その日は習い事があった。
出かける前に、カバンの中を確認した。準備物はバッチリ。
時間も5分ほど余裕がある。うん、大丈夫だ。
さぁ、出発!
でも、道中、ふと気づく。
「あっ、ズボン履き替えるの忘れてた……」
途端に心いっぱいに拡がる不安で顔を曇らせる。
「あああああああ! なんで? どうして? どうしよう……?」
焦る気持ち。どうしよう。でも、どうしようもない。
目に涙を浮かべながら、来た道を走って戻る。
上手くできなかった自分を責めている。
荒々しくドアを開け、まどろっこしい靴を脱ぎ棄て、急いでズボンを取りに行く。
責めるうちに、嫌になって、何もかもが嫌になって。これから来るであろう習い事の時間すらも、嫌になって……。
結局、習い事に行っても、何もしなかった。
いやきっと、手に付かなかったというほうが正しいのかもしれない。
私達は理想を描く。
例えば、忘れ物をしない。遅刻しない。
それはとても理想的だ。
私達が描く理想はそうあってほしいと思う最高の状態。まさに理想的とは、完璧なものだ。
しかし、どんなに完璧にしようとも、失敗する時は失敗する。
完璧なんてない。絶対なんてない。この理解は、とても大事だ。
何でもかんでも完璧を求めると失敗が怖くなってしまう。
失敗した自分を必要以上に責めてしまう。
失敗したっていい。むしろ、失敗することの方が多い。
でも、大丈夫。その失敗が色んなことを教えてくれる。
失敗は成功の元。成功の裏には、数多くの失敗があるもの。
だから、失敗したって大丈夫。完璧なんてないのだから……。
しかし、この言い方は、誤解を与えてしまうことがある。
例えば、忘れ物をしない。遅刻しない。そんなことは気にしなくていい。だから、そんな理想は持たなくていいんだと……。
私達が描く理想はそうあってほしいと思う最高の状態。まさに理想的とは、完璧なものだ。
完璧なんてないことを知ると、私達は、その理想を捨ててしまう。
理想を目指して努力することさえ、何だか無駄な気がしてしまう。
完璧などないのだから、理想には絶対に届くはずがないと……。現実に打ちのめされる。
全てが無駄だったように思えて、何もかもが嫌になってしまうことがあるかもしれない。
しかし、そんなことはない。
理想を目指して努力すること。より良くしようと頑張る事。それは決して間違いではない。
その努力は、とても大事だ。
その努力がなければ、失敗から学ぶことはできない。失敗に気づいたのは、努力していた自分がいたからこそなのだから。
失敗を失敗だと気づいた自分まで、責めることなんてない。だから、嫌にならなくてもいい。
失敗は成功の元。途中放棄しなくて大丈夫。理想まで捨てなくても大丈夫。失敗は理想につながっているのだから。
理想を抱く事は、そうあってほしいと思う完璧な状態に向かおうとする事。完璧を目指す努力を生む。
完璧がないという理解は、いくら努力しても、決して理想通りにはいかない事を意味する。
頭の中でよく考えると、この両者は矛盾する。
完璧がないという理解と完璧を目指す努力は矛盾する。
矛盾する、、だけど、どこかで知っている。何となく感じている。
完璧がないという理解と完璧を目指す努力。その両方が、大事だってことを。
If it’s not paradoxical, it’s not true.
(もし、矛盾しないのなら、それは真実ではない)
~David Chadwick「Zen is right here」
鈴木俊隆老師の言葉より~
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