文章を書いていると、ふと思うことがあります。言葉を扱うのは、料理とよく似ているなぁと。
そういうふうに考えるのはきっと、「お経は言ってみれば冷凍保存された食品と一緒」と老師(先生)から聞いたからかもしれません。
当然のことながら、昔と現代の言葉は違います。
人から発せられる言葉は、人と共に日々変化していきます。古典と現代文が違うように、時代によって変化します。
また場所によっても違う言語を使っています。同じ日本語でも方言で、解釈が変わる程に。
その時代、その場所によって言葉は違います。言葉に対する認識は違います。
しかし、言葉は文字に起こすことができます。その時のその言葉を、そっくりそのままに保存することができます。私はこれが冷凍食品みたいに感じます。
ならば、その時、その場所で発せられた言葉は食材です。
しかし、ただ言葉を発するだけでは、そのままでは伝わらないこともあります。私達は伝えようと色々考えます。話を組み立てていくのは、まさに料理と同じです。
私にとっては法話もそう感じます。プレゼンテーションなんかもそうでしょうか。
そして、文章を書くということは、料理を冷凍保存するようなもの。そうして、時代や場所を超えて、私達は食する(読む)ことができます。
ただ、冷凍保存することで、多少味が変わってしまう(意味が変わってしまう)でしょうから、できれば直接料理を食べる(会って話す)ことが大事ということも、共通していて面白く感じます。
そういえば、老師はこんなことも言っていました。
「お経ってのは魚でいえば、例えばタイだ。高級魚。でも長い年月冷凍保存されている。それよりも安い魚でもいいから、新鮮な魚を食べたいと思わないか?」
長い間冷凍保存された物より、新鮮なものを食べたい。できることであれば、旬の物を食べたいと思うのが人情でしょう。
だから私は、今の食材を使って自分で料理する事を覚えていかなくてならない。それもお坊さんの仕事でもないだろうか。
そんな風に受け止めた自分がいました。
ただ、私は冷凍保存された高級魚にも興味があります。どう料理されて、保存されたのか。それを知ることで、私の料理の幅もきっと増えてくるはずだと思うからです。
何にせよ、いかに高級な冷凍食品といえども、年月が経てば食べにくくなるわけですし、それを渡すだけでは不十分なのでしょう。
私が伝える仏教料理も、少しは皆さんに興味を持って頂いているでしょうか……?
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