水の流れのたとえと牛飼いの話|「何事にも捕らわれない」の勘違い

ちしょう
ちしょう

本記事は「雑阿含経巻第43-1174」の内容を基に作りました。

まずは牛を返してきなさい

弟子1
弟子1

おはようございます。お釈迦さんししょう。早速ですが今回も私たちの為に何かご教授ください。

弟子2
弟子2

さすれば、私達の修行の道も滞りなく進むことでしょう。

ナレーション
ナレーション

その時、お釈迦さんは流れゆく川の様子を観ていました。すると、そこに大樹から折れ落ちたのでしょうか。川の流れに従って、一本の大きな枝が上流から下流へと流れていくのが見えました。

お釈迦さん
お釈迦さん

あの木は、こっちの岸につかず、向こうの岸にもつかず、水底にも沈まず、中洲や岩などの障害物にも引っかからず、渦にも飲まれず、人や動物に捕らわれることなく、また腐らずに、水の流れに従って、いずれあの大海原へと辿り着くでしょうか……?

弟子1
弟子1

ええ、きっと辿り着くでしょう。

お釈迦さん
お釈迦さん

私達、修行者もあの木と同じようなものなのでしょうね。

弟子1
弟子1

なるほど。私達、修行者の道も、あの川の流れのようなものなのですね。

弟子2
弟子2

水の流れに抗わず、滞らず、流れに従って進んでいく……。なるほど。ご教授ありがとうございます。

ナレーション
ナレーション

お釈迦さんと弟子達がそんなやり取りを、偶然、近くで聞いていた人物がいました。名をナンダと言います。

 

彼は、よく牛飼いが使う杖を持ち、ちょうどご主人から任された牛達を放牧している最中でした。

ナンダ
ナンダ

あの~、すみません。

弟子1
弟子1

ん? こんにちは。なんか御用でしょうか?

ナンダ
ナンダ

近くを歩いていて、たまたま、耳に入ってきたのですが、先ほどの話、すごく気になりまして……。

弟子2
弟子2

「水の流れに抗わず、滞らず、流れに従って進んでいく……」という話のことですか?

ナンダ
ナンダ

はい。そうです。実は最初から聞いていました。

 

私自身、牛を放牧する生活を堪能していますが、まさにその様も、『こっちの岸につかず、向こうの岸にもつかず、水底にも沈まず、中洲や岩などの障害物にも引っかからず、渦にも飲まれず、人や動物に捕らわれることなく、また腐らずに、水の流れに従うように』だと思うのす。

ナンダ
ナンダ

もしお釈迦さんの弟子になったら、私も今まで以上に、何事にも捕らわれないそんな修行を堪能することができますか?

弟子1
弟子1

それはつまり、弟子入り希望ということですか?

ナンダ
ナンダ

その通りです。今すぐにでも、弟子にしてください。

お釈迦さん
お釈迦さん

ナンダさん。あなたは、その牛をどうするつもりですか? あなたの主に牛は返してこないのですか?

ナンダ
ナンダ

こいつらはちゃんと自分達だけで家に帰れますよ。別に私が連れて帰る必要はないのです。

 

そんなことより、弟子に入って仏道を学ぶ許可をくれるのかどうか、私が聞きたいのはそっちです。

お釈迦さん
お釈迦さん

ちゃんと牛達が家に帰ることができるといっても、あなたは、今、人からその牛を預かって生活をしているのでしょう?

ナンダ
ナンダ

まぁ、そうですが……。

お釈迦さん
お釈迦さん

ならば、まずはちゃんと帰って、その牛の主に報告してきなさい。

ナンダ
ナンダ

今すぐ弟子入りはダメですか?

お釈迦さん
お釈迦さん

まずは、牛を返してきなさい。

ナンダ
ナンダ

わかりました。では、一度、帰ります。

サーリプッタ
サーリプッタ

お釈迦さんししょう。あのナンダという牛飼いの者は、弟子になりたいと言っていたのでしょう。なぜ家に帰したのですか?

弟子2
弟子2

そうですよ。お釈迦さんししょう。水の流れのように、何事にも捕らわれずにと言っていたじゃないですか。

 

彼は、その言葉に、お釈迦さんししょうの言葉に感銘を受けて、弟子入りを志願したのでしょう?

お釈迦さん
お釈迦さん

帰ってから「やっぱり、このまま牛飼いを続けたい」と思うなら、縁がなかったのでしょう。牛を主人に返した後でも、仏道を学びたいと思うなら、またこちらに帰って来るでしょう。

弟子1
弟子1

「修行者は水の流れのようなもの」と言っときながら、一方で、ナンダさんに対するお釈迦さんししょうの返答は、なんだか矛盾しませんか?

お釈迦さん
お釈迦さん

そうですか?

弟子2
弟子2

そうですよ。「水の流れのように捕らわれない」という所と矛盾するのではないですか?

お釈迦さん
お釈迦さん

そうですか?

弟子1
弟子1

……

弟子2
弟子2

……だとすると、私たちの受け取り方に問題があったということですか?

サーリプッタ
サーリプッタ

そうかもしれませんね(笑)

ナンダ
ナンダ

お釈迦さん。牛を返してきました! 今一度、お願いします。私の弟子入りを許可してください。よろしくお願いします。

お釈迦さん
お釈迦さん

ちゃんと、主人に牛を返してきたのですね。

お釈迦さん
お釈迦さん

よろしい。弟子入りを許可します。

ナンダ
ナンダ

ありがとうございます。どうぞよろしくお願いします。


補足

  • 出典:雑阿含経巻第43-1174

(一一七四)如是我聞。一時佛住阿毘闍恒水邊。時有比丘來詣佛所。稽首佛足退住一面。白佛言。善哉世尊。爲我説法。我聞法已。獨一靜處專精思惟。不放逸住。所以族姓子剃除鬚髮。正信非家出家學道。於上増修梵行。見法自知作證。我生已盡。梵行已立。所作已作。自知不受後有。爾時世尊觀察水。見恒水中有一大樹。隨流而下。語彼比丘。汝見此恒水中大樹流不。答言。已見世尊。佛告比丘。此大樹不著此岸。不著彼岸。不沈水底。不閡洲渚。不入洄澓。人亦不取。非人不取。又不腐敗。當隨水流。順趣流注。浚*輸大海不。比丘白佛。如是世尊。佛言。比丘亦復如是。亦不著此岸。不著彼岸。不沈水底。不閡洲渚。不入*洄澓。人亦不取。非人不取。又不腐敗。臨趣流注浚*輸涅槃。比丘白佛。云何此岸。云何彼岸。云何沈沒。云何洲渚。云何*洄*澓。云何人取。云何非人取。云何腐敗。善哉世尊。爲我廣説。我聞法已。當獨一靜處。專精思惟不放逸住。乃至自知不受後有佛告比丘。此岸者。謂六入處。彼岸者。謂六外入處。人取者。猶如有一習近俗人。及出家者。若喜若憂若苦若樂。彼彼所作。悉與共同始終相隨。是名人取。非人取者。猶如有人願修梵行。我今持戒苦行修諸梵行。當生在處。在處天上。是非人取。*洄澓者。猶如有一還戒退轉。腐敗者。犯戒行惡不善法腐敗寡聞。猶莠稗吹貝之聲。非沙門爲沙門像。非梵行爲梵行像。如是比丘。是名不著此彼岸乃至浚*輸涅槃。時彼比丘聞佛所説。歡喜隨喜作禮而去時彼比丘獨一靜處。思惟佛所説水流大樹經教。乃至自知不受後有。得阿羅漢。時有牧牛人名難屠。去佛不遠。執杖牧牛。比丘去已。詣世尊所。稽首禮足於一面住。白佛言。世尊。我今堪能不著此岸。不著彼岸。不沈沒。不閡洲渚。非人所取。不非人取。不入*洄澓。亦不腐敗。我得於世尊正法律中。出家修梵行不。佛告牧牛者。汝送牛還主不。牧牛者言。諸牛中悉有犢牛。自能還歸。不須送也。但當聽我出家學道。佛告牧牛者。牛雖能還家。汝今已受食人衣食。要當還報其家主。時牧牛者聞佛教。已。歡喜隨喜作禮而去時尊者舍利弗在此會中。牧牛者去不久。白佛言。世尊。難屠牧牛者求欲出家。世尊何故遣還歸家。佛告舍利弗。難屠牧牛者。若還住家受五欲者。無有是處。牛付主人已輒自當還。於此法律出家學道。淨修梵行。乃至自知不受後有。得阿羅漢。時難屠牧牛者。以牛付主人已。還至佛所。稽首禮足退住一面。白佛言。世尊。牛已付主。聽我於正法律出家學道。佛告難屠牧牛者。汝得於此法律出家受具足。得比丘分。出家已思惟。所以族姓子。剃除鬚髮著袈裟衣。正信非家出家學道。増修梵行。乃至自知不受後有。成阿羅漢
(大正No.99, 2巻314頁c段7行 – 315頁b段6行)

SAT大正新脩大藏經テキストデータベースより

国訳一切経阿含部1巻271頁

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