仏教用語

法の種

仏教の基礎「四諦」の教えについて

仏教の基礎の教え「四諦」は、火や風などのたとえから考えるととてもイメージしやすいです。お経の中でも、よくたとえ話がされているので、それら別々のたとえ話あわせて考えると、また理解が膨らみます。
仏教トーク

お釈迦さんに「大丈夫」の意味を聞いてみた

普段何気なく使う「大丈夫」という言葉、実は仏教由来とも言われています。古い経典ではどのように記されているのか。お釈迦さんと弟子の対話形式でたどります。
法の種

「業」と<業>

取り扱い次第では、どんなに良いものでも、人は悪いように使ってしまう。昔も今も考えることは大切です。
法の種

お釈迦さんの幼い頃について語られている数少ない経典|禅僧の「中阿含柔軟経」講話メモ①

お釈迦さんの若い頃について語られている数少ない経典。ここでいう古い経典とはアーガマとニカーヤです。仏の誕生の話として有名な天上天下唯我独尊の話は後世に作られたお経であり、またお釈迦さんの話ではなく元々、毘婆尸仏びばしぶつが誕生した際に説いた事です。
法の種

「いただきます」「ごちそうさま」に込める意味「五観の偈」

「いただきます」に込められた意味を考えたことはありますか?道元禅師の「五観の偈」には、食事への感謝だけでなく、食べることと生きることがつながる理由が説かれています。禅僧がその意味をたどります。
仏教トーク

指摘する側・される側の心得|サーリプッタとお釈迦さんの会話

人の過ちを指摘するとき、また指摘されるとき——何が自分の支えになるのか。サーリプッタとお釈迦さんの問答(雑阿含経)から、指摘する側と受ける側、それぞれの心のあり方を一緒に考えます。
法の種

無記とは何か——お釈迦さんが「答えなかった」理由を考える

知識は使い方次第で争いの種になる——お釈迦さんが無記を選んだ背景には、そんな洞察があったのではないか。仏教トークのあとがきとして書いた、無記をめぐる考察です。
仏教トーク

兵士と信者の言い争い|受は二つか、三つか、それとも——

「受(じゅ)は三つ」「いや二つだ」と言い争う兵士と信者が、お釈迦さんに直訴します。お釈迦さんの答えは一つでも、無量でも——。雑阿含経第485経をもとにした会話形式の仏教解説です。
仏教トーク

第二の矢のたとえ|仏弟子と凡夫の違いを会話で学ぶ

花を見て「欲しい」と思う。その次に何が起きているのか。雑阿含経が説く「第二の矢」のたとえを通して、凡夫と仏弟子の心の働きの違いを、会話形式でたどります。
仏教トーク

風の感覚でたどる、仏教の四諦の教え

風が吹けば、ある人には心地よく、ある人には不快です。この「受」の風から、苦諦・集諦・滅諦・道諦をたどります。雑阿含経をもとに、自然のたとえで四諦の教えを考えます。
仏教トーク

すべては燃えている|煩悩の火をお釈迦さんの対話から考える

弟子たちの言い争いを通して、お釈迦さんが説く「一切は燃えている」の意味に触れます。眼・耳・心、日常に潜む煩悩の火に気づきながら、そのやり取りをたどります。
仏教トーク

前世の『業』の話はやめなさい|仏教でいう<業>とは習慣の力

前世の話や宿業に心が向いていませんか?仏教で説く<業>は、前世や宿命の話ではなく、私たちの行為や日常の習慣そのものを意味します。雑阿含経をもとに「世間の業」と「仏教の<業>」の違いを整理し、習慣としての行為がどのように私たちに影響するかを解説します。
仏教トーク

無益な争論4|弟子たちの食べ物談義~豪華か質素か、その結末は?

弟子たちの「今日の食事」の話が白熱するも、お釈迦さまはその議論が仏法の理解に何の利益ももたらさないことを諭します。
仏教トーク

無益な争論3|知識の多さを競い合う弟子たち

「四諦」の話から始まった弟子たちの会話は、いつしか知識の多さを競う言い争いへと変わっていきます。その様子を見たお釈迦さんは、仏法を理解する上で利益のない議論だとたしなめます。雑阿含経に残る一場面をもとにした仏教トークです。
仏教トーク

無益な争論2|王の強さをめぐる弟子たちの議論から学ぶ、お釈迦さんの教え

コーサラ国とマガダ国の王、どちらが強いのか――弟子たちの議論に対し、お釈迦さんは無益な争論の意味を問いかけます。議論の行き違いから学べる仏教の気づきを紹介。
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