アメリカ禅センターいた時の事だ。一緒に禅センターで過ごしている方と仏教の話をしていた。
一通り仏教の話が終わった後、その方からこう問われた。
「who is your teacher?(あなたの師事している人は誰だ?)」
私は最終的にこう答えた。
「Everything is teacher(全ての事が先生です)」
曹洞宗には、必ず師弟関係というものがある。自分を僧侶にしてくれる師を見つけなければ、僧侶にはなれない。
曹洞宗ではお坊さんになるためには、いくつかの儀式を経なければなりません。まず、お坊さんになるための儀式「得度」を受ける必要があります。この儀式は、師となる曹洞宗のお坊さんにつき、髪を剃り、お坊さんとして必要な袈裟や衣を頂戴し、仏の弟子として「戒法」を受け、お誓いをする儀式です。
実際、日本においても葬儀の際には師であるそのお坊さんから「戒法」を受けて仏の弟子となる儀式をしている。葬儀を執り行ったお坊さんが自分の師となる。
そしてその師にもやはり師がいて、それを順々に辿っていくと、お釈迦さんまでつながる。そのつながりが書かれた法系譜は「血脈」という形で頂く。
まず前提として、こうしたつながりを大切にしているということを知っておいてほしい。もちろん、私自身も大切に思っている。
さて、ここでアメリカの禅センターの話に戻るが、なぜ私は「この人が私の師匠です」と答えずに「全ての事が先生です」と答えたのか?
おそらく英語だったこともあるだろう。
”teacher” とは先生という意味だが、アメリカの禅センターで ”teacher” という言葉は大抵、老師のことを指す。老師とは、いわゆる師匠のことだが、直訳すると “Master” といった方がニュアンスとして近いのではないだろうか。
だからだろうか、私からしてみると、「Who is your teacher?」と問われたその言葉は、特別に師事している人という意味合いが強いように感じた。
わたしにとってteacherとはもっと身近な存在だ。Masterだという感覚が私にはない事にこの時気がついた。
私には特別なMasterはいないが、大切なことを教えてもらったteacherはたくさんいる。
そう思うと、どんどんteacherの意味が広がっていって、それこそ人だけなく色んなものがteacherとして思い浮かんだ。
ということで結局、話し合いが終わるときには「Everything is teacher(全ての事が先生です)」と答えたわけだ。
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