「伝える」を考える:あり方とやり方

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以前、「ブログを読んでいるよ」とお声がけ頂きました。私は余り顔に出さないので伝わらなかったかもしれませんが、ありがとう、嬉しかったです。

伝わったこと

さて、その方は記事を読んで、思ったことを話してくれました。

「世の中には、暖かい言葉もたくさんあるから、暖かい言葉をかけることが大事」

会話の一言一句までは忘れてしまいましたが、私にはその方はこのように受け取ったのだろうと察しました。

しかし、正直私には、そんな主旨の記事を書いた覚えがありませんでした。

しばらく考えた私はおそらく、この記事を読んでくれたのであろうと判断しました。

(気候や季節の変化と同じように)

冷たい言葉もあれば、暖かい言葉もある。熱い言葉もあれば、冷めた言葉もある。

この世界は冷たいだけではないことを、様々な事が教えてくれます。

確か、私が暖かい言葉で書いたと言えば、これくらい……。

そこで私は、よりその方に伝えようと思い「コップの水」の話をしました。

心のフィルター

実はその「コップの水」の話というのは『となりの怪物くん』という漫画のワンシーンにあります。私はこれを読んだ時に共感したものでした。

女性はコップに水を入れ、男の子に質問します。

「さてこの水、冷たいと思う? 温かいと思う?」

男の子は当然の如く、「冷たいに決まってんだろ」と応えました。

そして女性は言います。

「どうして触っても無いのにわかる?」と。

知りもしないものを自分の知っているものに置き換えている。

だから「あたたかい」という言葉は、キミの心に冷たく響く。

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そう諭すシーンです。

思い込みはすごく怖い。それは現実を歪ませて見せてしまうことがあります。

見せるというか、見るのは自分ですから、言い直すと、その思い込みのフィルターを通して、自分はこの世界を見てしまうわけです。

ある人はそれを色眼鏡といい、ある人は「やさしさに包まれたなら」を例に語ってくれました。(※僕が飼っていた牛はどこへいった)

自分が物を見る時、感じる時、ありのままをそのままを見ているようで、実はそうではない。

気づくにしろ、気づかないにしろ、一度、自分というフィルターを通して物事を見ている。

心のフィルターと言ってもいいでしょう。

そしてその心のフィルターが自らの思い込みによっては、濁り、汚れ、黒く、冷たく、この世界を映し出してしまうことがあります。

優しい色の時は、世界の全てのものがメッセージに感じるそのフィルターも、不信感の色が染みだしてくると、その世界はどんな世界に見えるでしょうか。

他人と接することが怖い、全てが冷たくと感じる。私自身にもそんなふうに思い込んでいた過去があります。

過去記事「季節は語る」

当時、他の人がどう思って私に話しかけてくれていたのか、私は考える余裕もありませんでした。その中にはおそらく「あたたかい」言葉もあったでしょう。

でも私には、それさえも「つめたく」感じられたのです。

伝えたかったこと「あり方とやり方」

記事を読んでくれた方と話している時は、何を明確に伝えたかったのか、よくわかりませんでした。でも今は思います。

やり方には、100人いれば100人のやり方があります。だから正解なんてありません。

どうするかのやり方では無くて、あり方に目を向けてほしい。

あり方に気づけば、自ずと、やり方は見えてくるはずです。

きっと私は、そういう事があるのだと、ここを知ってほしいのだと、そこの所を伝えたかったのだと思います。

伝えるということ

私が上記の過去記事を書いた根底には、私自身のネットゲーム依存の時の事や私がどのように仏教を捉えているかなど、語らなければならないことがたくさんあります。

おそらく、様々な事を語らなければ、もっと自分自身の事を語らなければ伝わらないのだと、その方との対話でより一層、強く感じるようになりました。

私が仏教を伝える時、私は自分を伝えます。これが私のあり方なのだと感じるからです。

私が自分を伝える時、私は自分を振り返ります。振り返ると、そこにはあまり目を向けたくない自分のそこにいます。

私が自分を振り返る時、私はえぐるように自分をのぞき込みます。そうでもしなければ、本当の意味で伝わらないと思うからです。

そうして紡いだ言葉を、話した事を理解してもらえれば、それだけ嬉しい。

全部が全部ではないけれど、何かしら、ほんの少しでも伝わる。共感したり、影響したり、考え始めたり。そうして伝わった感触が感じられるだけで、私は嬉しいという感情に触れることができます。

反対に、伝わらなければ正直寂しい。理解してもらえなければ正直哀しい。「なんでここまでして話しているのかな」と自分でも思う時があります。しかし、この感情すら麻痺してしまった事がある私にとっては、これはこれで悪いことではありません。

何にしたって、伝えない事には理解してもらえない。話さない事には伝わらない。そんな思いが自分を突き動かします。

そうして伝わったことに刺激され、相手も自分の考えを伝えてくれる。そんな信頼の関係がなければ、真の意味で伝わるということが成立しないのかもしれません。

正直、自分については語りにくいこともたくさんあるのが本音ではあります。しかし、少しずつ時間を掛けながら紡いでいきたいと思っている自分もここにいます。

伝えるということを見つめ直す、良い機会となりました。

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