自分がされて嫌な事は他の人にもしない【仏教トーク】

ちしょう
ちしょう

本記事は「雑阿含経巻第37-1044」の内容をもとに作りました。

自分に言い聞かせる為に説く教え

男性2
男性2

今、近くの叢林修行道場(※1)に、お釈迦さんという人がいるって聞いたんだけど。

男性1
男性1

何!? 仏陀と呼ばれているあの人か?

男性2
男性2

そんなに驚くようなことなのか?

男性1
男性1

もちろん。お前、知らないのか?

なぁ、一緒に会いに行かないか?

男性2
男性2

まぁ。おまえがそこまで会いたいのなら、ついていってもいいけど。


男性1
男性1

こんにちは。お釈迦様。是非とも、私に一つ、ご教授ください。

お釈迦さん
お釈迦さん

どうしましょうか……。そうですね。これは自分に言い聞かせる為に説いている事なのですが、それでもよければ、お話しましょうか?

男性1
男性1

是非ともお願い致します。

お釈迦さん
お釈迦さん

私達、仏道を学ぶものは、このように学びます。自分がされて嫌だと思う事は、他の人も嫌がるかもしれない。だから自分がされて嫌な事は、他の人にもしない。

男性2
男性2

え? それって当たり前の事やん……。

男性1
男性1

こら。失礼だろう……。

男性2
男性2

いや、だって……。誰でも言える事じゃないか。「人殺しはよくない」っていうくらい当たり前の事でビックリしたわ。

弟子1
弟子1

「人殺しはよくない」確かにそれは当たり前のことですが、何故、人を殺しちゃいけないか、考えた事はありますか?

男性2
男性2

ダメなものはダメだから。

弟子2
弟子2

それが分からない人にどう説明しますか? どう説得しますか?

男性2
男性2

そんなどうしようもない愚か者は——————

男性1
男性1

そうやって頭ごなしに言ったって、相手は反発するだけだろうよ。

お釈迦さん
お釈迦さん

そうですね。もし、あなた自身を殺そうとしている者がいるとしたら、あなたその相手の事をどう思いますか?

男性2
男性2

不快です。誰だってそうでしょう?

お釈迦さん
お釈迦さん

そうですね。決して喜ばない。自分が喜ばないのであれば、他者もまた同じように喜ばない。どうして殺したいと思える事ができるでしょうか?

男性1
男性1

まぁ、それはそうですね……。誰も喜ばない。誰も喜ばないのに、何故、私達人間はそうしてしまうことがあるんでしょうかね……。

男性2
男性2

確かにそうですね。それは正論ばかりではいかないこともあると思います。

弟子2
弟子2

しかし、皆が殺したいように殺す。そんな世界になったら、それこそ人が生きる世界は終わりを迎えますよ。

弟子1
弟子1

私はそんな殺伐とした世界は嫌ですね。不安や恐怖だらけの世界、そんな世界、誰も望まない……。

弟子2
弟子2

当たり前の事って、当たり前すぎて簡単に考えてしまいがちですが、とても難しいこと、それに大切な事でもあると思います。

お釈迦さん
お釈迦さん

そうですね。殺すというについて考えてみましたが、盗むという事についてはどうでしょうか? もし、自分の大切な何かを盗られたら、どう思いますか?

男性2
男性2

大切なものが奪われたらか……。

お釈迦さん
お釈迦さん

大切な伴侶が奪われる。不倫される。もしそうなったら、あなたはどう思いますか?

お釈迦さん
お釈迦さん

変な噂によって、大切な人、親しい人と仲たがいするように仕向けられたら、あなたはどう思いますか?

お釈迦さん
お釈迦さん

罵倒され、侮辱されるとどう思いますか? 悪口を言われたらどう思いますか?

お釈迦さん
お釈迦さん

うわべっつらで実際の行動が伴わない。そんな誠意のない対応をされ続けたら、あなたはどう思いますか?

男性1
男性1

嫌ですね。

男性2
男性2

不快です。

お釈迦さん
お釈迦さん

「自分がされて嫌な事は他の人にもしない」というのは簡単です。当たり前の事です。しかし、案外、人は当たり前のことほど、よく見失いがちです。

弟子1
弟子1

先ほどまで師匠が言われてたことは、仏教の戒律の中にもありますよね?

お釈迦さん
お釈迦さん

そうですね。

弟子2
弟子2

戒律があるという事は知っていても、どうしてその戒律があるのか、深く考えたことはありませんでした。

弟子1
弟子1

そういえば、私達は、戒律をどのように守らなきゃいけないのかと考える事に、意識が向きがちですね。

弟子2
弟子2

どうするか(how to do)を考えるより、もっと何故あるのか(why is it?)を考えるほうがもっと基本な気がするね。

弟子1
弟子1

be動詞のほうがより基本形だからね。案外基本のほうがおろそかになっちゃうものかもね。

男性1
男性1

言うは易し、行うは難しと言いますが、行う事を難しくしているのは、当たり前の所や基本の所が抜けてしまうからかもしれませんね。

弟子2
弟子2

当たり前なことほど、軽視しがちなんじゃないかな……。でも本当は当たり前ほど重要なのかもしれませんね。

お釈迦さん
お釈迦さん

そうですね。どうか目の前のあたり前の事をよくよく観察してください。

男性2
男性2

私は当たり前のように善悪をつけて考えていましたが、改めてもう一度見つめ直したいと思いました。

男性1
男性1

ありがとうございました。

補足情報

出典

  • 雑阿含経巻第37-1044

(一〇四四)如是我聞。一時佛住在拘薩羅人間遊行。至鞞紐多羅聚落北身恕林中住。鞞紐多羅聚落婆羅門長者。聞世尊住聚落北身恕林中。聞已共相招引。往詣身恕林至世尊所。面相慰勞已。退坐一面。爾時世尊告婆羅門長者。我當爲説自通之法。諦聽善思。何等自通之法。謂聖弟子。作如是學。我作是念。若有欲殺我者我不喜。我若所不喜他亦如是。云何殺彼。作是覺已受不殺生。不樂殺生。如上説。我若不喜人盜於我。他亦不喜。我云何盜他。是故持不盜戒。不樂於盜。如上説。我既不喜人侵我妻。他亦不喜。我今云何侵人妻婦。是故受持不他婬戒。如上説。我尚不喜爲人所欺。他亦如是。云何欺他。是故受持不妄語戒。如上説。我尚不喜他人離我親友。他亦如是。我今云何離他親友。是故不行兩舌。我尚不喜人加麁言。他亦如是。云何於他而起罵辱。是故於他不行惡口。如上説。我尚不喜人作綺語。他亦如是。云何於他。而作綺語。是故於他不行綺飾。如上説。如是七種。名爲聖戒。又復於佛不壞淨成就。於法僧不壞淨成就。是名聖弟子四不壞淨成就。自現前觀察。能自記説我地獄盡。畜生餓鬼盡。一切惡趣盡。得須陀洹不墮惡趣法。決定正向三菩提。七有天人往生。究竟苦邊。時鞞紐聚落婆羅門長者聞佛所説。歡喜隨喜。從*坐起而去
(大正No.99, 2巻273頁b段9行-c段7行)

SAT大正新脩大藏經テキストデータベースより

  • 国訳一切経阿含部3巻62頁

叢林とは

文字の意味だけを見ると、木がむらがって生えている、林を意味します。しかし、そこから転じて、現代では、僧が集まって修行する所という意味となっています。
特に禅宗では、叢林は、僧が集まって修行する所という意味から、叢林は修行道場(寺院)の意味として扱うことが多いです。
お釈迦さんの時代においては、木がむらがった林も、修行者がよく集う場所でした。
しかし、そこから修行者が良く集う場所自体を、次第に叢林と呼ぶようになったのかもしれません。
多くの修行僧が一ヶ所に住することを、木がむらがって林をなすさまにたとえたもの
岩波仏教辞典
そして、禅宗において修行僧が集う場所と言えば、修行道場(寺院)です。
こうして、言葉自体も歴史や場所において、少しずつ変化している様子がわかります。
仏教用語の場合、誤解からか、本来の意味から全然違う意味にとらえられ、現代語として使われることもしばしばあります。
ただこの叢林の場合は、言葉の意味が少しずつ変化していますが、元々の意味も残りながら変化している言葉のように思います。

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