仏教トーク一覧(更新順)

仏教トーク

女性修行者に誘惑されるアーナンダ(阿難)の話

「出典:雑阿含経巻第21-564」アーナンダ(阿難)に恋をしてしまった一人の女性修行者。アーナンダへの想いから彼女は大胆な行動に打って出ます。彼女の誘惑に対してアーナンダさんはどう応えたのか?
動画仏教トーク

【動画】無益な争論4|そのような議論はよしなさい

動画+編集後記。取り扱い次第では、どんなに良いものでも、人は悪いように使ってしまう。昔も今も考えることは大切です。
仏教トーク

欲によって欲を断ず|アーナンダ(阿難)の説法

「出典:雑阿含経巻第21-561」私達は欲に振り回されることがあります。この欲を断ずるにはどうすればいいのでしょうか。アーナンダ(阿難)は答えます。欲を断ずるには欲が必要です。欲が有るだけでは、欲望に振り回されるし、逆に欲を無くしても欲は無くならない。欲が有るから欲は無くなる。矛盾するようでその通り。
動画仏教トーク

【動画】無益な争論3|私の方が知っている!

動画+編集後記。取り扱い次第では、どんなに良いものでも、人は悪いように使ってしまう。昔も今も考えることは大切です。
仏教トーク

困ったお爺さんの話|カッチャーナ(迦旃延)の対応

「出典:雑阿含経巻第20-547」ある日「私が一番の年長者なんだから一番偉いんだ!」と、一人の老年修行者がやってきた。お釈迦さんの弟子達であるカッチャーナ(迦旃延)の対応。
動画仏教トーク

【動画】無益な争論2|同じ言葉を使っているからって、同じ話をしているとは限らない。

動画+編集後記。各国や王の勢力や財力などの話というと、ジャンルで言えば政治関連の話になるかと思います。私自身も政治関連の情報にまったく触れないかというとそんなことはありません。むしろ、ニュースを観て情報や知識を得たり、関心を持つことは大切なことだと考えています。
仏教トーク

指摘する際の心得、指摘される際の心得|舎利弗(サーリプッタ)と仏陀(お釈迦さん)の会話より

「出典:雑阿含経巻第18-497」大事なことを伝えたい。でも私の伝えたい事を理解しようとしてくれません。世の中の人達は、理解せずに言い争い、互いに否定しあうネタにしてしまう。どんなに素晴らしい教えも道具も、使い方を誤れば本来の意味を見失う。
動画仏教トーク

【動画】無益な争論|無限か有限か、有るか無いか、人ははっきりさせたがる

▽原作「仏教トーク」 編集後記 お釈迦さんはあえてそのことについて答えない。お経の中にその答えは記されていない。 そういうのを仏教学では「無記むき」と言います。この教えは、経典の随所で見られます。今回...
動画仏教トーク

【動画】良い医者のたとえ|「四諦」の教えの導入口

①病気(苦しみ)になる。その正体は②病原体(煩悩)。③病原体を無くせば、病気が治る。その④治療法が仏教。このような解釈は確かにわかりやすいです。私も最初はこのように教わりました。だから全然四諦について興味を持てなかったです。このような知識があったところで苦しみを解決できるかと言えば、そんなものは机上の空論です。
仏教トーク

兵士と信者の言い争い|素晴らしい教えでも使い方を違えば本来の意味を失う

「出典:雑阿含経巻第17-485」大事なことを伝えたい。でも私の伝えたい事を理解しようとしてくれません。世の中の人達は、理解せずに言い争い、互いに否定しあうネタにしてしまう。どんなに素晴らしい教えも道具も、使い方を誤れば本来の意味を見失う。
動画仏教トーク

【動画】中道の教え:天眼第一阿那律(アヌルッダ)の失明に至った経験から学ぶ

仏教エピソードでも、仏教トークでも、動画でも必ずこの話から作っているぐらい、私はこのお経の話が好きです。
仏教トーク

点ではなく線や面のように、隙間なくつなげて見なさい。

「出典:雑阿含経巻第15-404」大事なことは、点と点で考えずに、線や面で見るように心がけなさい。立体に見るよう心がけなさい。隙間なく見るよう心がけなさい。大林の木々に隙間なく生い茂る葉の如く、学んで下さい。
仏教トーク

第二の矢のたとえ|仏弟子と凡夫(仏弟子でない人)の違い

「出典:雑阿含経巻第17-470」仏教用語「五蘊(色・受・想・行・識)」の中の「受」ついて、お釈迦さんの解説が、このお経の中に載っています。第二の矢のたとえ話を用いて語られる「受」のお話です。
仏教トーク

風のたとえ|仏教の基礎「四諦」の教えについて

「出典:雑阿含経巻第17-471」仏教の基礎の教え「四諦」は、火や風などのたとえから考えるととてもイメージしやすいです。お経の中でも、よくたとえ話がされているので、それら別々のたとえ話あわせて考えると、また理解が膨らみます。
仏教トーク

すべては燃えている|煩悩を火に喩えて

「出典:雑阿含経巻第8-197」仏教で煩悩を火に喩えて話されることが多いですが、その一例です。貪欲の火によって燃えている。怒りの火によって燃えている。愚かの火によって燃えている。一切は燃えている。
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