【梵字とは何?】意味や歴史を調べてみました。

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例えば、荒村寺の施食にてお渡ししている散華。ここに書かれている文字が梵字です。

また、例えば、塔婆の裏に書かれている文字。これも梵字です。

このように日本仏教の中では、所々でこの梵字を見かけます。

時には、この梵字について「これはどういう意味なんですか?」と聞かれることがあります。

私自身、この梵字に対してあまり知識はなかったので、改めて調べてみる事にしました。

調べてみるとこれが非常に難しい……。ということで、今記事では、自分の勉学がてら、梵字についてまとめてみました。

梵字と梵語

仏教辞典によれば、梵字とは、サンスクリット語(梵語)を記すために用いられる文字の一つと書かれています。

そこでまず、梵字を知るためには、梵語について触れなければなりません。

梵語=サンスクリット語

梵語とは、サンスクリット語の事です。サンスクリット語は、古代インドにおいて文章語、文章を書く時に用いる言語として用いられていました。

一方で口語、つまり会話の時に用いる言葉は、パーリ語と呼ばれています。

このサンスクリット語とパーリ語の違いですが、日本の感覚でいえば、その昔、公文書に関しては漢文を用いていました。

話すのは日本語、公文書は漢文ですね。そのような違いがあると思ってもらえばいいのではないでしょうか。

そして、古代インドで用いられていたサンスクリット語は、仏教が伝わった中国において、梵語と呼ばれるようになりました。

これは、中国のお経の翻訳者がサンスクリット語を聖語、梵語と呼んでいたためと言われています。ちなみに、梵という漢字は、清浄という意味があります。

悉曇しったん梵字という書体

さて、この梵語(サンスクリット語)には、様々な書体があります。

現代の日本に例えると、パソコンに文字を打ち込む際に、様々なフォント(書体)があるようなものですかね。

ただし、現在の日本語のように、学校で共通の文字の練習をするわけでもありません。そして、その書体自体も年月を経て大きな違いが出てきます。

例えば、私達、日本人が良く目にする梵字(書体)は、悉曇と呼ばれるものです。

この悉曇の歴史を少し辿ってみましょう。

紀元前800年頃、古代インドで成立したブラーフミー文字という字がありました。

この文字が、西暦紀元頃に北方で方形、南方では円形に記されるようになりました。そして4世紀頃になると、両者に明確な差ができました。

この北方系から発達したのがグプタ文字。そしてそこから6世紀頃にはシッダマートリカー文字が作られました。

このように、文字自体も変化するわけですね。

そして、インドから中国へと、このシッダマートリカー文字は伝わり、中国ではこの書体を「悉曇」と呼びました。

インドからこの書体を伝えられた中国では、この書体を「悉曇」、文法や語句の解釈を「梵語」と呼んで、明確な区別がありました。

つまり「梵字=書体。その中の一つに悉曇がある」「梵語=サンスクリット語の文法や語句の解釈」という違いがあるわけです。

日本における梵字の認識

しかし、これが日本に伝わる時には、このような細かな違いがわからず、その全体を含めて「悉曇」ということで伝わりました。

よって、当時の日本では「梵語=悉曇=梵字」という認識だったのでしょう。

しかも日本でこの悉曇が伝わった時代は、まさに中国でその悉曇に関する文献が漢訳されていた最中さなかでした。このことから、日本に入ってくる梵字の知識や資料は、十分ではなかったと推測できます。

この悉曇梵字は非常に難解です。当時の日本でも、文字として実用するのではなく、いわゆる、シンボルマークのような形で、この梵字が用いられました。

以下の散華に書かれている梵字もまさにそのような意味で用いられています。

散華に書かれている梵字の意味

タラ-ク

多宝如来(宝勝如来)

円満ならしめ富や幸福を授ける仏様。

ウン

妙色身如来(阿閦如来)

身心ともに満ち足りたものにする美しいからだの仏様

キリーク

甘露王如来(阿弥陀如来)

身心に安楽の境地を与えて下さる仏様

バン

広博身如来(中央大日如来)

飲食の楽しみを与えてくれる仏様

アク

離怖畏如来(釈迦如来)

恐怖心を除き、苦しみから脱出させて下さる仏様

塔婆に書かれている梵字の意味

この塔場に書かれている梵字ですが、「バン」という梵字です。

上記の散華の所の4番目のバンと基本的に同じ字です。しかし、調べてみると、また違う意味もここには込められています。

これが、梵字の難しい所で、同じ字であっても、込められた意味が全く同じとは限りません。

私が参考にした資料によれば、このように書かれていました。

法性浄水

バン、は金剛界、大日如来を湧出させ、大悲水と変成し、我及び一切の有情の菩提心大地に散灑し、百六十の心戯論垢を洗浄し、皆悉煩悩の罪垢を断つ。

通常、板塔婆の裏面にみる、バンの一字は、ア、ビ、ラ、ウン、ケン、(大日如来真言)五字の所成のゆえに、一即五、五即一と見て、ア、ビ、ラ、ウン、ケン、この咒を一遍誦すれば、即転読一切経一百遍にあたります。

~「梵字 悉曇参究」徳山暉純著(木耳社)~

難しい言葉が並んでいますが、要するに、塔婆の裏面の「バン」は、法の性質を表した清らかな水の意味であり、一字ではあるけれども、そこには五字の意味が込められていると私なりに解釈しました。

結論「梵字はわからない」

他にも、梵字は、その字自体を切り分けて、他の梵字にくっつけて、違う意味を付与することがあります。

字をハサミで切って、二つ合わせて、両方の意味を持たせたり、違う意味を持たせるようなイメージでしょうか……。

こうして、梵字にたくさんの意味が込められているようなのですが、この辺りになってくると、私自身も理解できないことが多く、正直わかりません。

ただ一つ理解できるのは、私たちが普段実用的に使っている文字とは、まるで違うということです。

例えるなら、梵字という文字そのものが一つのアート作品のようだといってもいいのでしょうか……。

絵を描く時、作者はそこに色んなものを込めて書きます。

しかし、その作品をどのように解釈するかは、人それぞれ。そしてその解釈は必ずしも、作者の意図したことと同じとは限りません。そこには答えはありません。

梵字にも同じような事が言えるのではないか……と私は解釈しています。

その作品をいくら言葉で説明しても、その作品の全てを表現することはできません。

梵字にも同じようなことが言えるのではないかと考えています。

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