エジプトの交通ルール

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突然ですが、上記の写真をご覧ください。どこかおかしいところがあります。わかりますでしょうか?

これはエジプトの首都カイロで撮った写真(2008)です。当時、ある事がおもしろいなと思って、それが伝わる場所を探しました。そしてこの場シャッターを押しました。

車線を見てもらえばわかるのですが、本来この道路は片側二車線です。しかし車は三列になって走行しています。

もう一度言います。「二」車線なのに、車は「三」列になっています。

日本では車線を守る、信号を守るのは当たり前のことですが、カイロではそうではありませんでした。

少なくとも私が行った時は、カイロでは車線も信号も誰も守っていませんでした。実際交通ルールが無いわけではないと思いますが、私の目にはルールなんてないように見えました。

「自由に走れていいな!」と思う人がいるかもしれませんが、実際問題そうは言えません。

空港からカイロの中心部に向かうには、通常であれば30分程度。しかし街中では、必ずといっていいほど交差点で渋滞が発生します。

それが一つではなく、各交差点で毎回毎回。私が行った時は、目的地に着くまでに通常の3倍以上の時間がかかりました。

どうして渋滞が起こるかというと、信号がないに等しいからです。

交差点に差し掛かったら取りあえず突っ込む。自分は赤・青関係なく、自由に交差点に入れますが、車の数が多ければ多いほど危険です。

自分が交差点を曲がろうとしたら、左右から直進者が突っ込んでくる。危なくてブレーキをかける。だから車がスムーズに動けなくなります。

そして渋滞が発生して、自由に交差点を行き来できなくなってしまいます。本来信号を守れば、スムーズに自由に行き来ができるはずなのに。

自由というのは大変難しい問題です。言葉の上では矛盾していますが、人は自由に拘ってしまうと途端に不自由になってしまいます。

もちろん自由は大事なこと。しかし、自由に囚われると自由が自由でなくなってしまいます。交通渋滞のように。

だから秩序というルールやマナーが大事。そう主張する人もいるでしょう。

秩序はもちろん大事です。しかし秩序(ルールやマナー)も囚われれば囚われるほど、自らを縛りつけてしまい、自由を奪ってしまいます。

気が付けばそのルールやマナーが、誰かの決めた身勝手で自由気ままな単なる拘りなんてこともあります。

自由って一体なんだろう? これが自由でこれが違う。そう簡単に結論はでない。

むしろ結論を出した時点で、そこから自由について自由に考える自由もなくなってしまいます。

自由も大事だし、秩序も大事。矛盾はするし、どうしたらいいのかわからない。しかし私はそうやって考えることが実は大事ではないかと思います。

考えるということは少なくとも向き合っているというわけですから。

まぁでも、考えるとは言っても、自由はこうだとか秩序はこうだとか考えなくとも大丈夫。

向き合っているだけで、向こうから教えてくれるはずです。

日常の様々な場面で、「ああ、自由ってこういうことをいうのかな」と、自然と湧いてくる。→ 自(自ずと)由(そこから出てくる)。

 そんなふうに、考えない所を考えてみませんか?

 

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