地によって倒るるものは必ず地によりて起く。
地によらずして起きんことを求むるは、さらにうべからず。
【中古】 正法眼蔵(1) 岩波文庫/道元(著者),水野弥穂子
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(2023/11/12 17:12時点)「恁麼」より
人は地につまづく。そして悩む。
地に足をすくわれ、よろめき、地に倒れ込む。そして苦しむ。
しかし、人は起き上がる。地に手をつき、足をつけ、地に支えられて、また立ち上がる。
地に足がつかなければ、起き上がることは叶わない。
地が悩みや苦しみの問題となると同時に、その問題こそが地となって、人は起き上がる。
悩みや苦しみに向き合うからこそ、それが支えになって、人は起き上がる。
例えば、人に話すということも、向き合うことの一つなのかもしれない。
悩みや苦しみを誰かに伝えるには、言葉にしなければならない。
自分自身に渦巻く何かを、ちゃんと言葉にしていかなければならない。
その何かは、そんな簡単に言葉にできるものじゃない。
言葉にするということは、そんなに簡単な事じゃない。
時には自分に渦巻く感情や想い、嫌な部分にも目を向けなければならない。
それでも伝わらないことがある。伝わらなければ、きっとそれは愚痴にしか聞こえないのだろう。
伝わらないなら、もっともっと、その何かに向き合って、一生懸命、言葉にしなければ伝わらない。
結局のところ、誰かに何かを話すという事は、そうやって、自分自身にも向き合うということだ。
向き合う事がなければ、どんなに言葉にしても、伝わらない……。
ならば、悩みや苦しみを誰かに話すという事は、既に解決の一歩を踏み出している。
半分解決しているどころではない。すでに、その一歩が、起き上がるということなのだろう。
そしてまた踏み出していくその足は、地によって支えられている。その地が、自分を支えてくれている。
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