。思惟定斷行成就。依離依無欲依出要依滅向於捨。乃至愛盡。愛盡已。思惟則息。婆羅門。於意云何。此非邊際耶。婆羅門言。尊者阿難。此是邊際。非不邊際。爾時婆羅門。聞尊者阿難所説。歡喜隨喜。從座起去
(大正No.99, 2巻147頁a段13行-b段12行)
- 国訳一切経2巻147頁
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