お釈迦さん

仏教トーク

仲間の忠言に耳を貸さないティッサ

「私はあなたのいとこだ」と仲間の忠言を退けたティッサ。お釈迦さんはどう諭したのか。雑阿含経をもとにした会話形式の仏教トーク。慢心と忠言について考えます。
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豪華な服装を好んだ弟子ナンダの成長

豪華な服を好み、品位を主張し続けた弟子ナンダ。お釈迦さんは彼に「乞食し、糞掃衣をつけなさい」と語りかけます。雑阿含経をもとにした対話形式の仏教トーク。
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バナナは実がなると枯れる──デーヴァダッタと名利の話

500人の行列を引き連れ、王子に供養されるデーヴァダッタ。承認欲求が満たされた華やかな姿を、お釈迦さんはなぜ「枯れるバナナ」にたとえたのか。雑阿含経をもとにした対話。
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貧相な修行者がやってきた──妄りに人を量ってはならない

貧相な身なりの修行者を軽んじた弟子たちに、お釈迦さんは静かに言いました。「妄りに人を量ってはいけません」と。孔雀と鴻鵠の詩偈が、その理由を語ります。
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自分がされて嫌な事は他の人にもしない──その当たり前を、あなたはなぜと問えますか

自分がされて嫌な事は他の人にもしない。誰もが知っているこの当たり前に、あなたはなぜと問えますか。お釈迦さんと二人の男性の対話から、見失いがちな当たり前を見つめ直します。
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「これは清浄だ」と宣言すれば、清浄になるのか──牛の糞と浄・不浄の話

牛の糞は汚いもの、というのは本当でしょうか。浄・不浄は誰が決めるのか。お釈迦さんは「宣言では変わらない」と言いながら、「変化はする」とも語ります。では、その境界線はどこに引けるのでしょうか。
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坐禅ができなくなっても、あなたはあなたです

重い病で坐禅(座禅)も満足にできず、自分を責めるアッサジ。そこへお釈迦さんが訪ねてきました。「戒律を破ったのですか?」「今のあなたもあなたでしょう?」——雑阿含経をもとにした会話形式の仏教記事。
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キツネが黙って教えてくれたこと

怪我をしたキツネを助けたお釈迦さん。野に帰ったキツネを見送りながら、弟子たちは「恩を知る」ことの意味を問い直します。経典に残る静かな一場面。
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「俺が先に供養する!」と争う二人に、お釈迦さんは何を見たか

名声を上げたいから供養する──そんな動機が透けて見えた瞬間、お釈迦さんは何と言ったのでしょうか。雑阿含経をもとにした対話です。
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特別な方法はありません──職人の日常のように

「すぐにどうにかできる方法はありますか?」煩悩と上手く付き合えないと打ち明けた弟子に、お釈迦さんは金属職人の仕事を語りはじめた。
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比べない、比べられない、人の事

戒律を守る人と、守らないけれど聡明な人。お釈迦さんは二人を同じように評価しました。「比べることは苦しみになる」——その言葉の意味を、対話を通じて考えます。
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愛することと、怒ることは、そんなに違うのだろうか

好きなものを愛し、嫌いなものを怒る——それは当然のことでしょうか。でも愛から怒りが生まれ、怒りから愛も生まれる。その先にお釈迦さんが示したのは、意外な視点でした。
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急がないけれど、手は止めない──三学(戒・定・慧)と農業のたとえ

戒・定・慧の三学を、お釈迦さんは農業のたとえで語ります。種を植えれば実は成る。しかし、それは何もしないということではない。時に随って耕し続けることと、焦ることは、どう違うのでしょうか。
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答えを探すより、まず向き合うこと──お釈迦さんの言う「正しく見る」とは

八正道の「正見」には二種類あるとお釈迦さんは言います。正解を目指すのか、苦という問題に向き合うのか。雑阿含経の対話をもとに、その違いを考えます。
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善き知識・善き友達

善き友がいるということは、修行の半ばではなく、その全て——。雑阿含経をもとに、お釈迦さんとアーナンダの対話をチャット形式で読む。善知識とは何かを問い直す一篇。
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