本記事は「雑阿含経巻第16-408」の内容を基に作りました。
そのような議論はやめなさい
この世界は永遠に、無限に続くのだろうか?
それとも有限なのだろうか?
やっぱり、この世界は永遠なんじゃないかな。
いやいや、限りがあるものでしょう。
限りがあるなら、例えば、宇宙の端ってどこ?
私は、どこまでも無限に続いていると思う。
いやいや、きっとどこかに限界があるよ。宇宙の果てがあるでしょう。
たとえ、その宇宙の果てがあったとしても、また、その先に、外宇宙が広がっているかもしれないじゃない。地球の外に、宇宙があるみたいに、宇宙の外に、更に空間があってもおかしくないと思う。だから無限でしょう。
いやいや、例えば、私達人間はいつか死ぬでしょう。それって私達人間の命って限りがあるってことじゃない?
だから、何にでも限りがある。有限だと思うよ。
そもそも、命って、この身体の事なの?
身体と命って別々なんじゃないの?
身体は朽ちても、魂という命はあるんじゃない?
いやいや、命も限りはあるでしょう。
そもそも、魂なんてないよ。
死んで、魂になった、死後の世界はあるでしょう?
死後の世界なんてないでしょう。
有るね!
無いね!
ごめんなさい。私が余計なこと言ったせいで。
少し落ち着いてください。ねっ?
そもそも君はどう思うのよ?
いや、私はよく分からないです……。どっちの言い分もあるような……
何それ? どっちなんだよ?
君はどう思う?
え? 私ですか?
私もよくわからないです。どっちでもないような気も……
何それ!? なら何なの?
だから限りが有るんだって!
いや、限りはないね!
どうしたんですか? 随分騒がしいですね。
皆、集まって何を話しているんですか?
私は、世界は無限だと思うんです。
私は、世界は有限だと思うんです。
お釈迦さん。実はかくかくじかじか……
有限か、無限か、有るか、無いか、どっちだって……
あなたたち、そのような議論はよしなさい。
それは、仏法を理解する上で、何の利益にもなりません。
しかし、命の話でもあるんですよ。
方向性が違います。
だって、何かしらの結論を出したいじゃないですか。
もし、どうしても議論するのであれば、四諦について話しなさい。
補足
- 出典:雑阿含経巻第16-408
(四〇八)如是我聞。一時佛住王舍城迦蘭陀竹園。時有衆多比丘。集於食堂。作如是論。或謂世間有常。或謂世間無常。世間有常無常。世間非有常非無常。世間有邊。世間無邊。世間有邊無邊。世間非有邊非無邊。是命是身。命異身異。如來死後有。如來死後無。如來死後有無。如來死後非有非無。爾時世尊。一處坐禪。以天耳聞諸比丘集於食堂論議之聲。聞已往詣食堂。於大衆前。敷座而坐。告諸比丘。汝等比丘。衆多聚集。何所言説。時諸比丘白佛言。世尊。我等衆多比丘。集此食堂。作如是論。或説有常。或説無常。如上廣説。佛告比丘。汝等莫作如是論議。所以者何。如此論者。非義饒益。非法饒益。非梵行饒益。非智非正覺。非正向涅槃。汝等比丘。應如是論議。此苦聖諦。此苦集聖諦。此苦滅聖諦。此苦滅道跡聖諦。所以者何。如是論議。是義饒益。法饒益。梵行饒益。正智正覺。正向涅槃。是故比丘。於四聖諦。未無間等。當勤方便起増上欲。學無間等。佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行
(大正No.99, 2巻109頁a段27行-b段18行)
国訳一切経阿含部2巻29頁
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