白(浄)黒(不浄)の話|牛の糞と肥料【仏教トーク】

ちしょう
ちしょう

本記事は「雑阿含経巻第37-1039」の内容をもとに作りました。

牛の糞と肥料

男性1
男性1

私はとあるバラモン(司祭)様の教えを信仰しております。かの御方の教えは、本当に素晴らしいものだと考えます。

お釈迦さん
お釈迦さん

あなたは、そのバラモン修行者のどんな教えを好んでいるのですか?

男性1
男性1

そのバラモン様は、お水を供え、天に仕えています。杖を持ってお風呂に入り、常に手をきよらかにしています。私はかの御方のお言葉を耳にした時の事です。

男性1
男性1

月の十五日、特別な洗髪剤でこの髪をきよめ、白檀のお香をつけ、修行によって、その身を清められていました。

男性1
男性1

かの御方は、牛の糞が塗り広げられた地に横になって眠り、翌朝、早く起きて、その眠っていた地に触れました。そして宣言したのです。「この地は清浄である!」と。

弟子1
弟子1

その方が牛の糞を手にすると、それは清らかなものになるという事ですか?

男性1
男性1

ええ。私は実際に目にしました。あの清らかな手で、牛の糞の塊を手に執り、その辺りの雑草を混ぜていました。

男性1
男性1

そして、宣言したのです。「これは清らかなものである!」と。しばらくすると、それは本当に清浄なものとなっていたのです。

弟子2
弟子2

清浄なものとは、具体的に、何だったのですか?

男性1
男性1

作物を育てるのに、それを使うと不思議と作物が豊かに実るのです。このようなたぐいの物を生み出すバラモン様の清らかさを、私は信仰しています。

弟子2
弟子2

それって肥料なのでは……?

男性1
男性1

いいえ。汚物でした。それが作物を育む清らかな者となったのです。ですから、かのバラモン様が清らかとするものは、清らかなのです。かのバラモン様こそ、清らかな御方です。

お釈迦さん
お釈迦さん

黒には黒、不浄には不浄と呼ばれる所以があります。

重たいものを背負えば、その力は下へと向かうように。

男性1
男性1

しかし、実際に私が汚物(黒)(不浄)だと思っていたものが、清らかな物(白)へと変わりました。悪いものが善いものへと昇華したのです。

お釈迦さん
お釈迦さん

いくら朝早く起きて、地に触れ、口で「これは清らかなものである!」と宣言しても、不浄なものは不浄です。

男性1
男性1

しかし……

お釈迦さん
お釈迦さん

例えば、人殺しは悪い事(黒)だと思いますか?

男性1
男性1

そりゃあ。人殺しという行為は、真っ黒な行為でしょう。

お釈迦さん
お釈迦さん

朝早く起き、地に手を触れ、これは清らかな行為だと宣言したら、それは白く清らかな行為となりますか?

男性1
男性1

……。

お釈迦さん
お釈迦さん

財産を盗む。節操なく、みだらな行為をする。

 

人を惑わす為に、妄言を語る、事実と反して嘘をつく、悪口を言い、ごまをすり、二枚舌を使う。

 

他者の物を我が物にしようと強欲になり、怒りに身を任せ、強要し、暴力をふるう。

 

これらの行為が清らかな行為だと思いますか?

男性1
男性1

いいえ。黒です。不浄です。

お釈迦さん
お釈迦さん

「これらの行為が黒ではない。悪い事だと思えない」「だからこれらの行為は白だ! 清浄だ!」と説く。

 

そういった見解を持つ事は、清らかな行為だと思えますか?

男性1
男性1

いいえ。悪い事ですね。黒だと思います。

お釈迦さん
お釈迦さん

よって、黒には黒、不浄には不浄と呼ばれる所以があります。

弟子2
弟子2

人と人を殺し合い、そういう世界になれば、手は常に血生臭く、いつ殺されるかわからないと常に不安と恐怖が付きまとう。常に警戒し、心穏やかに過ごせる時なんて無くなってしまう。

男性1
男性1

そうですね。だから黒なんですよね。

弟子2
弟子2

どんなに宣言したって、不浄は不浄、黒は黒ということですね。

弟子1
弟子1

黒は黒だから入れ替わることもない。そういうことですか?

お釈迦さん
お釈迦さん

いや、ええっと……。それは少し違うと思います。

お釈迦さん
お釈迦さん

例えば、殺すという事は悪い事ですが、その意味をよく知り、その殺す事から離れるとしましょう。これは浄ですか? 不浄ですか?

弟子1
弟子1

浄だと思います。

お釈迦さん
お釈迦さん

朝早く起き、地に触れ、「これは不浄な行為だ!」と宣言すれば、それは黒く、不浄な行為となりますか?

弟子1
弟子1

いいえ。なりません。

お釈迦さん
お釈迦さん

地に触れようと触れまいと、またどう宣言しようとしまいと、不浄は不浄なのです。

そして、白には白、浄には浄と呼ばれる所以があります。

弟子2
弟子2

白は白、黒は黒という話ですか?

男性1
男性1

私は牛の糞(黒)が、結果的に作物を育て豊かにするもの(白)へと変わった所を目にしました。しかし、お釈迦さんは、黒は黒だし、白は白である説いている。

 

黒が白になるわけない、白が黒になるわけないと説いているように聞こえます。

お釈迦さん
お釈迦さん

それは違いますね。よく考えてみてください。

弟子1
弟子1

「黒・悪い・不浄」「白、善い・浄」と、とりあえず、この2点で話していますよね。

弟子2
弟子2

えっと、ここまでの話を整理すると、朝早く起きる。地に触れる。「これは浄、或いは不浄だ」と宣言する。

 

これらの行為と、その行為や物が浄であるか不浄であるか、そこに関係性はないということですか?

お釈迦さん
お釈迦さん

そうとも言えますね。

 

お釈迦さん
お釈迦さん

変化はするのですよ。人を殺す事は悪い事だと知っていますよね?

 

つまり、殺す事はどういう事なのか、あなた達は知っている。その悪をよく知るからこそ、そこから離れることを考えるわけです。

 

弟子1
弟子1

つまり、その離れるという行為が善となっているということですか?

お釈迦さん
お釈迦さん

黒をよく観て、知らなければ、黒は黒のままですし、白をよく観て知らなければ、白も黒となる事もあるのですよ。

弟子1
弟子1

黒は黒、白は白だけど、黒が白になることも、白が黒になることもあるという事ですか。

弟子2
弟子2

少なくとも、①地に触れたり、浄・不浄と宣言したりする事と、②黒が白に変化する事。この2点に関係性はないわけですね。

男性1
男性1

なるほど。牛の糞が作物を育む肥料となるように、黒が白に変化する。ただ、その見方を間違えれば、白は黒にもなるし、黒を白だと思い込む事にもつながってしまうという事でしょうか。

お釈迦さん
お釈迦さん

ただ、白が黒に、黒が白に変化すると言いますが、どこから白でどこから黒なのか、皆さんは分かりますか?

男性1
男性1

え? 牛の糞が黒、肥料が白。それは分かりますが、どこからどこまで黒で、どこからどこまでが白かと言われても……。

弟子1
弟子1

黒と白の境界線ってことですか……?

弟子2
弟子2

すみません。わからないです。

お釈迦さん
お釈迦さん

その通り、分からないんですよね。白・黒、浄・不浄と分別する見方も大事です。また白が黒に、黒が白に変化すると言っても、その線引きははっきりとできない、分別(分けて別々にする)ことができないという見方も大事です。

弟子2
弟子2

なるほど。興味深いですね。

お釈迦さん
お釈迦さん

その事を踏まえてよく観察し、思い込みは避けてください。

男性1
男性1

はい。ありがとうございました。

補足情報

出典

  • 雑阿含経巻第37-1039

(一〇三九)如是我聞。一時佛住王舍城金師精舍。時有淳陀長者來詣佛所。稽首佛足退坐一面。爾時世尊問淳陀長者。汝今愛樂何等沙門婆羅門淨行。淳陀白佛。有沙門婆羅門。奉事於水。事毘濕波天。執杖澡罐常淨其手。如是正士能善説法言。善男子。月十五日以胡麻屑菴摩羅屑。以澡其髮。修行齋法。被著新淨長髮白㲲。牛糞塗地而臥其上。善男子。晨朝早起以手觸地。作如是言。此地清淨。我如是淨手。執牛糞團并把生草。口説是言。此是清淨。我如是淨。若如是者見爲清淨。不如是者永不清淨。世尊。如是像類沙門婆羅門。若爲清淨我所宗仰。佛告淳陀。有黒法黒報。不淨不淨果。負重向下。成就如此諸惡法者。雖復晨朝早起以手觸地。唱言清淨。猶是不淨。正復不觸亦不清淨。執牛糞團并及生草。唱言清淨。亦復不淨。正復不觸亦不清淨。淳陀。何等爲黒黒報。不淨不淨果。負重向下。乃至觸以不觸。悉皆不淨。淳陀。謂殺生惡業。手常血腥。心常思惟。撾捶殺害。無慚無愧。慳貪悋惜。於一切衆生乃至昆蟲。不離於殺。於他財物聚落空地皆不離盜。行諸邪婬。若父母兄弟姊妹夫主親族。乃至授花鬘者。如是等護以力。強干不離邪婬。不實忘語。或於王家眞實言家。多衆聚集求當言處。作不實説。不見言見。見言不見。不聞言聞。聞言不聞。知言不知。不知言知。因自因他。或因財利。知而妄語而不捨離。是名妄語。兩舌乖離。傳此向彼。傳彼向此。遍相破壞。令和合者離。離者歡喜。是名兩舌。不離惡口罵。若人軟語説悦耳心喜。方正易知。樂聞無依説。多人愛念。適意隨順三昧捨。如是等而作剛強。多人所惡。不愛不適意。不順三昧。説如是等言。不離麁澁。是名惡心。綺飾壞語。不時言。不實言。無義言。非法言。不思言。如是等名壞語。不捨離貪於他財物而起貪欲。言此物我有者。好不捨瞋恚弊惡。心思惟言。彼衆生應縛應鞭應伏應殺。欲爲生難。不捨邪見顛倒。如是見。如是説。無施無報無福。無善行惡行。無善惡業果報。無此世。無他世。無父母。無衆生生世間。無世阿羅漢等趣等向。此世他世。自知作證。我生已盡。梵行已立。所作已作。自知不受後有。淳陀。是名黒黒報。不淨不淨果。乃至觸以不觸。皆悉不淨。淳陀。有白白報。淨有淨果。輕仙上昇。成就已。晨朝觸地。此淨我淨者。亦得清淨。若不觸者。亦得清淨。把牛糞團手執生草。淨因淨果者。執與不執亦得清淨。淳陀。何等爲白白報。乃至執以不執亦得清淨。謂有人不殺生離殺生。捨刀杖。慚愧悲念一切衆生。不偸盜。遠離偸盜。與者取不與不取。淨心不貪。離於邪婬。若父母護。乃至授一花鬘者。悉不強*干起於邪婬。離於妄語。審諦實説。遠離兩舌。不傳此向彼。傳彼向此。共相破壞。離者令和。和者隨喜。遠離惡口不剛強。多人樂其所説。離於壞語。諦説時説實説義説法説見説。離於貪欲。不於他財他衆具。作已有想。而生貪著。離於瞋恚。不作是念。撾打縛殺。爲作衆難。正見成就。不顛倒見。有施有説報有福。有善惡行果報。有此世。有父母。有衆生生。有世阿羅漢。於此世他世。現法自知作證。我生已盡。梵行已立。所作已作。自知不受後有。淳陀。是名白白報。乃至觸與不觸皆悉清淨。爾時淳陀長者聞佛所説。歡喜隨喜作禮而去
(大正No.99, 2巻271頁b段1行 – 272頁a段9行)

SAT大正新脩大藏經テキストデータベースより

  • 国訳一切経阿含部3巻43頁

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