読経・木魚についての雑学|経典を自作して学んだ事

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お坊さんが読むお経は、いつも同じ……

ではありません。

その一言をきっかけに、私は自分で読誦経典を作ることにしました。

ちなみに上記のお経の内容は、動画にしています。

【動画】中道の教え:天眼第一阿那律(アヌルッダ)の失明に至った経験から学ぶ
仏教エピソードでも、仏教トークでも、動画でも必ずこの話から作っているぐらい、私はこのお経の話が好きです。

読誦経典についての雑学

読誦経典どくじゅきょうてんというのは、声を出して読みやすいようにフリガナをつけた経典です。読誦は読経どきょうとも言いますね。

読経のはじまり

読経は一人で読むだけでなく、他の人と声を合わせて読む場合も多いです。

これはまだお経が文字にされていない頃、暗唱して伝えていた名残であると考えられます。

そもそも、お経の原語は、スートラ(sutra)と言い、「糸」や「紐」を意味します。

古代インドでは学術や祭式の基本を暗唱できるように、短い文章にまとめたものをスートラと呼んでいました。仏教もこれにならい、お釈迦さんの教えを文章にまとめたものをスートラと呼びました。

また漢語で経という言葉は、織物の「縦糸」が本来の意味となりますが、そこから物事の根本義、特に古代の聖人の言葉を指すようになりました。

お経のはじまりは、お釈迦さんの滅後すぐの約2500年前、約500人の僧侶が集まりった結集けつじゅうと呼ばれる会議に端を発します。

この会議の目的は、お釈迦さんの教えが後世に伝わるようにと、お釈迦さんがいつどこでどんな話をしていたか、それらの話をまとめることでした。

ただし古代インドでは、まだ文字は常用されていません。そのため、全員で声をそろえてとなえ暗記しました。こうしてまるで「糸」を紡ぐかのように、お釈迦さんにまつわるエピソードが紡ぎだされ「経」としてまとめられました。

その後お経は約数百年間、文字を使わず口頭だけによる記憶暗唱で受け継がれていきました。

いわばこの暗唱が読経のはじまりというわけですね。

木魚

読経は一人で読むだけでなく、他の人と声を合わせて読みます。

皆で声を合わせるタイミングをはかるために生まれたのが木魚です。現在のような木魚が最初からあったわけではなく、もともとは木の板を叩いていたと聞いたことがあります。

現在の木魚の原型が作られたのは、みんの時代(1368~1644)の頃だと言われています。

木魚と「魚」にしたのは、魚は昼夜ともに目覚めているように見えることから怠惰を諫めるという意味があるとも聞いたことがあります。

ただ私の場合、この話を聞いた時、上記の動画でもとりあげているアヌルッダさんの話も同時に思い出します。

天眼の異名は失敗を活かした洞察力あった!?「アヌルッダ(阿那律)の不眠不休の誓いと洞察」
「出典:増一阿含経巻第31-5」天眼第一とも称されるアヌルッダ(阿那律)さん。その失敗を教訓にして、仏道の学びへと変えた洞察力こそ、天眼なのかもしれません。(原文をあたってみると、お釈迦さんやアヌルッダさんとのやり取りは、とても人間味を感じ、親しみが湧いてきます。)

怠惰を諫めると言っても、魚はちゃんと眠っているわけですから、不眠不休で頑張れという意味ではないということは、補足しておきたいと思います。

さて、このように木魚は明の時代からあったわけですが、漢文の経典は木魚一打につき、漢字一文字ずつ読み進めます。その為漢文の読誦経典を作る場合、フリガナを調整しなければいけません。

般若心経の冒頭「観自在菩薩」を例に挙げてみましょう。これは通常のフリガナの場合「観自在菩薩かんじざいぼさつ」ですが、「観自在菩薩かんじーざいぼーさつ」とフリガナを打たれているのを目にしたことはありませんか?

読経経典を作る際に皆がタイミングを合わせられるように、このフリガナを調整するのが一番大変な作業です。

また経典作成の際に参考にする学術書などには全てフリガナがついているわけではないので、漢文ではなくともフリガナが一番大変な作業なのは変わりありません。

きっと昔の写経や翻訳作業もこういった地道な作業があったはずです。

パソコンを使う点で、もう当時とはまるっきり形は違います。しかし経典編集という点では先人達と同じ体験ができる機会は私にとってありがたいものだと感じています。

それに昔の僧侶の方々が、海を渡り、国を渡り、命懸けの旅の末に伝えたことを考えると、私のような一介の僧侶が様々なお経に触れることができる現代は、とても恵まれた時代であるとつくづく思います。

お経の伝播

紙が無い、本が無い時代、そして識字率が低い時代。交通網が発達していない時代。車や飛行機なんて夢にも見ない時代。

仏教が伝わってきた約2500年の歴史を紐解く際に、その時代背景を考えることはとても大事なことだと私は考えています。歴史を考える上でもっとも気をつけなけばならないのが常識の壁だと私は自分に言い聞かせています。

今の常識とかけ離れた時代がありました。むしろ今の時代が昔のどの時代よりも常識がかけ離れているともいえるでしょう。

「どうしてお経を唱えるのか?」「お経を唱えて何になるのか?」

そういう質問を受けることがありますが、上記で述べてように、そもそも読誦暗誦あんしょうすること自体に意味がありました。紙が貴重なわけですから、そのような選択肢しかできない人達が大半だったと思います。(暗記することが一番コストが掛かりません)

お経の伝播に関しても、車や飛行機が無い時代があります。国境を越えることがどれだけ大変なことであるか。砂漠を徒歩で超えることがどれだけ過酷な旅なのか。船で日本海を渡ることがどれだけ命懸けの事なのか。

紙を作り、経典という書物を作り上げることがどれだけ大変な作業だったのか。識字率が低い中で、文字を読むということが一体どういうことだったのか。

お経が手元にあるまでの歴史というつながり(伝播)を考えるだけでも、学ぶことがたくさんあります。

仏教エピソード㉓「縁りて起こる」
仏教で用いられる「縁起」の本来の意味。当たり前の事なんだけど、当たり前なことほど気づかないものなのかもしれません。そしてその当たり前の中にこそ有り難い事、大切なことが隠されているのでしょう。そう思える...

少し話がそれますが、もし紙づくりや本作り、あるいは識字率などの感覚の違いがよくわからないと言った場合、「本好きの下剋上」をお勧めですよ。

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私のように経典の伝播の歴史と結びつける人は少ないかもしれませんが、とても面白かったです。

経本が現代にこうして伝わって、しかもその文字を読む技術や知識があることが、とても恵まれた時代であるという事も共感してもらえるはずです。

お手製経典の作り方

必要な過程以下の通り。といってもそんな大層なことをするわけではありません。A5サイズの小冊子を自作するだけのことです。

  1. 経典の漢字をワードに打ち込む

  2. フリガナをつける

  3. A5サイズ小冊子に印刷

お手製経典はA4コピー用紙で小冊子印刷することで、A5サイズの小冊子経典となります。(Adobe Acrobat Readerを使うことで小冊子印刷が可能です。)

印刷後は、重ねて半分に折ることで、小冊子となります。ホッチキスなどお使い頂ければ、小冊子の完成です。

印刷の手順

  1. ワードで制作後、PDFファイルで保存

  2. Adobe Acrobat Reader(無料)をダウンロード

    1. chromeなどのブラウザで開いても印刷できますが、小冊子印刷はできません。(印刷される順番が変わります)

  3. プリンターにA4サイズの紙をセット

  4. Adobe Acrobat Readerで(1)のPDFファイルを開き、小冊子印刷を選択し、印刷。

    1. 設定は以下の画像を参考にしてください。「プリンター」はそれぞれお使いになるプリンターを選択してください。

      1. 上図:両面印刷可能なプリンター

      2. 下図:片面印刷しかできないプリンター

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1両面印刷ができるプリンター
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2片面印刷しかできないプリンター

片面印刷しかできない場合は、表側を印刷した後、印刷された紙をプリンターに戻して、更に裏側を印刷してください。

小冊子作製の手順

①上記の設定でプリントすると以下のように印刷されます。

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表紙側
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折り込む際はこちらが内側になります。

②表紙が表になるように、印刷された紙を一度にまとめて折ります。

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③一度広げると折り目ができてますので、二か所ほどホッチキスでとめてください。(中綴じ用ホッチキスが便利です)

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④通常のホッチキスの場合は、下に段ボールをひき、ホッチキスを広げて押し込みます。

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⑤裏返して、紙が破れないように、冊子を段ボールから抜きます。

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⑥あとは、ホッチキスの裏側などを使ってとめてください。

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④~⑥は、大変なので、私は製本用ホッチキスを使っています。

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⑦完成

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  • 更にもうひと手間

ページをめくるときなど、紙のばらつきが気になる方は、カッター等で1mmほど切ってください。その為の余白は、確保しています。

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自作の為、誤字脱字等が時々あります。読経の際に気づく度に修正しています。

自分の好きなような構成ができるのがいいですね。例えば、上が漢文、下が和文の般若心経もこの通り。

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あとがき

禅宗は「所依しょえの経典を持たない」と言われています。

所依の経典を持たないというのは「経典なんて読まないぞ!」というわけではなく「どんなお経でも読んでいいよ!」という事です。

現代では仏教学の研究が進んだことにより、たくさんのお経を見られるようになりました。おそらくほんの50年前までは考えられなかったことです。

いやプリンターの普及ですら1980年頃ですからね。

皆様にもたくさんのお経があるという事を知ってもらう一つのきっかけになれば幸いです。

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