仏教トーク

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正見(正しく見る)とは?【動画仏教トーク】

「出典:雑阿含経巻第12-301」お釈迦さんがいう「正見(しょうけん)」とは、どういうことなのでしょうか? 例えば「有」「無」。とりあえず、この二つの分け方から考えてみましょう。お釈迦さんとカッチャーヤナゴッタさんとの対話から
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心に育つ樹|ニグローダの樹のたとえ

本記事は「雑阿含経巻第26-708」の内容を基に作りました。私達の心の中では、樹が育っていく。
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続・琴のたとえ|修行と悟り【動画仏教トーク】

「出典:雑阿含経巻第9-254」この動画は、前回の話、琴のたとえの、後日談になります。前回のあらすじ。修行をやめてしまいたいと悩んでいたソーナさん。お釈迦さんに相談したところ、自分が得意とする音楽、琴の楽器にたとえた教えを受けました。そしてソーナさんは、お釈迦さんの弟子を続けることにしました。それからソーナさんは無事、その迷いを解決。師匠であるお釈迦さんに、自分の気づきを報告しにいった所から、この話ははじまります。
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仏法の教え方の違い|乳母のたとえ

本記事は「雑阿含経巻第26-685」の内容を基に作りました。伝えたい事は同じでも、伝え方は千差万別。弟子への伝え方の違いを、乳母と赤ん坊に喩えて説いています。
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琴のたとえ|張りすぎれば切れ、緩めすぎると音はでない【動画仏教トーク】

お経の内容を動画にしました。「出典:雑阿含経巻第9-254」修行を人一倍頑張っていたソーナさん。しかし、全く悟ることができません。「もう才能がないから私には無理。弟子をやめたい」お釈迦さんはに相談にいきました。そこで語られたのは、琴のたとえ話でした。
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罠にかかった猿のたとえ

本記事は「雑阿含経巻第24-620」の内容を基に作りました。罠に捕らわれてしまい身動きがとれなくなってしまった猿のように、私人間も捕らわれ縛られてしまうことがある(無縄自縛)
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サーリプッタによる仏教用語の解説|編集後記「無明と愚癡について」【動画仏教トーク】

▽原作「仏教トーク」編集後記「無明と愚癡について」「無明むみょう」「愚癡ぐち」は仏教の煩悩のうちの一つ。今回の仏教トークを編集する上で無明と愚癡の細かいニュアンスについて気になったので、少し調べてみた...
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曲芸師の師匠と弟子の話|自らを護るものは他を護る。他を護るものは自らを護る。

出典「雑阿含経巻第24-619」
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計るという病い|編集後記「仏教と心の分野」【動画仏教トーク】

▽原作「仏教トーク」編集後記「仏教と心の分野」私達の頭、いや心といえばいいのでしょうか。内面で日々色々な事を考えて生きています。一言で考えるといっても、この内面の働きは分けようと思えば、様々な種類の考...
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【動画】三脚のたとえ|編集後記「○○第一という異名について」

弟子の○○第一という異名について
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修行者は自己を調理する善き料理人

本記事は「雑阿含経巻第24-616」の内容を基に作りました。自己を調理(ととの)える。自分を大切にするってことは、なにも自分だけを大切にすることってことだけじゃない。自己を調えることで、他者から大事にされるようになる。
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【動画】卵とヒナのたとえ&木こりのたとえ|編集後記「漏尽について」

漏尽という仏教用語について
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【動画】風のたとえ|編集後記「仏教の基礎「四諦」の教えについて 」

「出典:雑阿含経巻第17-471」仏教の基礎の教え「四諦」は、火や風などのたとえから考えるととてもイメージしやすいです。お経の中でも、よくたとえ話がされているので、それら別々のたとえ話あわせて考えると、また理解が膨らみます。
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大丈夫とは?|普段から使っている仏教用語、古い経典にも載っています。

「雑阿含経巻第22-614」の内容が基になっています。「大丈夫!」と普段何気なく使っている言葉は仏教由来の言葉です。自己の身心をよく観察し、考察し、よく知る。これが「大丈夫」という意味です。
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一切は燃えている|編集後記「仏教は厭世的な考えではない」【動画仏教トーク】

動画+編集後記。教科書で読んで学ぶだけなのか、実際に現場に出て学ぶのか。この学びの違いはとても大きなものです。きっとお経というもの同じように、現場に出て学ぶと印象が変わるはずだと私は思います。
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