仏教トーク

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修行者は自己を調理する善き料理人

自分を変えようとするとき、あなたは「外」と「内」のどちらを見ていますか?雑阿含経に残る善き料理人のたとえ話を通して、お釈迦さんが修行者に語りかけます。お釈迦さんと弟子の対話形式でたどります。
仏教トーク

お釈迦さんに「大丈夫」の意味を聞いてみた

普段何気なく使う「大丈夫」という言葉、実は仏教由来とも言われています。古い経典ではどのように記されているのか。お釈迦さんと弟子の対話形式でたどります。
仏教トーク

黒い牛は白い牛を繋いでいるか|シッタラ(質多羅)長者のたとえ話

眼が先か、色や形が先か。弟子たちが食堂で議論していると、シッタラ長者が通りかかります。「黒い牛と白い牛が互いに繋がれているとしたら、どちらがどちらを繋いでいるのか」——長者のたとえ話が、問いの構造そのものをひっくり返します。
仏教トーク

女性修行者に誘惑されるアーナンダ(阿難)の話

仏教では欲望をどう扱うのか。アーナンダが迫られた誘惑の場面と、そこから語られた説法を雑阿含経より会話形式でたどります。欲・懺悔・戒めに関心がある方へ。
付録(仏教トーク)

お釈迦さんの弟子達や周囲の人々「仏教トーク(経典内)の登場人物」

「仏教トーク」内で登場する人物は、原始仏教の経典に実際に登場する方々です。このページでは、経典に基づく登場人物をまとめています。それぞれの名前をクリックすると、その人物に関連する仏教トークの記事一覧へ...
仏教トーク

欲によって欲を断ず|アーナンダ(阿難)の説法

欲を断ずるために、欲を使う——矛盾に見えるこの言葉に、アーナンダはどう答えたのか。雑阿含経の問答を会話形式で読む。
仏教トーク

困ったお爺さんの話|カッチャーナ(迦旃延)の対応

「年長者には敬意を払うべきだ」と主張する老修行者に、カッチャーナはどう応じたのか。雑阿含経(巻第20-547)をもとにした仏教トーク。老師の条件、欲の根本、そして〈時〉について。
仏教トーク

指摘する側・される側の心得|サーリプッタとお釈迦さんの会話

人の過ちを指摘するとき、また指摘されるとき——何が自分の支えになるのか。サーリプッタとお釈迦さんの問答(雑阿含経)から、指摘する側と受ける側、それぞれの心のあり方を一緒に考えます。
仏教トーク

兵士と信者の言い争い|受は二つか、三つか、それとも——

「受(じゅ)は三つ」「いや二つだ」と言い争う兵士と信者が、お釈迦さんに直訴します。お釈迦さんの答えは一つでも、無量でも——。雑阿含経第485経をもとにした会話形式の仏教解説です。
仏教トーク

葉っぱから学ぶ仏法の伝え方:言葉で伝わることと伝わらないこと

お釈迦さんが手にした一枚の葉を通して、言葉で伝えられる仏法と、まだ伝えきれない仏法の違いを弟子と語り合う。点と点をつなぎ、学びを深める視点を紹介。
仏教トーク

第二の矢のたとえ|仏弟子と凡夫の違いを会話で学ぶ

花を見て「欲しい」と思う。その次に何が起きているのか。雑阿含経が説く「第二の矢」のたとえを通して、凡夫と仏弟子の心の働きの違いを、会話形式でたどります。
仏教トーク

風の感覚でたどる、仏教の四諦の教え

風が吹けば、ある人には心地よく、ある人には不快です。この「受」の風から、苦諦・集諦・滅諦・道諦をたどります。雑阿含経をもとに、自然のたとえで四諦の教えを考えます。
仏教トーク

すべては燃えている|煩悩の火をお釈迦さんの対話から考える

弟子たちの言い争いを通して、お釈迦さんが説く「一切は燃えている」の意味に触れます。眼・耳・心、日常に潜む煩悩の火に気づきながら、そのやり取りをたどります。
Buddhist talk

Exhausting Kleshas: Lessons on Practice and Awakening from a Hatching Chick

This article explores how Kleshas (煩悩) are exhausted through practice, using the metaphors of a hatching chick and a master lumberjack, based on Saṃyukta Āgama Sutra 10-263.
仏教トーク

前世の『業』の話はやめなさい|仏教でいう<業>とは習慣の力

前世の話や宿業に心が向いていませんか?仏教で説く<業>は、前世や宿命の話ではなく、私たちの行為や日常の習慣そのものを意味します。雑阿含経をもとに「世間の業」と「仏教の<業>」の違いを整理し、習慣としての行為がどのように私たちに影響するかを解説します。
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