お経

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法の種

苦しみの解決の求め方|禅僧の「中阿含羅摩経」講話メモ②

お釈迦さんの出家の動機については以前以下の記事にも書きました。 「老・病・死などの避けられない苦しみがあることに気づいた」ことが、お釈迦さんにとって出家する大きな動機となりました。 これら避けられない...
動画仏教トーク

一切は燃えている|煩悩を火(炎)に喩えて【動画仏教トーク】

動画+編集後記。教科書で読んで学ぶだけなのか、実際に現場に出て学ぶのか。この学びの違いはとても大きなものです。きっとお経というもの同じように、現場に出て学ぶと印象が変わるはずだと私は思います。
仏教トーク

黒い牛と白い牛|シッタラ(質多羅)長者

「雑阿含経巻第21-572」の内容が基になっています。黒い牛と白い牛ですが内容は「卵が先か鶏が先か」といったような話です。ずっと昔から人類は同じようなことで考えてしまうのですね。
法の種

お釈迦さんの人間味を感じさせるシーン|禅僧の「中阿含羅摩経」講話メモ①

古いお経を読んでいると、お釈迦さんと弟子達やり取りの中で、人間味あふれる行動をしている姿をよく見かけます。私はお経の中で見えるこういったシーンがとても好きです。 私が仏教の事についてあまり知らなかった...
雑記

お釈迦さんの出家の動機について/四門出遊の伝説|禅僧の「中阿含柔軟経」講話メモ②

お釈迦さんの若い頃について語られている数少ない経典。ここでいう古い経典とはアーガマとニカーヤです。仏の誕生の話として有名な天上天下唯我独尊の話は後世に作られたお経であり、またお釈迦さんの話ではなく元々、毘婆尸仏びばしぶつが誕生した際に説いた事です。
動画仏教トーク

【動画】前世の「業」の話はやめなさい|仏教でいう<業>とは? (無益な争い5)

動画+編集後記。取り扱い次第では、どんなに良いものでも、人は悪いように使ってしまう。昔も今も考えることは大切です。
仏教トーク

女性修行者に誘惑されるアーナンダ(阿難)の話

「出典:雑阿含経巻第21-564」アーナンダ(阿難)に恋をしてしまった一人の女性修行者。アーナンダへの想いから彼女は大胆な行動に打って出ます。彼女の誘惑に対してアーナンダさんはどう応えたのか?
雑記

お釈迦さんの幼い頃について語られている数少ない経典|禅僧の「中阿含柔軟経」講話メモ①

お釈迦さんの若い頃について語られている数少ない経典。ここでいう古い経典とはアーガマとニカーヤです。仏の誕生の話として有名な天上天下唯我独尊の話は後世に作られたお経であり、またお釈迦さんの話ではなく元々、毘婆尸仏びばしぶつが誕生した際に説いた事です。
動画仏教トーク

【動画】無益な争論4|そのような議論はよしなさい

動画+編集後記。取り扱い次第では、どんなに良いものでも、人は悪いように使ってしまう。昔も今も考えることは大切です。
仏教トーク

欲によって欲を断ず|アーナンダ(阿難)の説法

「出典:雑阿含経巻第21-561」私達は欲に振り回されることがあります。この欲を断ずるにはどうすればいいのでしょうか。アーナンダ(阿難)は答えます。欲を断ずるには欲が必要です。欲が有るだけでは、欲望に振り回されるし、逆に欲を無くしても欲は無くならない。欲が有るから欲は無くなる。矛盾するようでその通り。
動画仏教トーク

【動画】無益な争論3|私の方が知っている!

動画+編集後記。取り扱い次第では、どんなに良いものでも、人は悪いように使ってしまう。昔も今も考えることは大切です。
動画仏教トーク

【動画】無益な争論2|同じ言葉を使っているからって、同じ話をしているとは限らない。

動画+編集後記。各国や王の勢力や財力などの話というと、ジャンルで言えば政治関連の話になるかと思います。私自身も政治関連の情報にまったく触れないかというとそんなことはありません。むしろ、ニュースを観て情報や知識を得たり、関心を持つことは大切なことだと考えています。
仏教トーク

指摘する際の心得、指摘される際の心得|舎利弗(サーリプッタ)と仏陀(お釈迦さん)の会話より

「出典:雑阿含経巻第18-497」大事なことを伝えたい。でも私の伝えたい事を理解しようとしてくれません。世の中の人達は、理解せずに言い争い、互いに否定しあうネタにしてしまう。どんなに素晴らしい教えも道具も、使い方を誤れば本来の意味を見失う。
禅僧ちしょうの棚

読経・木魚についての雑学|経典を自作して学んだ事

お坊さんが読むお経は、いつも同じ……ではありません。その一言をきっかけに、私は自分で読誦経典を作ることにしました。
動画仏教トーク

【動画】無益な争論|無限か有限か、有るか無いか、人ははっきりさせたがる

▽原作「仏教トーク」 編集後記 お釈迦さんはあえてそのことについて答えない。お経の中にその答えは記されていない。 そういうのを仏教学では「無記むき」と言います。この教えは、経典の随所で見られます。今回...
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