
弟子たちは口々にその人を軽んじ、師のそばを固めました。
お釈迦さんが弟子たちを制した理由

ちょっとあれ、見てごらんよ。あっちから来る人、かなり貧相に見えない?

本当ダッサいなぁ。随分と貧相な格好しているね。
あんな身形で師匠に会うつもりかな?

何?
それはいかんな。師匠の所へ行こう。
そして複数の弟子が、お釈迦さんを守るように周りを囲みました。

あの人は、一体どこの修行者なんだ?

あんな醜陋な恰好で、見るに堪えない。

どうせ、大したやつではないだろう。あんなんで、よく師匠に会おうと思えるなぁ。

あなた達、何を言っているのですか!?
人を見た目で判断して、醜いと他者を軽んじているのですか?

いや、だって見てください、あの恰好。

きっと見た目通り卑しい人物ですよ。

そうして軽く考える事はやめなさい。
妄りに人を量ってはいけません。
弟子達が蔑むその人は、弟子達の言葉を気にすることなく、一歩一歩、落ち着いた様子で、お釈迦さんの所へやってきました。
お釈迦さんへの挨拶の所作は、とても丁寧で、敬意を示すには十分すぎるほどの、きちんとした所作でした。

あなた達、今、彼が私に挨拶をし、礼を尽くしてくれた様子を見ましたか?

見ましたが……。

ひどい見た目の割には、所作はまぁ……。

あなた達。そうやってこの方を軽んじてはなりません。
彼もまた私の弟子です。彼はしっかりと心得た者です。
あなた達、そんな風に人を量ってはなりません。

申し訳ありません。
孔雀と鴻鵠──功徳を積んだ者の尊さ
そして、お釈迦さんは、その教えを詩偈にしました。
孔雀は荘厳な羽を以て着飾るも
大空を舞う鴻鵠(※1)の如くならず。外見を美しく着飾るも
功徳を積んだ貴さには及ばず。今、この弟子は良馬の如く
よくその心・行を調う。欲望や思い込みから離れ
その身心を以て、魔を打ち破る。
補足
原文や動画版、英語版、仏教用語の説明や関連する仏教知識など、補足として参照できます。
動画版
動画版は準備中です。公開までしばらくお待ちください。
原文
- 雑阿含経巻第38-1063
(一〇六三)如是我聞。一時佛住舍衞國祇樹給孤獨園。時有異比丘。形色醜陋難可觀視。爲諸比丘之所輕慢。來詣佛所。爾時世尊四衆圍遶。見彼比丘來皆起輕想。更相謂言。彼何等比丘隨路而來。形貎醜陋難可觀視。爲人所慢爾時世尊知諸比丘心之所念。告諸比丘。汝等見彼比丘來。形状甚醜難可視見。令人起慢不。諸比丘白佛。唯然已見。佛告諸比丘。汝等勿於彼比丘起於輕想。所以者何。彼比丘已盡諸漏。所作已作。離諸重擔。斷諸有結。正智心善解脱。諸比丘。汝等莫妄量於人。唯有如來能量於人。彼比丘詣佛所。稽首佛足。退坐一面。爾時世尊復告諸比丘。汝等見此比丘稽首作禮退坐一面不。比丘白佛。唯然已見。佛告諸比丘。汝等勿於是比丘起於輕想。乃至汝等莫量於人。唯有如來能知人耳。爾時世尊即説偈言 飛鳥及走獸 莫不畏師子 唯師子獸王 無有與等者 如是智慧人 雖小則爲大 莫取其身相 而生輕慢心 何用巨大身 多肉而無慧 此賢勝智慧 則爲上士夫 離欲斷諸結 涅槃永不生 持此最後身 摧伏衆魔軍佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行
(大正No.99, 2巻276頁a段22行-b段19行)
- 国訳一切経阿含部3巻71頁
- 別譯雜阿含經卷第1ー2
- 詩偈の部分は、似たような話のこちらを採用しました。
(二)如是我聞。一時佛在舍衞國祇樹給孤獨園。爾時世尊與無央數大衆。圍遶説法。當于爾時。有一比丘。容色憔悴。無有威徳。來詣佛所。頂禮佛足。叉手合掌。向諸比丘。在一面坐。時諸比丘皆作是念。今此比丘。何故如是顏容毀悴。無有威徳。世尊爾時知諸比丘心之所念。即告之言。汝諸比丘。見彼比丘禮我已不。時諸比丘白佛言。世尊。唯然已見。佛復告言。汝等今者勿於彼所生下劣想。何以故。彼比丘者。所作已辦。獲阿羅漢。捨於重擔。盡諸有結。得正解脱。而今汝等。不應於彼生輕賤想。汝等若當知見如我。然後乃可籌量於彼。若妄稱量。則爲自損。爾時世尊即説偈言 孔雀雖以色嚴身 不如鴻鵠能高飛 外形雖有美儀容 未若斷漏功徳尊 今此比丘猶良馬 能善調伏其心行 斷欲滅結離生死 受後邊身壞魔軍佛説是已。諸比丘等。聞佛所説。歡喜奉行
(T0100_.02.0374a19-b08)
英語版
英語版は準備中です。公開までしばらくお待ちください。
仏教用語
※1鴻鵠とは
大きな鳥のこと。転じて、偉大な人物の意でも用いられる。
この言葉がどのような背景を持つのか、別の記事で詳しく書きました。(2026年9月8日公開)↓




コメント