人の心を掬い上げて言葉に記す「ヴァイオレットエヴァーガーデン」

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主人公のヴァイオレットエヴァーガーデンはじめ、登場人物のセリフの中にも、言葉の内に秘められる想いを感ずにはいられませんでした。様々なシーンで私は胸打たれながら、この作品を見ていました。

私も自分の心を形にしたくて、ブログや法話など「言葉にする」という事を考える機会も多いため、まずこの作品の印象として残るのが「心と言葉」についてです。

全体の感想

自分の内にある心、想い。それは言葉にしようとも簡単に表現できるものではありません。

時に人間は嘘をつくこともあれば、本心と違う言葉を発することもあります。言葉には裏腹があって、伝えた言葉と伝えたかった事は決してイコールになりません。

たとえ、自分の心の内を素直に語ったとしても、その言葉は100%自分の心の内を表しているかと言えば、答えはNOです。心の内は言葉では語りつくせません。

例えば……「愛している」と言葉に発したとしましょう。

たった一言の中に、人が込める想いは無限にあります。その人がどんな想いを込めたのか。それは究極の所、本人にしかわかりません。いや、本人にだってはっきりとわからないかもしれない。

分からないのなら、言葉にすることやそれを受け止めて理解しようとすること無駄なのでしょうか。決してそんなことはありません。

なぜなら言葉は、伝えたかった想いがあったからこそ生まれたわけですから。伝えてくれた言葉をちゃんと受け取ろう。言葉から伝えたい本当の心をすくい上げよう。それは、人にとってとても大切なこと。

今の私達には一目ではわからない古い言葉の中にも、そこには伝えたい想いがある。それを紡いできた人々の想いがある。(※私も、古いお経をこうして読みたいんだと思います)

そう思うと、やはりその伝えたかった事、その心は何なのか、とても気になりますよね。

主人公のヴァイオレットは、そんな人々の心や気持ちを掬い上げて手紙を代筆するお仕事をしています。

作中では、人形のように代筆業を行う人間のことも「自動手記人形」と称していますが、ヴァイオレットもはじめ機械のような人間でした。

その機械のような人間が、一体どのようにして人々の想いや心を掬い上げる「自動手記人形」となるのか。

その中で織り成される話に、涙腺が緩みっぱなしでした。

仏教の話とリンクしたシーン

主人公のヴァイオレットと面倒を見てくれている郵便社の社長ホッジンズとのやり取りの中で、こんなシーンがありました。

ホッジンズが「燃えている」と告げて、ヴァイオレットが「燃えてません」と言っていたシーンです。

このシーンを見て、私は、お経の中にあるお釈迦さんと弟子のやり取りとリンクしました。

https://zenessay.kosonji.com/buddhist-talk-14

自分が燃えている事には、案外、気づきにくいものです。それに気づいた時、私達は一体どうしたらいいのか。

アニメでも仏教でも、人の心に訴えかけるものは、どこか通じるものがある。それは人間が人間である限り、今も昔も変わらないのかもしれません。

ヴァイオレットエヴァーガーデンを見る順番

編集後記

当初はnoteで記事を作成していましたが、仏教の話にも通じる所があるので、こちらのブログに掲載することにしました。「ちしょうの棚」入りです。

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