仏教トーク

無益な争論3|知識の多さを競い合う弟子たち

「四諦」の話から始まった弟子たちの会話は、いつしか知識の多さを競う言い争いへと変わっていきます。その様子を見たお釈迦さんは、仏法を理解する上で利益のない議論だとたしなめます。雑阿含経に残る一場面をもとにした仏教トークです。
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無益な争論2|王の強さをめぐる弟子たちの議論から学ぶ、お釈迦さんの教え

コーサラ国とマガダ国の王、どちらが強いのか――弟子たちの議論に対し、お釈迦さんは無益な争論の意味を問いかけます。議論の行き違いから学べる仏教の気づきを紹介。
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無益な争論|世界は無限か有限か、命や魂はあるのか

弟子たちが「世界は無限か有限か」「命や魂はあるのか」と議論します。お釈迦さんはその議論をどう見たのか。無益な争論のやり取りから学びを考える記事です。
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四諦って何? お医者さんのたとえで学ぶ苦しみと解決の道

お釈迦さまが説いた「四諦」の教えを、日常でもわかりやすいお医者さんのたとえで解説。苦しみの真実とその解決の道を、対話形式でじっくり学べます。
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当たり前の中にある有難さに気づくには?――『取』に執らわれない心のヒント

「手に入れること」に心を奪われていませんか?お釈迦さんの教えと弟子との対話を通じて、当たり前の中にある有難さに気づく、偏らない心のヒントを紹介します。
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煩悩と草木のたとえ——迷いや苦しみを見つめる

煩悩は雑草のように、放っておくと根を張り、抜きにくくなっていく——しかし根絶やしにすれば、作物も育たない土地になってしまう。お釈迦さまと弟子たちの対話を通して、煩悩との向き合い方を考える仏教トーク第10話です。雑阿含経をもとに構成しています。
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何事にも捕らわれない自由な生き方とは? ナンダの弟子入り物語

『何事にも捕らわれない』とは本当に自由なこと?川を流れる木のたとえと、牛飼いナンダの弟子入り物語を通して、その言葉の意味を見つめます。
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無常って本当に正しい?変化の真実と執着の罠

「変わらないものはない」という無常の真実。日常での気づきや執着の罠を通して、心のあり方を見つめ直すヒントを紹介します。
仏教トーク

正見(しょうけん)とは?|有と無に偏らない“正しく見る”ということ

正見(しょうけん)とは何か?仏教では、物事を「有」や「無」だけで判断せず、偏りなく見ることが大切と説かれます。経典のカッチャーナとお釈迦さんの対話から、その見方をたどります。
仏教トーク

続・琴のたとえ|張りすぎず緩めすぎず、修行で見つける「良い音」とは?

修行をやめたいと思ったソーナさんが、琴のたとえを通して見つけた「良い音」とは?張りすぎず緩めすぎず、毎回の修行の中で道を歩むことの意味に気づく物語。
仏教トーク

琴のたとえ|頑張り続けたソーナの迷い

「頑張っても報われない」と悩むソーナに、お釈迦さんは琴の弦をたとえに語ります。張りすぎても、緩すぎても良い音は出ない——雑阿含経の物語から、仏教の「中道」を会話形式でたどります。
仏教トーク

無明とは?|サーリプッタとの対話

「無明」とは何か。雑阿含経巻第9-251をもとに、サーリプッタと弟子たちの対話を通して、無知と迷い、そして事実に向き合うことの意味を静かにたどります。
仏教トーク

計る病──私たちの心に潜む、考えすぎの悩み

雑阿含経巻第8-227にある「計る」の話から、考えすぎてしまう思考の動き=「計る病」を読み解きます。お釈迦さんの教えを通して、日常での考え方を少し楽にしてみましょう。
仏教トーク

三脚のたとえで考える「老いと死の原因」|自分のせい? 他のせい?

老いや死の原因は、自分のせいなのか、それとも他のせいなのか。雑阿含経巻第12-288をもとに、弟子たちとサーリプッタの対話を通して、因果を単純に決められないことを三脚のたとえで描きます。
法の種

アナログとデジタル

この間、ふと気になって、デジタルとアナログの違いについて調べてみると、その意味が自分の認識とずいぶん違っていました。その時に思いついたことを書きました。
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