本記事は「雑阿含経巻第24-6619」の内容を基に作りました。
自らを護るものは他を護る。他を護るものは自らを護る。
さて今回はこんな昔話をしましょう。
昔、昔ある所に二人の曲芸師がいました。師匠と弟子が二人で、曲芸を披露していました。
どんな曲芸をしていたのですか?
こんな曲芸が得意だったそうです。
肩の上に棒をのせます。ちょうど幡を立てるときのように、棒をたてて、その棒のてっぺんにもう一人が乗るのです。
絵にするとこんな感じか。
下で棒を支える方は力がいりそうだね。
上でバランスとるのも難しいでしょう。
師匠は弟子によくこう言っていたそうです。
「おまえは棒の上で下を向いて私を護れ。わたしもまたお前を護るから」と。
そうして互いに護りあり、様々な場所で芸を披露しました。彼らの芸は評判になり、彼らは多くの財を得ました。
ある時、弟子が師匠にこう言いました。
「私は師匠に言われたようにできませんでした。私はただただ棒の上で落ちないように落ちないようにと、必死に自分を護ることで精いっぱいでした。
そんな私を師匠はいつも下で支えてくれました。私は自分の事を護ってばかり、師匠に支えてもらうばかりでした。
なのに師匠はショーでの稼ぎをいつも均等に分けてくださいました。おかげさまで私も多くの財産を得ました。
しかし思うのです。この財産は本当に私が頂いてよいものだったのだろうかと。そう考えると何だか胸がモヤモヤして落ち着かないのです」
師匠に支えてもらってばかりか……。後ろめたく感じてしまったのかな。
そんな弟子に師匠はこう言いました。
「お前の言う通り、各自が自分を護るのだ。それで良い。お前はちゃんと私の言ったおりの事をしている。
そうやって自らを護る時は、他を護っているのだ。そうやって他者を護る時もまた己を護っているのだ。
お前は自分の事だけ大事にしていたように思っているかもしれないが、私もまたお前に大事にされていたのだ。」
この弟子は棒の上で一生懸命にバランスを取っていた。落ちないように自分を護っていた。そうやって自分を護っていたんだね。
うん。そしてそれは、師匠の上に落ちないように自らのバランスを保っている。だから師匠も護っていることにもなっている。
なるほど。師匠も棒の上の弟子が落ちないように必死に支えて護っていたけど、それは弟子を護るだけじゃなくて、自分の身を護ることにもなっていたんだね。
そ
れにこの曲芸だって、師匠と弟子の息が合わないとできないよね。
日々の研鑽だって必要でしょう。
そうですね。またこうして「護る」ということが自然と表れるなら、それは「自らを護り、他を護る」というものなのでしょう。
ではどうやって「自らを護り他を護る」のでしょうか?
棒の下で支えてくれた師匠と棒の上でバランスを保っていた弟子は、お互いの事をどのように想いあっていたのだろうね。
曲芸だから、やっぱり、恐怖っていたらできないよね。
意見の食い違ったりして、息を合わそうとすることがなくなったらできないね。それこそ、互いの失敗を狙って足を引っ張り合っていたらできないよね。
お互いが思い合う関係性があってこそか。
そうですね。そのようなことが成り立ってこそ「自分を護り、他を護る」ということが成り立つのでしょう。
なるほど。
皆さんもまさに、このように学んで下さい。
はい! ありがとうございました。
補足情報
- 出典:雑阿含経巻第24-619
(六一九)如是我聞。一時佛在拘薩羅人間遊行。於私伽陀・聚落・北身恕林中。爾時世尊告諸比丘。過去世時有縁幢伎師。肩上竪幢語弟子言。汝等於幢上下向護我我亦護汝。迭相護持。遊行嬉戲。多得財利。時*伎弟子語*伎師言。不如所言。但當各各自愛護。遊行嬉戲。多得財利。身得無爲安隱而下。*伎師答言。如汝所言。各自愛護。然其此義亦如我説。已自護時即是護他。他自護時亦是護已。心自親近。修習隨護作證。是名自護護他。云何護他自護。不恐怖他。不違他。不害他。慈心哀彼。是名護他自護。是故比丘。當如是學。自護者修四念處。護他者亦修四念處。佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行
(大正No.99, 2巻173頁b段5行-19行)
- 国訳一切経阿含部2巻177頁
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