【修道女(シスター)との会話】私達は同じ山を登っている

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これはイギリスへ留学中の話です。

当時、私はイギリスのウィットビーにあるキリスト教系の語学学校へ留学していました。

大学で宗教学を学んでいたこともあり、実際にキリスト教に触れてみたい、見てみたい、知りたい。そのような理由から選んだキリスト教系の語学学校。

その気持ちに学校も応えてくれる形で、修道女の方シスターとお話する機会を頂きました。

山登りに喩えて

「シスターと何を話したのか?」は、全部覚えているわけではありませんが、「仏教とキリスト教って共通する所がたくさんあるね」といろんな話で盛り上がったことを覚えています。

その中で特に印象に残ってる話は、その事を山に喩えて話し合ったことです。

シスターとの会話

僧侶である私と修道女である彼女。仏教とキリスト教。

言葉も違う。教えも違う。形も違う。お互い宗教は違えど、しかし、そこにはたくさんの共通点がありました。

そんな話に花を咲かせる中、彼女はこのように言いました。

「私達は同じ山を登っている」と。

私と彼女は、同じ山を登っています。山の頂上を目指して、自らの足で歩いています。

ただその入口は違います。私は仏教という入口。そして彼女はキリスト教という入口から登っています。

山のふもとには他にも無数の入り口があるでしょう。それこそ、仏教やキリスト教だけではありません。

しかしまた、どんなにたくさん入口があっても、山の頂上は一つです。

「私達はお互いに、宗教という同じ山を違う入口からそれぞれ頂上を目指して登っている」

お互いの違いを認め合いながら、和気あいあいと話しあったのを今でも覚えています。

山を登りはじめると……

山のふもとには、入口がたくさんあります。そしてその入口から頂上にかけて、登っていく道があります。その道は、たった一つの山の頂上に通じています。

入口から見れば、たくさんある違い。それこそ、山の東側の入り口と西側の入り口では、まったく違った風景がそこにはあります。

入口から頂上に向かって登っていくそれぞれの道。その道にもたくさんの違いがあります。

しかし、実際に山登りを始めると、途中でいろんな道が合流しています。

登れば登るほど、自分の歩んできた道と他の道が繋がっていることに気づくはずです。

そうして、全ての道は、たった一つの頂上に通じています。

そしてまた気づくのです。頂上から見える風景、他にもたくさんの山がある事に。

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