仏教トーク

仏教トーク一覧(更新順) 仏教トーク
動画仏教トーク

「何事にも捕らわれない」の勘違い【仏教トーク】&編集後記「ブラジル寺院での出来事」

「出典:雑阿含経巻第43-1174」阿含経にあるお釈迦さんと在家者さんのやり取り。
仏教トーク

善き知識・善き友達

本記事は「雑阿含経巻第27-726」の内容をもとに作りました。善き友達がいるという事は、修行の半ばではなく、その全て。
動画仏教トーク

正しい事実の使い方【動画仏教トーク】

「出典:雑阿含経巻第2-35」アヌルッダさん、ナンダさん、さん達の「無常」に関する議論を動画にしました。
仏教トーク

言っている事は同じでも中身が違う

本記事は「雑阿含経巻第27-713,714」の内容をもとに作りました。すべき時、すべきでない時。その時その時でやっていい事と悪いことがあります。たとえ同じ行動をしていたとしても、同じことを言っていたとしても、それを間違えれば、それは異なるものでしょう。
動画仏教トーク

正見(正しく見る)とは?【動画仏教トーク】

「出典:雑阿含経巻第12-301」お釈迦さんがいう「正見(しょうけん)」とは、どういうことなのでしょうか? 例えば「有」「無」。とりあえず、この二つの分け方から考えてみましょう。お釈迦さんとカッチャーヤナゴッタさんとの対話から
仏教トーク

心に育つ樹|ニグローダの樹のたとえ

本記事は「雑阿含経巻第26-708」の内容を基に作りました。私達の心の中では、樹が育っていく。
動画仏教トーク

続・琴のたとえ|修行と悟り【動画仏教トーク】

「出典:雑阿含経巻第9-254」この動画は、前回の話、琴のたとえの、後日談になります。 前回のあらすじ。修行をやめてしまいたいと悩んでいたソーナさん。お釈迦さんに相談したところ、自分が得意とする音楽、琴の楽器にたとえた教えを受けました。そしてソーナさんは、お釈迦さんの弟子を続けることにしました。 それからソーナさんは無事、その迷いを解決。師匠であるお釈迦さんに、自分の気づきを報告しにいった所から、この話ははじまります。
仏教トーク

仏法の教え方の違い|乳母のたとえ

本記事は「雑阿含経巻第26-685」の内容を基に作りました。伝えたい事は同じでも、伝え方は千差万別。弟子への伝え方の違いを、乳母と赤ん坊に喩えて説いています。
動画仏教トーク

琴のたとえ|張りすぎれば切れ、緩めすぎると音はでない【動画仏教トーク】

お経の内容を動画にしました。「出典:雑阿含経巻第9-254」修行を人一倍頑張っていたソーナさん。しかし、全く悟ることができません。「もう才能がないから私には無理。弟子をやめたい」お釈迦さんはに相談にいきました。そこで語られたのは、琴のたとえ話でした。
仏教トーク

罠にかかった猿のたとえ

本記事は「雑阿含経巻第24-620」の内容を基に作りました。罠に捕らわれてしまい身動きがとれなくなってしまった猿のように、私人間も捕らわれ縛られてしまうことがある(無縄自縛)
動画仏教トーク

無明とは?|サーリプッタによる仏教用語の解説【動画仏教トーク】

▽原作「仏教トーク」無明と愚癡について「無明むみょう」「愚癡ぐち」は仏教の煩悩のうちの一つ。今回の仏教トークを編集する上で無明と愚癡の細かいニュアンスについて気になったので、少し調べてみた。基本的に、...
仏教トーク

曲芸師の師匠と弟子の話|自らを護るものは他を護る。他を護るものは自らを護る。

出典「雑阿含経巻第24-619」
動画仏教トーク

計るという病い【動画仏教トーク】

▽原作「仏教トーク」仏教と心の分野私達の頭、いや心といえばいいのでしょうか。内面で日々色々な事を考えて生きています。一言で考えるといっても、この内面の働きは分けようと思えば、様々な種類の考え方がありま...
動画仏教トーク

【動画】三脚のたとえ|(あとがき)○○第一という異名について

弟子の○○第一という異名について
仏教トーク

修行者は自己を調理する善き料理人

本記事は「雑阿含経巻第24-616」の内容を基に作りました。自己を調理(ととの)える。自分を大切にするってことは、なにも自分だけを大切にすることってことだけじゃない。自己を調えることで、他者から大事にされるようになる。
タイトルとURLをコピーしました