禅の言葉に「身心一如」という言葉があります。
禅学大辞典では、以下の様に説明されています。
身心一如 身心不二・身心如一ともいう。
肉体と精神と一体不二でなること。
身と心とは同一体の両面として、身は心の身であり、心は身の心であることをいう。
価格:29700円
(2023/11/12 17:09時点)
簡単に言えば「身と心は分けられるものではない」といっていいでしょうか。
本記事では、身心一如について、私が心の底からこの身に感じた、思い出話に触れたいと思います。
一人旅(バックパッカー)の思い出
既に記事に書いた事はありますが、私はバックパッカーをしていたことがあります。
バックパッカーというのは、低予算で国外を個人旅行する人のことです。リュックサック(英語では「backpack(バックパック)」)を背負って移動する人が多いことから、バックパッカーと言われているようです。
低予算ですので、一般的に旅行の際に考えるツアー観光とは全く異なります。
当然、旅行会社がいろいろ手続きしてくれるわけではありません。
ビザ、宿、食事もさることながら、行き先の手続き・交渉を行い、それらの情報収集も全て自分自身で行わなければいけません。
全て自分でやるので、その分の費用が安くなるわけですね。
今はインターネットがあるので、予約等もしやすくなりましたが、いきあったりばったりで、目的地も変えることがありますから、現地で直接決めたり、交渉することもあります。
道に迷ったり、宿が見つからなくて困ったり、いろんなトラブルが起こることがありますから、(観光)旅行というよりは、(一人)旅と言った方がいいかもしれません。
エジプトの旅路
さて、私が一人旅をし、エジプトに行った時のことです。このエジプトに行ったのは、一人旅にも大分慣れた頃でした。
留学先のイギリス、そしてヨーロッパだけでなく、せっかくなので、他の大陸にも行ってみたい。そして、はじめてアフリカ大陸にある国へと向かったのがエジプトです。
エジプトは、アラビア文字。今まで訪れた国とは違い、アルファベットに近い文字を使っていない国です。
今まで、ガイドブック片手に旅をしていた私は、このアラビア文字に苦戦しました。
アルファベットに近い文字を使う所であれば、言葉がわからなくても、一字一字、ガイドブックと看板などを見比べることができました。
しかし、アラビア文字の知識がほとんどない私にとって、アラビア文字を認識する、識字することができなかったのです。
日本にいる時、またはヨーロッパを旅する時も、識字について、そこまで考えません。しかしこの時に、識字できないという衝撃を、初めて知りました。
とはいえ、国際空港のあるカイロや有名な観光地には、アルファベットの看板も多く見かけましたし、観光業の為、英語を話せる人も、ちらほらといたので、そこまで切羽詰まった状況でもありませんでした。
そこで、私は、カイロより南にあるルクソールにも足を向けることにしました。
カイロからルクソールへ
ルクソールまでの行き方は、主に三つ。電車、バス、飛行機です。
電車は寝台車が出ているのですが、これがなぜか、飛行機より高い。
所要時間も10時間以上かかるようだったので、電車という選択肢は「×」。残るはバスと飛行機。もちろん、バスのほうが安いです。
しかし、どの停留所で降りるのか、降りた停留所がルクソールのどのあたりになるのか、飛行機よりバスの方が不安がありました。
なぜなら、バスターミナルのような大きい停留所を除いて、バスの停留所から目的地までの移動は、ガイドブックの地図には載っていないことが多いからです。
何より、識字でいえば、バスの方が英語などアルファベットがない、外国人に対応していない可能性がバスの方が高い。そこで私は、飛行機のチケットからまず調べてみることにしました。
まず、カイロで泊まっていた宿の受付に尋ねてみると、飛行機のチケットを取り扱っているオフィスを勧められました。
ちなみに、宿は、ドミトリーです。二段ベットがたくさん並んだ共同部屋といえば、イメージが湧くでしょうか。
ユースホステル・ゲストハウス・民宿、といろんな宿の形式はありますが、一般的なホテルとはまるでイメージとは全く異なります。
個室に泊まることもありましたが、安全性、利便性、値段など、宿探しも、バックパッカーの面白い所でもありました。
さて、ルクソールへの往復航空券を調べに行った私ですが、ガイドブックにあるように、寝台車(電車)より少し安めの値段でした。しかし、一つだけ、なぜか、割安の便があったのです。
それは、飛行機の最終便で、夜に到着予定の飛行機でした。確か、20時、21時頃の到着だったかと思います。
飛行機では英語も通じるだろうし、安いこともあって、私は飛行機でいくことにしました。
翌日の夜出発の便のチケットを買った私は、一度、カイロの宿へと戻りました。
ただ、正直な所、夜の移動には少し不安を感じていました。そこで、ルクソールの空港から市内への移動方法を、カイロの宿の受付で確認することにしました。
すると、宿の受付の人がこのようなアドバイスをしてくれました。
「それならルクソールの空港にタクシーを呼んでおくこともできる」と。
確かに、直接ホテルまでいけるのなら、迷うこともなく、夜中に歩き回る必要もありません。また、宿が呼んでくれるタクシーなら安全です。
私は、受付に、タクシーをお願いすることにしました。
そして、当日の夜、私は、カイロの空港からルクソールの空港へと飛び立ちました。
ルクソールの空港
飛行機での移動は、全く問題なく、ルクソールの空港へと到着しました。
しかし、ルクソールの空港は、カイロの空港とまったく雰囲気が違いました。
ほとんど照明がついておらず、まるで閉店後のお店のような雰囲気。同じ飛行機内に乗っていた他のお客さんも、なんだか足早に出口へと向かっているような気がしました。
私も荷物を持って、出口に辿り着くと、空港の職員の人でしょうか。早く出るように促していました。
同じ飛行機に搭乗していた他の人達が、空港のバス乗り場の方へと向かう中、私は、その流れに反して、タクシー乗り場へと向かいました。
人の波とは違う方へと歩くことに、なんとなく不安を感じながら、タクシー乗り場につくと、そこにタクシー姿はありませんでした。
「ちょっと遅れているのかな?」と、カイロの宿で頼んでおいたタクシーが到着するを待っていた私。しかし5分、10分、15分と時間が過ぎる中、来るはずのタクシーが一向にやってきません。
それどころか、一台のタクシーもやってこないのです。
「……」
ますます不安になってくる中、1分がとても長く感じました。
タクシーだけでなく、飛行機の乗客もだれも来やしません。空港のタクシー乗り場に人っ子一人いないのです。
もうこれ以上、ここに留まっていても、仕方がない……。私は、タクシーに乗るのを諦め、別の方法を探しました。
とりあえず、空港内に戻って、インフォメーションセンターなり、何かの受付なりで、タクシーを呼んでもらうか、バスでの行き方を尋ねようと、さっき出てきた空港の出口へと向かいました。
ところが、そこに戻ると、空港の警備関係の人でしょうか。閉められた出口の前に立ち、中には入れないとジェスチャーで伝えられます。
先ほど私が出てきた時と違い、乗客の姿はなく、他に人の姿はありません。仕方がないので、私はその警備員らしき人に、どうやったらルクソールの市内にいけるか、尋ねました。
どうやら英語がわからないようだったので、私はジェスチャーを交え、ガイドブックに載っているルクソール市内の地名が載っているページを見せました。
すると、その人は、指をさして、あちらに行くように促します。私が、そちらの方に歩いていくと、ちらほらと、列に並んでいる人達を見つけました。
そこはどうやらバス乗り場のようです。
まだ人がいることに、少しだけ安心した私ですが、そこには、いくつものバス停がありました。少なくとも9つのバス停はあったと思います。
どのバス停から乗れば、ルクソールの市内に到着できるのか、分からない私。しかも、バス停には、私が理解できる形で表記されているものがありませんでした。
「英語表記がないのかよ!?」
バスを乗り間違えれば、全然違う所へ行ってしまう可能性がある為、乗り場を間違えるわけにはいきません。いいようのない不安と焦りが私の心を徐々に蝕んでいきました。
私は列に並んでいる人に、「ルクソール市内へ行くことのできるバスはどれなのか」を尋ねました。
しかし、英語が通じません。困ったような顔をされ、更に焦る私。他の人にも尋ねましたが、やはり英語は通じません。
予定していたタクシーも来ない。空港内にあるだろうインフォメーションセンターにもいけない。文字も読めない。周りの人にも英語が通じない。
もちろん、夜の為、またどれぐらいの距離があるなんて分からない為、歩いて行くことなんてできません。バス停と空港の明かり以外は、見える景色は暗闇。遠くに道路のあかりがポツンポツンと見えるだけでした。
ヤバい……、ヤバい、ヤバい……。どうしよう……、どうしよう、どうしよう……。
見知らぬ地で、言葉も通じず、どうしていいかもわからない。この時の私は周りの目にはどのように映っていたのでしょうか……。
とにかく、私は先ほど、なんとかジェスチャーを交えることができた警備員の所へいきました。
しかし、そこには、先ほどまでついていた明かりはなく、扉を閉め、鍵をかける作業をしている警備員の姿が見えました。
まさに、お先真っ暗状態でした。
身心一如
一人旅をしている際、予想外の出来事は、たくさんありました。
例えば、乗り継ぎに失敗して、バスターミナルで夜中に過ごしたこともありました。しかし、それでも、野宿だけはしたことがありませんでした。
海外の、しかも、到着したばかりで、まだ地理も雰囲気(治安)もよくわかっていない場所で、野宿なんてできるわけがありません。
ここで取り残されたら、もうどうしようもない。私は意を決して、作業中の警備員の人に声をかけました。
確か、その時、三人ほどの人達が作業に当たっていたと思います。私に気づいて、警備の人達が近づいてきました。
その中の一人が片言ですが、英語をしゃべることができました。私は事情を説明し、ルクソールの市内に行く方法尋ねました。
すると、なんとか英語が通じるその人が「もう仕事がこれで終わるから、バイクの後ろにのっけてやるよ」と言ってくれました。
焦りと不安で真っ暗で、ただただ必死だった私にとって、その人の助けがどれほど有り難かったことか……。
私は、バイクの後ろに乗せてもらい、無事、ルクソールの市内へとたどり着くことができました。
当時は必死であまり考えなかったのですが、今、振り返ってみると、「不審者に思われてもおかしくなかったのでは?」とも思います。
私は現地の言葉はわかりませんが、バイクに載せてくれるとその人が提案する前に、他の警備員の人達が話していました。その際「おまえ、正気か?」と思わせるようなリアクションを他の警備員の人がしていたことを今でも覚えています。
そんな状況の中、親切に対応してくれたその人に、心の底から感謝していますし、尊敬の念を感じています。
私は、その人と別れる際、その人に対してなにもできることはありませんでした。ただ、ただ、真実その人に感謝して、本当にありがとうと思って、「thank you! thank you!」と頭を下げていました。
冷静に考えれば、エジプトに頭を下げる文化があるのか、私にはわかりません。しかし、この時の私のお礼に対して、その人は、笑顔で応えてくれました。
心の底から感謝して、それが自然と身体に表れて頭が下げいた私。
人が真実、心に感じたことは、自然と身体にも表れる。
そういった真実の心から動いた行為を通して、伝わるものがある。心に感じるものがある。
この体験が「身と心は分けられるものではない」と私が考える理由の一つです。
コメント