仏教用語

仏教トーク

無益な争論|世界は無限か有限か、命や魂はあるのか

弟子たちが「世界は無限か有限か」「命や魂はあるのか」と議論します。お釈迦さんはその議論をどう見たのか。無益な争論のやり取りから学びを考える記事です。
仏教トーク

四諦って何? お医者さんのたとえで学ぶ苦しみと解決の道

お釈迦さまが説いた「四諦」の教えを、日常でもわかりやすいお医者さんのたとえで解説。苦しみの真実とその解決の道を、対話形式でじっくり学べます。
仏教トーク

当たり前の中にある有難さに気づくには?――『取』に執らわれない心のヒント

「手に入れること」に心を奪われていませんか?お釈迦さんの教えと弟子との対話を通じて、当たり前の中にある有難さに気づく、偏らない心のヒントを紹介します。
仏教トーク

煩悩と草木のたとえ——迷いや苦しみを見つめる

煩悩は雑草のように、放っておくと根を張り、抜きにくくなっていく——しかし根絶やしにすれば、作物も育たない土地になってしまう。お釈迦さまと弟子たちの対話を通して、煩悩との向き合い方を考える仏教トーク第10話です。雑阿含経をもとに構成しています。
仏教トーク

無常って本当に正しい?変化の真実と執着の罠

「変わらないものはない」という無常の真実。日常での気づきや執着の罠を通して、心のあり方を見つめ直すヒントを紹介します。
仏教トーク

正見(しょうけん)とは?|有と無に偏らない“正しく見る”ということ

正見(しょうけん)とは何か?仏教では、物事を「有」や「無」だけで判断せず、偏りなく見ることが大切と説かれます。経典のカッチャーナとお釈迦さんの対話から、その見方をたどります。
仏教トーク

無明とは?|サーリプッタとの対話

「無明」とは何か。雑阿含経巻第9-251をもとに、サーリプッタと弟子たちの対話を通して、無知と迷い、そして事実に向き合うことの意味を静かにたどります。
仏教トーク

計る病──私たちの心に潜む、考えすぎの悩み

なぜ人は考えすぎてしまうのか。雑阿含経に説かれる「計る」という心の働きから、悩みや争いが生まれる仕組みを読み解き、日常の見方を少し変えるヒントを探ります。
法の種

煩悩とは何ですか?

煩悩を表す言葉は、仏教経典の中に数多くあります。惑・塵労・染汚・随眠・漏・三毒——それぞれの言葉が煩悩のどんな側面を照らしているのか、禅僧がたどります。
法の種

経典上の樹木は実在しますか?「キンスカ、シリサ、ニグローダ、菩提樹」

お釈迦さんが悟りを開いたとされる菩提樹、煩悩にたとえられるニグローダ、経典に異なる姿で描かれるキンスカの木。仏教経典に登場する樹木が実在するのか、禅僧が一つひとつ調べてたどります。
法の種

「ジャータカとは? 」お釈迦さんの前世(?)物語

ジャータカは「お釈迦さんの前世の物語」と説明されますが、前世とは必ずしも生まれ変わりを意味しません。輪廻転生は古代インドの思想であり、お釈迦さん自身は死後の問いに答えていない(無記)。禅僧の立場から、ジャータカと前世という言葉の本来の意味を整理します。
法の種

【中道を考える】「真ん中をとる」ではない

「偏らなければ真ん中でいい」——それは中道の誤解です。山道で布団を運んだ禅センターでの経験から、端に近づくほど道が見えるという逆説を手がかりに、中道の本来の意味を考えます。
法の種

「微妙」は仏教語だった——「びみょう」と「みみょう」、二つの読みに込められた意味

「ビミョー」は否定的な言葉として使われますが、仏教では「みみょう」と読み、深遠で素晴らしいという意味を持ちます。同じ漢字でなぜ真逆の印象になるのか、その語源を禅僧がたどります。
法の種

心が安定するのが安心(あんじん)

「安心」には二つの読み方があります。一般的な「あんしん」と、仏教の「あんじん」。不安がない状態を安心と思っていませんか?禅僧が、不安と安心の本当の関係を考えます。
法の種

【中道を考える】道は一直線ではない。

「偏らなければ真ん中でいい」——中道はしばしばそう誤解されます。しかし山を登る道が一直線でないように、中道とは状況に応じて曲がりくねりながら進む道のことです。僧侶仲間から受け継いだ老僧の言葉をもとに、禅僧が中道の本質を読み解きます。
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