あらゆるものはそれを教えてくれる先生である。|仏教用語諸法実相

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仏教を勉強している中で、なーんとなくですが、気になる言葉というものがでてきます。

「諸法実相」という仏教の言葉、これも私にとって、初見からなんとなく気になる言葉の一つでした。

あらゆるものが先生

私は大学の講義で初めてこの言葉を聞きました。教授はこの言葉について、色々と話していたと思いますが、具体的にどんな話をしていたか、もう記憶にはありません。

それでもなんだかいい言葉だなと思ったからこそ、こうして今でも覚えているのでしょう。たったこの四文字を説明する為だけに、結構な時間を要していたと思います。

ただし、良い言葉だなと思うのに、その言葉の意味はよくわからない。だからまた自分なりに調べました。

言葉を学ぶ際に、なんでも初めは、辞書がたよりです。岩波佛教辞典には、諸法実相についてこのように書かれています。

全ての事実(諸法)のありのまま(自然)の姿、真実のありようをいう。

岩波仏教辞典

何だかわかるようで、よくわかりません。そうです。この諸法実相という言葉は、言葉で理解しようとしても本当によくわからない言葉なのです。そして言葉の中には、わたしが「いい言葉だな」と感じた何かがありません。

だから辞書を引くだけでなく、様々な方法で意味を模索します。

例えば文字を分解してみると、諸法があらゆるものという意味、実が真実、相はすがたという意味です。

相は「木を目で見る」という言葉から成り立っているように、目で見てそこに表れるすがた、色や形という意味でしょう。

ここから「すべてのものがありのままで、それが真実の姿を表している」というようなイメージも湧きます。しかし、「これが諸法実相の意味だ」と言われれば、それは違うと思います。

言葉を学ぶ際には、言葉をたよりにせざるを得ませんが、結局はその言葉が何を伝えたいのか、本当の意味で理解するには、言葉では足りません。

だからこの言葉は、更にいろんな話と結びついています。例えば、チューラパンタカの話が思い浮かびます。

仏教エピソード㉗「賢い兄と愚かな弟」
仏教の智慧は、知恵ではありません。智慧には知恵にない意味が含まれています。知識を詰め込むだけでなく、実践を通して得ていく理解があるからこその智慧。分解すれば彗と心となる慧という字にもそのことが示されて...

無常という教えも、無常の意味を調べなくても、あらゆるものをよく観察していれば「変化している」事を教えてくれるように。

このチューラパンタカのように、仏法は言葉で分からずとも、あらゆるものがその理解を助けてくれるように。

諸法実相の言葉を知り、それを考えるきっかけを与えたくれたのは、最初にその言葉を教えてくれた先生です。しかし、その言葉について学ばせてくれているのは、特別な何かや誰かではなく、当たり前にそこにあるものばかりです。それは一見、寄り道や無駄足のように感じてしまいますが、その全てが先生でした。

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