人は見た目で判断できない【仏教トーク】

ちしょう
ちしょう

本記事は「雑阿含経巻第38-1063、別譯雜阿含經卷第1ー2」の内容をもとに作りました。

人は見た目で判断できない

弟子A
弟子A

ちょっとあれ、見てごらんよ。あっちから来る人、かなり貧相に見えない?

弟子B
弟子B

本当ダッサいなぁ。随分と貧相な格好しているね。

あんな身形みなりで師匠に会うつもりかな?

弟子A
弟子A

何? それはいかんな。師匠の所へ行こう。

ナレーション
ナレーション

そういって複数の弟子がお釈迦さんを守るように、周りを囲みました。

弟子A
弟子A

あの人は、一体どこの修行者なんだ?

弟子B
弟子B

あんな醜陋な醜い恰好で、見るに堪えない。

弟子A
弟子A

どうせ、大したやつではないだろう。あんなんで、よく師匠に会おうと思えるなぁ。

お釈迦さん
お釈迦さん

あなた達、何を言っているのですか!?

人を見た目で判断して、醜いと他者を軽んじているのですか?

弟子A
弟子A

いや、だって見てください、あの恰好。

弟子B
弟子B

きっと見た目通り卑しい人物ですよ。

お釈迦さん
お釈迦さん

そうして軽く考える事はやめなさい。

みだりに人を量ってはいけません。

ナレーション
ナレーション

弟子達が蔑むその人は、弟子達の言葉を気にすることなく、

一歩一歩、落ち着いた様子で、お釈迦さんの所へやってきました。

ナレーション
ナレーション

お釈迦さんへの挨拶の所作は、とても丁寧で、敬意を示すには十分すぎるほどの、きちんとした所作でした。

お釈迦さん
お釈迦さん

あなた達、今、彼が私に挨拶をし、礼を尽くしてくれた様子を見ましたか?

弟子A
弟子A

見ましたが……。

弟子B
弟子B

ひどい見た目の割には、所作はまぁ……。

お釈迦さん
お釈迦さん

あなた達。そうやってこの方を軽んじてはなりません。

彼もまた私の弟子です。彼はしっかりと心得た者です。

あなた達、そんな風に人を量ってはなりません。

弟子A
弟子A

申し訳ありません。

ナレーション
ナレーション

そして、お釈迦さんは、教えを詩偈にしてこう述べました。

お釈迦さん
お釈迦さん

孔雀は荘厳な羽を以て着飾るも

大空を舞う鴻鵠(※1)の如くならず。

 

外見を美しく着飾るも

功徳を積んだ貴さには及ばず。

 

今、この弟子は良馬の如く

よくその心・行を調う。

 

欲望や思い込みから離れ

その身心を以て、魔を打ち破る。

補足情報

出典

  • 雑阿含経巻第38-1063

(一〇六三)如是我聞。一時佛住舍衞國祇樹給孤獨園。時有異比丘。形色醜陋難可觀視。爲諸比丘之所輕慢。來詣佛所。爾時世尊四衆圍遶。見彼比丘來皆起輕想。更相謂言。彼何等比丘隨路而來。形貎醜陋難可觀視。爲人所慢爾時世尊知諸比丘心之所念。告諸比丘。汝等見彼比丘來。形状甚醜難可視見。令人起慢不。諸比丘白佛。唯然已見。佛告諸比丘。汝等勿於彼比丘起於輕想。所以者何。彼比丘已盡諸漏。所作已作。離諸重擔。斷諸有結。正智心善解脱。諸比丘。汝等莫妄量於人。唯有如來能量於人。彼比丘詣佛所。稽首佛足。退坐一面。爾時世尊復告諸比丘。汝等見此比丘稽首作禮退坐一面不。比丘白佛。唯然已見。佛告諸比丘。汝等勿於是比丘起於輕想。乃至汝等莫量於人。唯有如來能知人耳。爾時世尊即説偈言 飛鳥及走獸 莫不畏師子 唯師子獸王 無有與等者 如是智慧人 雖小則爲大 莫取其身相 而生輕慢心 何用巨大身 多肉而無慧 此賢勝智慧 則爲上士夫 離欲斷諸結 涅槃永不生 持此最後身 摧伏衆魔軍佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行
(大正No.99, 2巻276頁a段22行-b段19行)

SAT大正新脩大藏經テキストデータベースより

  • 国訳一切経阿含部3巻71頁
  • 別譯雜阿含經卷第1ー2
    • 詩偈の部分は、似たような話のこちらを採用しました。

(二)如是我聞。一時佛在舍衞國祇樹給孤獨園。爾時世尊與無央數大衆。圍遶説法。當于爾時。有一比丘。容色憔悴。無有威徳。來詣佛所。頂禮佛足。叉手合掌。向諸比丘。在一面坐。時諸比丘皆作是念。今此比丘。何故如是顏容毀悴。無有威徳。世尊爾時知諸比丘心之所念。即告之言。汝諸比丘。見彼比丘禮我已不。時諸比丘白佛言。世尊。唯然已見。佛復告言。汝等今者勿於彼所生下劣想。何以故。彼比丘者。所作已辦。獲阿羅漢。捨於重擔。盡諸有結。得正解脱。而今汝等。不應於彼生輕賤想。汝等若當知見如我。然後乃可籌量於彼。若妄稱量。則爲自損。爾時世尊即説偈言 孔雀雖以色嚴身 不如鴻鵠能高飛 外形雖有美儀容 未若斷漏功徳尊 今此比丘猶良馬 能善調伏其心行 斷欲滅結離生死 受後邊身壞魔軍佛説是已。諸比丘等。聞佛所説。歡喜奉行
(T0100_.02.0374a19-b08)

SAT大正新脩大藏經テキストデータベースより

鴻鵠とは?

大きな鳥という意味。そこから意味が転じて、立派な器量や性格を備えた人物、偉大な人物という意味で使われます。

大きな鳥は「白鳥」のイメージ

鴻鵠の元々の意味は大きな鳥。その意味しかないようです。大きな鳥と言えば、そこから白鳥がイメージされる事が多いようです。

荒村寺のある伊丹市には、こうのいけという地名があります。この辺りには昆陽池というため池があって、そこには渡り鳥である白鳥が多く集まります。

この昆陽池は、江戸時代の絵図などでは周囲1里(約4キロ)とされる大池で、8世紀前半に奈良時代に行基という僧侶が築いた人口の池です。

ちなみに調べてみると、くぐいも白鳥の別名のようです。

私は子供の頃から昆陽池で白鳥をよく目にしています。その昆陽池は昔、もっと大きなため池でした。そこに白鳥が集う様子が頭に浮かび、その辺りに鴻池(白鳥の池)という地名が残っていることから、私にとっては鴻=白鳥というイメージはピッタリきます。

ちなみに、他には、大きな鳥として、白鷺という意味で用いられることもあるそうですが。

大きな鳥がどうして偉大な人物の意味になるのか?

大きな鳥という意味が、どうして偉大な人物という意味で捉えられるのか?

それは、故事成語によるものです。故事成語とは、中国の古い故事や逸話が元になってできた言葉や表現のことです。これらの言葉は、教訓や教えを含んでおり、短く凝縮された形で伝えられています。

この鴻鵠でいえば、このような故事があります。

「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」

意味は、つまらない人物には大人物の遠大な志はわからないということ。

史記という歴史書の話が元になっていますが、ここで鴻鵠は偉大な人物という意味合いで使われている為、「鴻鵠=偉大な人」という認識がされるようになりました。

中国では、598年~1905年まで、科挙という制度がありました。「試験科目による選挙」を略して科挙というようです。受験するために資格はなく、家柄や身分に関係なく誰でも受けられました。

この科挙の試験内容の中には、歴史を扱う分野もありましたから、こうした故事の教訓も当たり前のように、扱っていたでしょう。

通常では、「鴻鵠(大きな鳥)≠偉大な人物」と意味が結びつきませんが、こうした歴史(故事)を知る知識人達にとっては、「鴻鵠(大きな鳥)=偉大な人物」とすぐ結びつく言葉だったのでしょう。

経典をインドの言葉から漢文に翻訳するのも、ある程度の知識がなければ叶いません。きっと、この経典に出てくる鴻鵠という言葉も、鴻鵠にある背景の意味(偉大な人物)を知りながら、あえて、この翻訳にした可能性は十分にあります。

お釈迦さんはインドの人ですから、もちろん、中国の故事を意識した発言はできません。これはきっと、漢文に翻訳した人物が、こうした故事を意識した翻訳をしたほうが、お釈迦さんの言葉の意味が伝わりやすいと思ったのでしょう。

こうした事例は、経典が長い歴史の中で、如何に多くの人間を介して、現代につながっているか。それを想像する、良いきっかけになるものと考えます。

 

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