法の種

般若心経について——「わからない」と「理解できる」は違う

「度一切苦厄」はなぜ付け加えられたのか——その答えは正直わかりません。しかし、わからないことと理解できないことは違います。翻訳という体験を通じて見えてくる、経典との向き合い方をたどります。
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I know, I see:知ること、見えること

(問)「わかってる?」(答)「知ってる!」「分かってる!」それはわかっているようでわかっていない。見えていない。
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坐禅の姿勢はどうしたらいいでしょうか?

実際の所、坐禅の姿勢に関して語る所は山ほどあるのですが、そもそもの論点はそこではありません。このような質問や感想の場合「(本来ならこういう坐禅の姿勢をしたいのだけれども)どうやったらいいですか?」という事が背後にあるのだと感じることが多いのです。
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坐禅の時、何故靴下を脱ぐのですか?

なぜ坐禅では靴下を脱ぐのか。締め付けによる血行の悪化、足の滑りやすさ、そして服装全般が坐禅に影響する理由を、荒村寺の茶話会での質問をもとに禅僧が答えます。
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どんな水にも月は宿る:仏教を理解する

「私みたいな人間に仏教は無理だ」——そう言い放った人がいました。しかし、月は大海にだけ映るのではありません。水たまりにも、コップの水にも、月は宿ります。禅僧がある出会いから書いたエッセイです。
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坐禅中の呼吸はどうすればいいのですか? 思量箇不思量底ってどういうこと?

坐禅中の呼吸は、特別なことをする必要はありません。ただ自然に。では「考えない所を考えよ」という禅語はどういう意味か。意識と無意識を手がかりに、禅僧が茶話会での問いをたどります。
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坐禅の時、経行は何故するのですか?

坐禅と坐禅の間に歩く「経行」。ただひたすら坐る(只管打坐)は、歩くことや日常の立ち居振る舞いともつながっています。坐るということを深く考えると見えてくるものを禅僧が考えます。
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【諦とは】できないことを知るからこそ可能性を見出せる

できないと「あきらめる」ことは、できる可能性を「あきらめる」事に繋がるわけです。
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坐禅の時の目線は、どこを見ればいいんですか?

坐禅中、目はどこを見ればいいのか。「見ようとしなくていい、ただ見えるだけ」——lookではなくseeという切り口で、禅僧が坐禅の目線と目の開け方について答えます。
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砂場の山作り:己の山

固める。高くする。柔らかくする。低くする。いろんなあり方を知れば、山のつくり方は無限大に拡がる。
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【庵主さんとの問答】知識は消化することを忘れてはいけない

庵主さんとの問答から学んだこと。禅問答というと少し仰々しいイメージがあるかもしれません。しかし私は、もっと普通の会話から生まれる問いや答えも、問答と言えるのではないかと考えています。
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スフィンクスが見ているものとは?——実際に行ってわかった意外な景色

スフィンクスの視線の先に広がるのは砂漠ではありませんでした。2008年、一人でエジプトを訪れた際に感じた「情報と実体験の違い」をたどります。
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頭で考える事と身体で感じる事と

言葉とイメージ、そして身体。考えると言ってもいろんな考え方がある。
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【合掌とは何?】 合掌が教えてくれる事

合掌はなぜ両手を合わせるのか。形の背景にある歴史と、イギリスでクリスチャンと語り合った中で生まれた「人」という字のイメージ。禅僧が合掌の形と意味をたどります。
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日本で観られるキンスカの木、見つけた!

「キンスカの木って本当にあるの?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、私達の知らない所で、似たような木はたくさんあるのかもしれませんね。
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