お経

法の種

【如是我聞とは何ですか?】かのようにわたしはきいた

「如是我聞」はなぜお経の冒頭に置かれるのか。お釈迦さんの入滅後、弟子たちが記憶を持ち寄りお経を編集した場でのアーナンダの言葉を起点に、数百年にわたる口伝の連鎖の中でこの一句が定着していきました。禅僧の視点から「我(わたし)」が誰を指すのかも読み解きます。
法の種

時間の過ごし方:人間、今も昔も、変わらないのかも

お釈迦さんにはたくさんの弟子がいます。そしてその弟子たちの言葉も仏典には残っています。今回の言葉は、サンブータさんの言葉です。ゆっくりしていてよいときに急ぎ、急がねばならぬときにゆっくりする愚人は正し...
法の種

般若心経について——「わからない」と「理解できる」は違う

「度一切苦厄」はなぜ付け加えられたのか——その答えは正直わかりません。しかし、わからないことと理解できないことは違います。翻訳という体験を通じて見えてくる、経典との向き合い方をたどります。
法の種

言葉の冷凍保存:お経は冷凍食品と一緒

言葉を扱うのは、料理とよく似ている。文章を書く、文字に残すというのは、冷凍保存するようなもの。
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声:きれいって何だろう?

「和尚さんの声は本当にきれいでいい声ですね。私の声なんて、こんなかすれた声で……」先日、この言葉に対して、私は思わずこう言った。「何を言っているんですか」と。私が思わず、そういってしまったのには理由が...
法の種

写経と自分

写経をしていると、様々な思いが浮かんでくる「自分」に気づきます。
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