
以下の会話は、「雑阿含経巻第10-263」の内容を参考しました。
仏教エピソードのような原文を基本とした翻訳ではありませんので、あしからず。
煩悩が尽きるとは?

悟った人というのは煩悩が無くなった人。
皆、漠然とそう思っているよね?

そうねぇ。そして、逆に言えば、煩悩がある人は、まだ悟ってない人ということだね。

悟った人=煩悩が尽きて無くなった人。
悟っていない人=煩悩がある人。
一般的にこういう話をよく耳にするのですが、師匠はどう考えていますか?

悟る。煩悩が尽きる。それは何なのでしょう。
何を知り、何を見る人が、煩悩を尽くすというのでしょうか。

え?
何を知ったら、悟るのですか?
何を見たら、煩悩が尽きるのですか?

少し見方を変えましょうか。
例えば、ここに私の身体があります。
見えますか?

もちろん。見えますよ。

師匠の身体ですね。

この身体とは何でしょうか?

身体は身体ですよ。そんなの分かります。

?
すみません。質問の意図がよく分かりません。

では少し質問を変えましょうか。
身体はどうして今ここにあるのですか?

えっ? 生まれたから?

食べたり飲んだりして、身体を作っているからでしょうか。

それだけですか?
また少し質問を変えましょう。
身体は何でできているのでしょうか?

骨や筋肉、内臓や血液。言えばきりがありませんね。
細胞でいえば、37兆個あるいは60兆個の細胞があるとも言われていますよね。

それだけですか?

いいえ。さっき食べたり飲んだりと言いましたが、食べ物が無いと生きていけません。つまり身体も維持できないという事ですから、食べ物からできているとも言えると思います。

それを言うなら、水や空気がないと生きていけないじゃないか。

そうか。当然、水や空気も必要。
ってあれ?
でもそう考えら、酸素を作り出す樹々とか、大地とかや太陽とか……。

あれやこれやと、きりがないな。

ええ。でも必要不可欠なものばかり。

話は尽きませんが、ここでまた質問を変えますね。
今ここにある身体は、どうなりますか?

どうって、はっきりいうと、人はいつか死にます。
つまり、身体もいつかは朽ち果てます。

物が壊れるのと同様に、人の身体も壊れていく、いや滅していくと言えばいいのでしょうか。

ならば、どのように滅していくのですか?

ん?
言い換えると、老いていくってことですかね。

年をとれば、身体機能もだんだん衰えていきますね。
でも若い頃は、どんどん成長してます。

ならば、どのように変化するのですか?

細胞分裂っていうことですかね。

シワができたりとか、重たいものが持てるようになったとか、逆に持てなくなったとか、そういうことも言えると思うけど。

そっか。そういうのも変化だもんね。

体調も、日に日に変化してる。

細胞の一つ一つでいえば、毎日、目まぐるしいほどの数が生まれては死んでいる。新陳代謝っていうやつだね。

なるほど。
では、身体以外も考えてみましょうか。

他の物ってことですか?
身体と同じように、話せばきりがないですよ?

他にもありますよ。
心はどうです?
これまでも質問を心に置き換えてみてください。

え?
そうか。心もですか。えーっと……。
あれ? 心って見えますか?

いや。心を観察するっていうことでしょ。

心とは何ですか?
心はどうして今ここにあるのですか?
今ここにある心は、どうなりますか?

あのぉ。申し訳ないのですが、話がどんどん膨らんでしまうので、一度ここは話を元に戻しませんか?
何を知り、何を見る人が、煩悩を尽くすというのでしょうか。

そうですね。
このように見る者、このように知る者は、煩悩を尽くすと、私は言います。

えっ?
このようにって、いま私達、師匠の言った通りに応えてましたよ。
つまり、もう既に私達は悟っているってことでいいんですか!?

いや。さすがにそんなわけないでしょう。

でも、さっきの会話は追いつけたし、言っていることは理解できたけど。確かに観察してたし、見ていたし、それで知ることもできたよ。

そりゃ、私も会話は理解できたけど、それで悟ったとは言えないでしょう。ただ見て、ただ知っているだけではダメな気がする……。

ふむ。では、例えば、ここに鶏の卵があったとします。
卵からヒナが孵ることは知っていますね?

もちろん。知ってますよ。

つまり、有精卵ですね。

有精卵?
卵ってあたためたら、孵るんじゃないの?

ヒナが孵化するのは有精卵だよ。
で、一般的に食べるのは無精卵。

有精卵にはヒナがいると。
とにかく、師匠の仰っている卵ってのは、その有精卵ってことですね。何にせよ、ヒナが卵から生まれてくるのは知ってますよ。

そうですねぇ。ならば、それを知っていれば、孵化しますか?

さっきも言いましたけど、あたためなきゃいけないことぐらい、私も知っていますよ。

ヒナが卵のカラを破り孵る。
それは何故か。
あたためるからです。
自然と煩悩が尽きる。
それは何故か。
修行して身につけるからです。

そうか。知っているだけでは、孵化しないですね。
あたためるって行動、実践があってはじめて孵化します。
逆に言えば、あたためなかったら、ヒナが孵ることもない。

修行=あたためるってわけか。
ま、要するに、あたためたらいいわけでしょう。
何度も言ってますが、あたためることぐらい知っていますよ。簡単な話ですね。

暖めるって簡単にいいますが、ヒヨコから育てるのだけでも結構難しいですよ。実際にやってみると、温度管理がとても大変なんですよ。

あたためるって簡単に言えますが、それを実際に行うことはそんな簡単なことではないですね。

そういえば、あたためるってことを知っていても、実際に卵をあたためたことはないな。

ヒナがカラを破るように、私も自分のカラを破らないと。
だからこそ、修行しないとダメなんですよね。悟る為に、煩悩を尽くそうと固く決意して、修行しなきゃいけない!
そういうことですね!?

ヒナが決意せずとも、自然と、ヒナは卵のカラを破り孵る。
それは何故か。
あたためるからです。
自然と煩悩が尽きる。
それは何故か。
修行して身につけるからです。

え?

言われてみれば、ヒナが生まれようとか生まれたくないとか、どう望んでいるかに関わらず、あたためたなら自然と孵りますね。

確かに……。

「修行しなきゃダメ!」とか「修行しているんだ!」とか、あまり考えなくていんじゃないの?

もし、ヒナが「俺カラを破らなきゃ!」「今カラを破ってるんだ!」って感じででてきたら、むしろ不自然に思える……。

自然と煩悩が尽きるでしょう。
それは何故か。
修行して身につけるからです。

なら、それはいつですか?

そうですよ。一体どれぐらい修行したらいいんですか?

そうですね。では、ある木こりの師匠と弟子の話をしましょうか。
師匠は斧を巧みに操ることができました。
もちろん、弟子にも斧の扱い方を教えます。
握り方、振り方、弟子の身体の動きを見て、丹念に教えました。
弟子も師の指導に従い、斧を振りました。

私達も、師匠にしっかり教わっていますよ。

でも斧の振り方って、一通り教えてもらったら、後はひたすら斧を振るしかないでしょう。

弟子は、師のように、毎日毎日、斧を振りました。
もちろん、手にはマメができ、皮が硬くなっていきますが、そんな些細な変化に弟子は気づきません。
師はその手を見、指を見ていました。

で、いつ師匠みたいに一人前になれるのですか?

ある日のことです。
弟子の斧が壊れました。
それでようやく、師匠は弟子を一人前と認めたのです。

つまり、斧が壊れたら一人前ってことですか!?
じゃぁ、私の場合、いつになったら斧が壊れるのですか!?

師匠は、弟子の手を見て、指を見ます。
しかし、今日、斧が壊れるのか、それとも明日、斧が壊れるのかは知りません。
ですが、いつか、正しく斧が壊れるということは知っています。

いつ、そうなるかは知らないけど、いつかはそうなると知っているんですね……。

ええ……。じゃぁ、その時が来るのを待っているしかないのか。

待っていても、来ないよね?

確かに。待っているってのは違うか。

自然と煩悩が尽きるでしょう。
それが今日なのか、明日なのか、誰も知り得ない。
しかし、彼の弟子は煩悩が尽きるということを知る。
それは何故か。
修行して身につけるからです。
あとがき

答えがないところがいいですね。

ないわけではないんですけどね。

そうですね。
でも「答えはこれです!」とはっきりとした答えを言っているわけではないですよね。


ただ単に情報を知るだけでは、気が済まないのですね。それでは、本当の意味で智るということにはならない。
実際に自分で行ってみて、そこから自然と智り、彰かになると。

はい。
と、今回はこれにて終了です。

お読み頂き、ありがとうございました。

ありがとうございました。
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