仏教トーク

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比べない、比べられない、人の事

本記事は「雑阿含経巻第35-990」の内容をもとに作りました。人と人を比べて、優劣をつけ、数字の上で評価するにように推し量ることは止めたほうがよいです。人をこのように計れば、その考え方に病んでくるでしょう。自分も他者からのそのような評価を気にし、その考え方に患わされることになるでしょう。
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愛から怒りが生まれる。怒りから愛が生まれる。

本記事は「雑阿含経巻第35-985」の内容をもとに作りました。仏教的に、好き・嫌いなどの感情、欲望と怒りなどの欲求をどのように考えているのか、教えを振り返りながら「愛から怒りが生まれる。怒りから愛が生まれる」の意味を探ります。
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学びの種、実を結び、果と成る|三学(戒・定・慧)

本記事は「雑阿含経巻第29-827」の内容をもとに作りました。三学(戒・定・慧)について書かれています。この三つの学びについての見解を、農作業に喩えて説いています。
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問題に向き合う人、答えに向かう人

本記事は「雑阿含経巻第28-785」の内容をもとに作りました。苦という問題に向き合い、その原因をよく見る事。そしてどうすれば解決するのか、具体的にどのように対応すればいいのか。よく観察して考えなさい
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善き知識・善き友達

本記事は「雑阿含経巻第27-726」の内容をもとに作りました。善き友達がいるという事は、修行の半ばではなく、その全て。
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修行の心得:お釈迦さんと弟子たちの対話から学ぶ身と心の調え

七覚支を通して学ぶ修行の心得。「煩悩を滅しなさい」「修行しなさい」――同じ言葉でも、心や身体、行いのあり方によって意味は変わります。お釈迦さんと弟子たちの対話から、心と身体の調えるヒントを見ていきましょう。
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心に育つ樹|欲望に覆われないためのニグローダのたとえ

街での托鉢での出来事から学ぶ、修行者の心と欲望のあり方。ニグローダの樹の比喩で、心の成長と節度の大切さを仏教的に解説します。
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仏法の教え方の違い|乳母のたとえ

本記事は「雑阿含経巻第26-685」の内容を基に作りました。伝えたい事は同じでも、伝え方は千差万別。弟子への伝え方の違いを、乳母と赤ん坊に喩えて説いています。
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罠にかかった猿のたとえ

本記事は「雑阿含経巻第24-620」の内容を基に作りました。罠に捕らわれてしまい身動きがとれなくなってしまった猿のように、私人間も捕らわれ縛られてしまうことがある(無縄自縛)
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曲芸師の師匠と弟子のたとえ話|自らを護るものは他を護る。他を護るものは自らを護る。

「雑阿含経巻第24-619」の内容が基に作りました。自分を護るということは、他者を護ること。他者を護るということは、自分を護るという事。そのどちらかだけでは成り立たない。
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修行者は自己を調理する善き料理人

本記事は「雑阿含経巻第24-616」の内容を基に作りました。自己を調理(ととの)える。自分を大切にするってことは、なにも自分だけを大切にすることってことだけじゃない。自己を調えることで、他者から大事にされるようになる。
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大丈夫とは?|普段から使っている仏教用語、古い経典にも載っています。

「雑阿含経巻第22-614」の内容が基になっています。「大丈夫!」と普段何気なく使っている言葉は仏教由来の言葉です。自己の身心をよく観察し、考察し、よく知る。これが「大丈夫」という意味です。
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黒い牛と白い牛|シッタラ(質多羅)長者

「雑阿含経巻第21-572」の内容が基になっています。黒い牛と白い牛ですが内容は「卵が先か鶏が先か」といったような話です。ずっと昔から人類は同じようなことで考えてしまうのですね。
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女性修行者に誘惑されるアーナンダ(阿難)の話

仏教では欲望をどう扱うのか。アーナンダが迫られた誘惑の場面と、そこから語られた説法を雑阿含経より会話形式でたどります。欲・懺悔・戒めに関心がある方へ。
付録(仏教トーク)

お釈迦さんの弟子達や周囲の人々「仏教トーク(経典内)の登場人物」

「仏教トーク」内で登場する人物は、原始仏教の経典に実際に登場する方々です。このページでは、経典に基づく登場人物をまとめています。それぞれの名前をクリックすると、その人物に関連する仏教トークの記事一覧へ...
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