ちしょう(智彰)

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仏教トーク

無益な争論2|強大か弱小か、強いか弱いか

「出典:雑阿含経巻第16-413」お釈迦さんはあえてそのことについて答えない。お経の中にその答えは記されていない。答えが無いことで議論が熱くなって、争ってしまう。そんな弟子達に向けるお釈迦さんの応え(対応)は?
仏教トーク

無益な争論|無限か有限か、有るか無いか

「出典:雑阿含経巻第16-408」お釈迦さんはあえてそのことについて答えない。お経の中にその答えは記されていない。答えが無いことで議論が熱くなって、争ってしまう。そんな弟子達に向けるお釈迦さんの応え(対応)は?
仏教トーク

良い医者のたとえ|「四諦」という教えについて

「出典:雑阿含経巻第15-389」仏教の基礎の教えの内の一つ「四諦」。この四諦のたとえ話である「良医のたとえ」は知る人ぞ知るお話です。
仏教トーク

薪をくべる たとえ話|お経に載っている仏教用語の解説「取」

「出典:雑阿含経巻第12-285,286」仏教用語「取」について、阿含経の中でどのように説かれているか。お釈迦さんがたとえ話を用いて説いています。所有欲、手に入れるということがどういうことなのか。考えてみましょう。
仏教トーク

煩悩について|草木のたとえ

「出典:雑阿含経巻第12-283」お経の中にあるよる仏教用語の解説。「煩悩」についてお釈迦さんが草木のたとえを用いて説いています。
仏教トーク

水の流れのたとえと牛飼いの話|「何事にも捕らわれない」の勘違い

「出典:雑阿含経巻第43-1174」阿含経にあるお釈迦さんと在家者さんのやり取り。世間のしがらみを捨て、今の牛飼いの仕事を放棄して、すぐにでも弟子入りをお願いしようとするナンダさんにお釈迦さんはどのような対応をしたのでしょうか?
仏教トーク

正しい事実の使い方|無常という教えは絶対の真実なのだろうか?

「出典:雑阿含経巻第2-35」阿含経というお経の中で語られる無常という仏教用語の解説。「無常(あらゆるものは変化している)という教えは絶対の真実だ」と断言してしまうことは、本当に正しいことなのだろうか? アヌルッダさん、ナンダさん、さん達の「無常」に関する議論。
仏教トーク

「正見(正しく見る)」とは?|お経に載っている仏教用語解説

「出典:雑阿含経巻第12-301」お釈迦さんがいう「正見(しょうけん)」とは、どういうことなのでしょうか? 例えば「有」「無」。とりあえず、この二つの分け方から考えてみましょう。お釈迦さんとカッチャーヤナゴッタさんとの対話から
仏教トーク

続・琴のたとえ|「どうしたら良い音が出るのか?」から考える

「出典:雑阿含経巻第9-254」「琴はどうしたら良い音が出るのか?」から考えるソーナさんの説法。未だに、煩悩を尽くさず、悟りを得ていない。でもその人が、学びの道にあって、学ぼうという向上心を持ち続けているのならば、もう学ぶということは成就し成し遂げています。
仏教トーク

琴のたとえ|「才能がないから弟子やめる」とお釈迦さんに相談したソーナさんの話

「出典:雑阿含経巻第9-254」修行を人一倍頑張っていたソーナさん。しかし、全く悟ることができません。「もう才能がないから私には無理。弟子をやめたい」お釈迦さんはに相談にいきました。そこで語られたのは、琴のたとえ話でした。
仏教トーク

無明とは?|サーリプッタの解説

「出典:雑阿含経巻第9-251」仏教の言葉「無明」は、阿含経の中でどのように説かれているか。知るとは何? 無知とは何? 明らかでない、知らないとも理解されるこの言葉について、お経のサーリプッタさんの言葉と共に考えます。
仏教トーク

計る病|考えることで悩みを生まれる。それは「計る」が原因かも?

「出典:雑阿含経巻第8-227」雑阿含経の中にある「計る」についての話。「考える」と一言で言っても、その考え方には色々なものがあります。その中で、お釈迦さんは、計るは病と説いています。考えることについて、あまり考えすぎないように、真剣に考えてみましょう。
仏教トーク

三脚のたとえ|老いや死の原因は? 自分のせい、それとも他のせい?

「出典:雑阿含経巻第12-288」雑阿含経にあるカメラの固定台としても使う三脚のたとえ話。「そうじゃない」と言葉を聞いた時、全部が否定されていると感じるならば、ひょっとしたら、それは相手の言葉を全然違う意味で受け取っているのかもしれません。
雑記

アナログとデジタル

この間、ふと気になって、デジタルとアナログの違いについて調べてみると、その意味が自分の認識とずいぶん違っていました。その時に思いついたことを書きました。
仏教トーク

天眼の異名は失敗を活かした洞察力あった!?「アヌルッダ(阿那律)の不眠不休の誓いと洞察」

「出典:増一阿含経巻第31-5」天眼第一とも称されるアヌルッダ(阿那律)さん。その失敗を教訓にして、仏道の学びへと変えた洞察力こそ、天眼なのかもしれません。(原文をあたってみると、お釈迦さんやアヌルッダさんとのやり取りは、とても人間味を感じ、親しみが湧いてきます。)
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