頭で考える事と身体で感じる事と

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車の運転時、ハンドルを左に切れば、左に曲がる。ハンドルを右に切れば、右に曲がる。

おそらく、普通そう思う。でも実はそうとは限らない。

バックする時は、ハンドルを左に切れば、右に曲がる。ハンドルを右に切れば左に曲がる。

多分、言葉で理解しようとするとややこしい。

前は、右が右で、後は右が左で。左は右で。左が前だと左で。

おそらく、頭で考えれば考えるほどできなくなってしまう。

私はどちらかというとハンドルの切り方はイメージで考える。

例えるならこんなイメージ。

頭で考える時は、言葉をイメージに変換している事が多い。

それはお経にも言える。仏教にも通じる。特に禅はそういう考え方をすることが多い。

しかし、更に言えば頭で考えるというよりは、身体で考えるといったほうが早いかもしれない。

私は身体の動きや自分の行動を考えれば考えるほど、わからなくなるという体験を多々する。

むしろ、頭で考えるより、身体の感覚に任せている方がうまくいく。身体の感覚に注意をむけているほうがしっくりくる。

しかし、どんなに身体で覚えるといっても、最初に何かを教えてもらう時、やはり言葉やイメージ、頭なのだ。

見てまねるのも、頭でイメージする。そしてそれを身体で理解する。

仏道にも同じことが言えるのではないかと思う。

結局は書物や人から教わった事柄を、頭の中でイメージに変換させ、さらに身体の理解へとつなげていく。

伝えてくれていることを理解するには、頭で考える必要もある。

しかしまた、自分の身体で捉えることも忘れてはいけない。

自分の身体で捉えるには、身体に注意を向けなければならないし、自分をもっと知ってあげなければならない。

だから、自分を知ることは、何をするにも欠かせないことなのだろう。

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