お釈迦さんの幼い頃について語られている数少ない経典|禅僧の「中阿含柔軟経」講話メモ①

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本記事は2022年9月より始めた経典講話会の日記やメモを基にリライトしたものです。今回は一応「経典」のことを中心にまとめました。

「中阿含柔軟経」は以下に意訳した記事を公開しています。(仏教エピソード)

仏教エピソード③「お釈迦さんの青年時代」
「仏教ってどんな教えなの?」その答えは「お釈迦さんはなぜ出家したのか」を考えれば自然と見えてきます。

お釈迦さんの若い頃について語られている数少ない経典

まずお釈迦さんの生涯(生まれてから亡くなるまで)の出来事を経典からピックアップしてみました。

実はお釈迦さんが出家する以前の話というのは、経典内ではあまり語られていません。私が知る限り、青年時代の部分しか見当たりません。

なぜお釈迦さんの若い頃の話が載っている経典が少ないのか?

そもそも経典とは「お釈迦さんがいつ、どこで、どんな話(教え)を語っていたか」の記録です。それはお釈迦さんが入滅(亡くなった)後、弟子達によって作られました。

ですから、①「お経はお釈迦さんが説いていた教え」を中心に構成されています。

そしてまたお釈迦さんはこのようない教えも説いています。②「人は生まれによってきまるのではなく、行いによって決まる」と。

これは仏教の説<業>を理解する上でも非常に重要な所です。(わりと「業」の教えに関しては一般的に勘違いされていることが多いです。詳細は以下↓)

前世の「業」の話はやめなさい|仏教でいう<業>とは?
「出典:雑阿含経巻第16-414」「業」という言葉は、よく勘違いされやすい仏教用語の一つです。普段何気なく知っているつもりでいる業は、果たして仏教で使われていた「業」の意味なのでしょうか? 実は前世などを語る風習の業と仏教の「業」の意味は違います。

この①②の二点からもわかるように、お釈迦さん自身、あまり自分の生まれ、また出家する以前のことは、あまり重要視していなかったのではないかと推測できます。

教えに関わることは別として、いつどこで生まれたか、幼少期(王族)の生活について、積極的に語ることはなかったのでしょう。

唯一、語る必然性があるものは、出家した動機ぐらいだったのでしょう。

ですから、古いお経の中でお釈迦さんの生まれや出家前の様子を探そうとしても、ほとんどないのだと考えられます。

お釈迦さんの出家前の王族の頃の話が垣間見える数少ない経典がこちらになります。ただこの経典の主旨は、お釈迦さんの出家した動機についてなのでしょう。

(一一七)中阿含大品柔軟經第一我聞如是。一時佛遊舍衞國在勝林給孤獨園。爾時世尊告諸比丘。自我昔日出家學道。爲從優遊從容閑樂極柔軟來。我在父王悦頭檀家時。爲我造作種種宮殿。春殿夏殿及以冬殿。爲我好遊戲故。去殿不遠復造種種若干華池。青蓮華池紅蓮華池赤蓮華池白蓮華池。於彼池中殖種種水華青蓮華紅蓮華赤蓮華白蓮華。常水常華使人守護不通一切。爲我好遊戲故。於其池岸*殖種種陸華。修摩那華婆師華瞻蔔華修揵提華摩頭揵提華阿提牟多華波羅頭華。爲我好遊戲故。而使四人沐浴於我。沐浴我已赤旃檀香用塗我身。香塗身已著新繒衣。上下内外表裏皆新。晝夜常以繖蓋覆我。莫令太子夜爲露所沾晝爲日所炙。如常他家麁𪍿麥飯豆羹薑菜。爲第一食。如是我父悦頭檀家最下使人。粳糧餚饌爲第一食。復次若有野田禽獸最美禽獸。提帝邏和吒劫賓闍邏奚米何犁泥奢施羅米如是野田禽獸最美禽獸。常爲我設如是之食。我憶昔時父悦頭檀家。於夏四月昇正殿上。無有男子唯有女妓。而自娯樂初不來下。我欲出至園觀之時。三十名騎簡選上乘。鹵簿前後侍從導引。況復其餘。我有是如意足此最柔軟。我復憶昔時看田作人止息田上。往詣閻浮樹下結跏趺坐。離欲離惡不善之法。有覺有觀。離生喜樂得初禪成就遊。我作是念。不多聞愚癡凡夫。自有病法。不離於病。見他人病憎惡薄賤不愛不喜不自觀己。我復作是念。我自有病法不離於病。若我見他病而憎惡薄賤不愛不喜者。我不宜然我亦有是法故。如是觀已。因不病起貢高者即便自滅。我復作是念。不多聞愚癡凡夫。自有老法不離於老。見他人老憎惡薄賤不愛不*喜不自觀己。我復作是念。我自有老法不離於老。若我見他老而憎惡薄賤不愛不喜者。我不宜然。我亦有是法故。如是觀已。若因壽起貢高者。即便自滅。不多聞愚癡凡夫。爲不病貢高豪貴放逸。因欲生癡不行梵行。不多聞愚癡凡夫。爲少壯貢高豪貴放逸。因欲生癡不行梵行。不多聞愚癡凡夫。爲壽貢高豪貴放逸。因欲生癡不行梵行。於是世尊即説頌曰 病法老法 及死亡法 如法自有 凡夫見惡 若我憎惡 不度此法 我不宜然 亦有是法 彼如是行 知法離生 無病少壯 爲壽貢高 斷諸貢高 見無欲安 彼如是覺 無怖於欲 得無有想 行淨梵行佛説如是。彼諸比丘聞佛所説。歡喜奉行柔軟經第一竟
(大正No.26, 1巻607頁c段4行 – 608頁b段1行)

SAT大正新脩大藏經テキストデータベース

意訳はこちら↓

仏教エピソード③「お釈迦さんの青年時代」
「仏教ってどんな教えなの?」その答えは「お釈迦さんはなぜ出家したのか」を考えれば自然と見えてきます。

古い経典とは何か? アーガマとニカーヤについて

さて、私が今回言っている経典とは、阿含経(アーガマ)という古い経典類のことを指しています。経典にも成立年代があり、それぞれ書かれた時代や場所が異なります。

詳細はこちら↓

経典(お経)について
お経の語源 ”sutra”、経典の成立過程とその歴史をまとめました。

最初は口伝えで継承され、入滅後300年後あたりから文字にされ始めたと言われたいます。この口伝えで伝承されたきた古い最初のお経が、文章にされたものがニカーヤやアーガマと呼ばれる経典です。

詳細こちら↓

仏教エピソードで用いた経典について
阿含経とニカーヤ、ウダーナヴァルガ、法句経、正法眼蔵随聞記、スッタニパータ、涅槃経についての簡単な説明

後にアーガマのお経は中国で翻訳され、阿含経として漢文に訳されました。

ちなみにニカーヤとアーガマと古い経典が二つあるのは、歴史的な経緯からです。ここでは仏教が上座部仏教と大乗仏教と大きく二つに分かれた為とだけ言っておきましょう。

後に中国や日本には大乗仏教が伝わりましたが、この二つの経典は上座部仏教と大乗仏教に共通する仏教経典ということになります。しかし、ニカーヤから阿含経に一部翻訳されなかったものもあります。

内容が共通する部分は、その原型が紀元前3世紀より前から既に成立していたと推定されています。

  • 阿含経とニカーヤの相対表
ニカーヤ(南伝大蔵経) 阿含経(北伝大蔵経)
ディーガ・ニカーヤ(長部経典) 長阿含経
マッジマ・ニカーヤ(中部経典) 中阿含経
サンユッタニカーヤ(相応部経典) 雑阿含経
アングッタラ・ニカーヤ(増支部経典) 増一阿含経
クッダカ・ニカーヤ(小部経典)
ダンマパダ(法句経)
スッタニパータ(経集)
ウダーナ(自説経)
テーラガータ(長老偈)
テーリガータ(長老尼偈)
など
小部経典に相応する部分が無い

上座部仏教では、現存する中で最も古いニカーヤと呼ばれる経典のみ、お経として認めています。

しかし一方、大乗仏教では、新しい経典が次々と生み出されました。それらは大乗経典と呼ばれ、その数は膨大なものとなりました。

例えば、私達がよく知る般若心経は、大乗仏典(大乗仏教によって新たに作られたお経)です。般若心経の大本である大般若経も紀元前後頃作られました。

それ以外にも大乗仏教では、様々なお経が作られています。それらのお経が中国にわたり、翻訳され、漢文のお経として私達の目の前にあるわけです。

仏の誕生の話として有名な天上天下唯我独尊の話は?

さて、ある程度仏教の知識がある方は、疑問思われるでしょう。「お釈迦さんの生まれについて語られている仏教の話は聞いた事がある」と。いっぱいあるじゃないかと。

例えば「天上天下唯我独尊」の逸話があります。「お釈迦さんが脇の下から生まれ、すぐに7歩歩きだし、右手を上に指差し、左手を下に指差し、「天上天下唯我独尊」と云ったというお話です。

この話は、お釈迦さんの誕生日である灌仏会で、甘茶をかけるなどの法要の元になっているものなので、それに参加されたことがある方は、結構知っている話ではないかと思います。

灌仏会は、降誕会や花まつりとも呼ばれています。

この「天上天下唯我独尊」の話というのは、お釈迦さんが亡くなったかなり後、後世の時代に作られた話です。例えば「大唐西域記」という書物にも載っています。

大唐西域記は646年に書かれた書物ですから、お釈迦さんが亡くなって1000年以上経っています。

大唐西域記は、あの有名な西遊記の元となった書物です。西遊記は孫悟空、猪八戒、沙悟浄などが出てくる話です。サル、ブタ、カッパのあれです。

西遊記はフィクションですが、大唐西域記という実際の記録が元になっているのですね。その大唐西域記は玄奘という三蔵法師が書いたものです。

玄奘は皆が良く知っている般若心経(漢文)、それを翻訳した人です。今私達が見ているあの漢文はこの人が書いたのです。

この大唐西域記の中に「天上天下唯我独尊」の話が載っていますが、これはお釈迦さんの話ではなく、元々、毘婆尸仏びばしぶつが誕生した際に説いた事だとされています。

元々、お釈迦さんの誕生話ではなかったものが、時代が経つにつれ、お釈迦さんの誕生話として広まっていったわけですね。

毘婆尸仏?

毘婆尸仏というのは過去七仏です。

例えば、原始仏教の時代においても、仏はお釈迦さんだけでなく、他に過去七仏や未来仏といった様々な仏を示す言葉として使われています。

最初は、仏お釈迦さんに対する呼称として仏陀(仏)と言われていたのですが、お釈迦さん以外にも、仏はいたはずだということで、過去七仏が説かれるようになりました。(詳細はこちら↓)

【仏って何?】知っているようで知らない「仏」の意味
目覚めた人。仏という言葉は、元々そういう意味で用いられていました。古代インドの言葉であるサンスクリット語では「Buddha(ブッダ)」と言い、漢字で音写され「仏陀」となり、それが「仏」と呼ばれるようになりました。

お釈迦さん自身も「自分はただ古道を発見しただけ」と言っています。昔からその道を歩んでいた先人たちはいたはずだと。だから過去七仏という考え方もできたのかなと私自身は考えています。

たくさんいる三蔵法師。般若心経の漢文翻訳も一つではない。

また三蔵法師は何も玄奘だけではありません。三蔵法師とはインドに渡り、経典を中国に持ってくる僧侶、全員の事さします。

鳩摩羅什くまらじゅうも知っている人は知っているぐらい有名ですね。この人も般若心経を訳しています。もちろん、玄奘と同じ訳し方ではありません。

実は般若心経って、私達がよく知っているあの字以外の漢文で書かれているものもあるんですよ。↓

摩訶般若波羅蜜大明呪經 姚秦天竺三藏鳩摩羅什譯

觀世音菩薩。行深般若波羅蜜時。照見五陰空。度一切苦厄。舍利弗色空故無惱壞相。受空故無受相。想空故無知相。行空故無作相。識空故無覺相。何以故。舍利弗非色異空。非空異色。色即是空。空即是色。受想行識亦如是。舍利弗是諸法空相。不生不滅。不垢不淨。不増不減。是空法。非過去非未來非現在。是故空中。無色無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色聲香味觸法。無眼界乃至無意識界。無無明亦無無明盡。乃至無老死無老死盡。無苦集滅道。無智亦無得。以無所得故。菩薩依般若波羅蜜故。心無罣礙。無罣礙故無有恐怖。離一切顛倒夢想苦惱。究竟涅槃。三世諸佛依般若波羅蜜故。得阿耨多羅三藐三菩提。故知般若波羅蜜是大明呪。無上明呪。無等等明呪。能除一切苦眞實不虚故説般若波羅蜜呪即説呪曰竭帝竭帝 波羅竭帝 波羅僧竭帝 菩提僧莎呵摩訶般若波羅蜜大明呪經
(大正No.250, 8巻847頁c段8行-29行)

SAT大正新脩大藏經テキストデータベース

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