無明とは?|サーリプッタの解説

ちしょう
ちしょう

本記事は「雑阿含経巻第9-251」の内容を基に作りました。

無明とは?

弟子1
弟子1

サーリプッタさん。聞きたいことがあるのですが、質問よろしいでしょうか?

サーリプッタ
サーリプッタ

ええ。もちろん。私に答えられることであれば、何なりと。

弟子1
弟子1

無明むみょう」って何ですか?

弟子2
弟子2

お釈迦さんししょうが、この前、教えを説いて下さっていたのですが、そこで「無明」という言葉を耳にしたんです。

らかでいってことなんだろうと何となく察しはつくのですが……。

サーリプッタ
サーリプッタ

いいんじゃないですか?

言葉の解釈としては間違ってはいないと思いますが。

弟子1
弟子1

いや、もっと色々な意味が含まれているのかなと思いまして。

明かりが無い(見えてない)とか、明らめていない(理解していない)とかですね。どうなんでしょうか?

サーリプッタ
サーリプッタ

なるほど。それでは一緒に考えてみましょうか。

例えば、明らかで無いというのであれば、何に明らかではないのですか?

弟子1
弟子1

「何に?」ですか?

弟子2
弟子2

いて言えば、「物事の真相に明らかで無い」って事なのかなと、お釈迦さんししょうの話を聞いてて思うのですが。

弟子1
弟子1

「真実を知らない」ってこと?

弟子2
弟子2

そう。知らないから迷う。知っていたら迷わない。

弟子1
弟子1

地図みたいだね。自分の現在地や行先の場所、知らないから迷う。知っていたら迷わない。

弟子2
弟子2

おお。興味深いおもしろいたとえだね。根本的に自分の居場所や行き先を知らないから迷う。だから「無明」は、知らないって事を表しているのかな。

サーリプッタ
サーリプッタ

なるほど。所謂いわゆる「無明」ということは、無知(知らない)という事。そのような理解につながっているわけですね。

弟子2
弟子2

まぁ、そんな感じです。無明は無知だと。

弟子1
弟子1

でもさ。無明(知らない事)が根本的に迷いの原因になるのであれば、「知ればいいじゃん!」ってことになるよね。

弟子2
弟子2

そだね。

弟子1
弟子1

無明(知らない事)が無くなれば、迷いがなくなる。だから知ればいいっていうけどさ。正直、私、知らない事だらけだよ。

弟子1
弟子1

今回の話だってさ。よくよく考えればこうして自分達だけでも導き出せたはずなのに。でも、それですら、よく分からないからってサーリプッタさんに聞いている有様じゃないか……。

弟子2
弟子2

そもそも、知らない事が無くなるって、言い換えれば全知(すべてを知る)ってことだから……

弟子1
弟子1

そんなの無理でしょ!

サーリプッタ
サーリプッタ

ならばもう少し考えてみましょうか。

先ほど、「無明」は「物事の真相を知らない」「真実を知らない」事だという話でしたよね。

弟子1
弟子1

はい。

サーリプッタ
サーリプッタ

物事の真相、あるいは、真実って何ですか?

弟子1
弟子1

いや、だから、それがわかれば苦労しないんですよ(笑)

弟子2
弟子2

そうですよ。それが分からないから「無明」という言葉も分かったようで、全然分からないんです。

弟子2
弟子2

真相や真実。それって真理って言ってもいいかもしれません。

言い方はいろいろありますが、真理を知れば、無知で無くなる。

そういう構図ができあがるのはわかりますよ。

弟子1
弟子1

そうそう。でもそういう図式通りにはならないわけですよ。

だってそもそも、私達人間、知らないことがあって当然ですから。

弟子2
弟子2

そだね。どうしたって、知らない事、見えないことがあるもんね。

それはお釈迦さんししょうの話を聞いていても思うんです。

弟子2
弟子2

だから、「無明(無知)を無くす=全知(真理)に到達する」という解釈は、違うと思うんです。

弟子2
弟子2

なんていうんですかね。「無明(無知)を無くす=全知(真理)に到達する」っていう方が、簡単で頭では理解できるというか、すごく分かりやすいんですが

弟子1
弟子1

いざ、やってみろって言われると、それ絶対無理だろうって話だよね。

弟子2
弟子2

そうなんですよ。だからこそ、サーリプッタさんに「無明」の事を聞いてみたかったんです。言葉の意味なら理解できるんですよ。

弟子1
弟子1

でも、私達は言葉の意味を聞きたいわけじゃないんです。

サーリプッタ
サーリプッタ

なるほど。質問が悪かったですかね。

確かに、物事の真相、あるいは、真実って何と聞きましたが、あなた達の実体験あるいは実践を通じて、お釈迦さんの教えの中で、共感できたことはありますか?

サーリプッタ
サーリプッタ

何でもいいですよ。おっしゃるように、ただ言葉の意味を理解できたというわけでなく、これは紛れもない事実だと確信が持てるものと言えばいいでしょうか。

弟子2
弟子2

実験、実証できたことってことですか?

弟子1
弟子1

さっきの地図でいえば、ただ地図を見て知っているというわけじゃなくて、実際に現地を赴いて、その現場を知っているかってことですかね?

サーリプッタ
サーリプッタ

まぁ、そういう事ですね。

弟子1
弟子1

私の場合はあれかなぁ。

「あらゆるものは変化している」ってことは、主観的

客観的に見ても、事実、そうだと感じます。

弟子2
弟子2

ああ、無常の教えか。確かに、常なるもの(変わらないもの)は無い。全てのものは変化している。

弟子1
弟子1

うん。この身体もいつか朽ち果てること。それに老いていくこと、病気になること。

弟子2
弟子2

あるいは、成長したり、病気が治ったりか。細胞が分裂して、日々この身体も新しくなっていること。

弟子1
弟子1

それは、無常を実感したからこそ見えてくることだと思いますし、いろんなものを観察していても、事実、そうだと思います。

弟子2
弟子2

すべては変化している……。

サーリプッタ
サーリプッタ

いくら「無常」「無常」と口にしても、その事実に向き合わなければ、その事実を見なければ、それは無知(知らない事)と同じです。

サーリプッタ
サーリプッタ

逆に言えば、あなた達は、「無常」というたった一つの言葉から、その事実を実感し、その事実に向き合っています。あなた達の会話からそれが伝わってきます。

サーリプッタ
サーリプッタ

そうやって、その事実をそのまんま受け止め、向き合って歩んでいるわけでしょう。

それが「明らめる」ってことでもあるんじゃないですかね。

弟子1
弟子1

ん? そんなのでいいんですか?

サーリプッタ
サーリプッタ

「そんなので」ってどんなのです?

弟子1
弟子1

えっと、無常さえ知っていれば、それだけで無明がなくなると……いう事になってしまうのでは?

サーリプッタ
サーリプッタ

んー。そういう話になるならば、「自分に無明が無くなった」と思った瞬間に、「どうしたって知らないことがある、無知なる所がある」という事実が見えなくなってしまっていますよね。

それはきっと無明なのでしょうね。

弟子1
弟子1

へ?

サーリプッタ
サーリプッタ

事の実際をそのまんま見ず、知らず。これが無明というのですよ。

弟子2
弟子2

自分(人間)は、見えない所がある。知らない事がある。これも事実。そしてすべてのものは変化しているというのも事実。

弟子1
弟子1

そうか。その事実を見失ってしまうと「明らめる」ってことにはならないね。

サーリプッタ
サーリプッタ

答えになっていないようで、申し訳ないですが、答えになっていますかね?

弟子1
弟子1

いえいえ。ありがとうございます。

弟子2
弟子2

たとえ、答えにならずとも、答えになってます。

ありがとうございました。


補足

  • 出典:雑阿含経巻第9-251

(二五一)如是我聞。一時佛住王舍城迦蘭陀竹園。爾時尊者舍利弗。尊者摩訶拘絺羅。倶在耆闍崛山中。尊者摩訶拘絺羅。晡時從禪覺。詣尊者舍利弗所。共相問訊已退坐一面。語尊者舍利弗。欲有所問。寧有閑暇見答*已不。舍利弗言。隨仁所問。知者當答。尊者摩訶拘絺羅。問尊者舍利弗言。謂無明者。云何爲無明。尊者舍利弗言。所謂無知。無知者是爲無明。云何無知。謂眼無常。不如實知。是名無知。眼生滅法。不如實知。是名無知。耳鼻舌身意。亦復如是。如是尊者摩訶拘絺羅。於此六觸入處。如實不知不見不無間等愚闇無明大冥。是名無明。尊者摩訶拘絺羅。又問尊者舍利弗。所謂明者。云何爲明。舍利弗言。所謂爲知。知者是明。爲何所知。謂眼無常。眼無常如實知。眼生滅法。眼生滅法如實知。耳鼻舌身意。亦復如是。尊者摩訶拘絺羅。於此六觸入處。如實知見明。覺悟慧無間等。是名爲明。時二正士。各聞所説展轉隨喜。各還其所
(大正No.99, 2巻60頁b段22行-c段13行)

SAT大正新脩大藏經テキストデータベースより

国訳一切経阿含部1巻204頁

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