本記事は「雑阿含経巻第22-614」の内容を基に作りました。
大丈夫
師匠、「大丈夫」ってどういう意味ですか?
何が大丈夫であり、何が大丈夫ではないのですか?
いいですね! よくぞ「大丈夫」の意味を聞いてくれました。
それほどでもないですよ(〃▽〃)
早速答えましょう。よく聞いてください。
大丈夫とは、まず「身」をよく観察し、考察し、知ることです。
「身」ですか?
つまり自身のこの身体の事をよく観察しろということですかね。
自身の行動や行為なんかも含まれるのでは?
ああ、「身につく」とか「身になる」とかいう言葉から連想するとそうなるね。
師匠、それが「大丈夫」ということですか?
いいえ。それだけではありません。
「心」もまたよく観察し、考察し、知ることも大事です。
「心」もですか。身心共によく観察しろということかな。
感じたり、思ったり、想像したりすること。
こういうのを「心」というのかな。
身は何らかの形・姿があるもの。
心は形・姿がないもの。
そういう認識でいいのでしょうか。
だったら欲や怒り、恐れや不安、それらも心ということだね。
はい。
身心をよく観察し、考察し、知ることを大事にしてください。
例えば、欲を離れず、恐れや不安等といったものが、一本一本絡まっていって解けなくなる。そういった絡まりから抜け出せなくなっている。
そういう状態が大丈夫だと思いますか?
思いませんね。
そうです。大丈夫ではないですよね。
身心をよく観察せず、考察せず、知らないと大丈夫ではなくなってしまうということですか?
人は知らないからこそ恐れ、不安になります。そして必死に不安や恐れを振り払おうとして闇雲な怒りを生み出します。
その怒りは、不安に勝ちたいと欲望を生み、自分は強いのだと言い聞かせる、謂わば執着を生み出します。
そして無理やりに生み出した強さに執着しているので、それを失うことを恐れるのです。
知らないということから色んな悪循環が起こるのですね。
だからこそ、身心をよく観察し、考察し、知ることが大事なのです。
なるほど。だから知ることが大事なのですね。
そして欲と距離を置く。恐れや不安等、そういったものの絡まりが一本一本解けていく。そういう状態は大丈夫だと思いますか?
もちろん大丈夫だと思います。
そうです。これが「大丈夫」ということですよ。
なるほど。ありがとうございました。
補足情報
- 出典:雑阿含経巻第22-614
(六一四)如是我聞。一時佛住舍衞國祇樹給孤獨園。時有異比丘來詣佛所。稽首佛足退坐一面。白佛言。世尊。如所説大丈夫云何名大丈夫非大丈夫。佛告比丘。善哉善哉比丘能問。如來大丈夫義。諦聽善思。當爲汝説。若比丘。身身觀念住。彼身身觀念住已。心不離欲。不得解脱。盡諸有漏。我説彼非爲大丈夫。所以者何。心不解脱故。若比丘。受心法法觀念住。心不離欲。不得解脱。盡諸有漏。我不説彼爲大丈夫。所以者何。心不解脱故。若比丘身身觀念住。心得離欲。心得解脱。盡諸有漏。我説彼爲大丈夫也。所以者何。心解脱故。若受心法法觀念住。受心法法觀念住已。心離貪欲。心得解脱。盡諸有漏。我説彼爲大丈夫也。所以者何。心解脱故。是名比丘大丈夫及非大丈夫。佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜隨喜。禮足而去
(大正No.99, 2巻172頁a段8行-25行)
- 国訳一切経阿含部2巻172頁
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